「失われた20年」は本当か? スイスの研究者が新説を提唱
バブル崩壊以降から現在までの日本経済は、「失われた20年」といわれている。「一億総中流」の意識は崩壊し、大手企業の倒産、就職氷河期の到来、非正規雇用の増加などで「格差社会」という言葉が日本社会にすっかり定着した。しかし、スイスの研究者二人は昨年末、私たちの常識を覆すような論文を発表した。「日本経済はこれまで不況だったどころか、むしろ好調に発展してきた」というのだ。
論文の題名は「Decades not lost, but won外部リンク」。日本経済の過去20年は「失われた(lost)」のではなく、むしろ「好調だった(won)」と主張するのは、チューリヒ大学東アジア研究所のステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハ博士外部リンクとゲオルグ・ブリント博士外部リンクだ。
正規雇用数は増加
日本の格差社会について研究を進めていた二人は、過去20年間の雇用状況の変化について調べることにした。もし正規雇用が大幅に減り、正社員より賃金の低い非正規雇用が増えていれば、格差社会が広がったという点で「失われた20年」説が立証されるからだ。
そこで、バブル崩壊以前の労働市場構造が1988年以降も続くとの想定で、2010年の人口に応じた雇用状況をシミュレーションした。日本の労働市場が過去20年間「失われていた」ならば、実際の正規雇用数はシミュレーションした数値よりも低くなることになる。
だが、結果を見ると面白い事実が明らかになった。2010年の実際の正規雇用数は男女ともシミュレーションの数値を上回ったのだ。
ブリント氏は「日本は予想を上回る雇用を創出してきた。欧州各国と比べたら相当なものだ」と指摘する。
女性の雇用状況が改善
女性に関して言えば、雇用状況はむしろこの20年間で向上した。子どものいるワーキングウーマンにとっては、保育サービスの不足が今も大きな問題だが、給料面で見れば、1988年から2010年にかけて女性の賃金は正規・非正規ともに男性より伸びている。つまり、男女の賃金格差が縮まってきたということだ。
「以前は結婚したら寿退社をして専業主婦になるのが普通だったが、働き口が増え、賃金も上昇したために育児休暇後に働きに出る女性が増えた。ちなみに、男性の給料が低いために、必要に駆られた妻たちが働きに出たということが一番の理由ではない」とブリント氏。
女性の雇用先としては、サービス産業が多い。経済学的に見て、サービス産業で働き手を求める企業が増えたということは、「それだけ日本の経済が発展している証拠だ」とロッタンティ氏は言う。
1990年代から2000年代にかけての「就職氷河期」も、輸出に依存している企業や金融系大手などで新卒採用数が少なくなっていたが、全体的には求人倍率はあまり落ち込んでいなかった。そのため「氷河期と呼べる時期は実際にはなかった」と、両氏は主張する。
成熟した経済
雇用面で見れば、確かに二人が主張するように状況は世間で言われているほど悪くなかったのかもしれない。しかし事実として、日本の国内総生産(GDP)の伸び率は過去50年間で見れば全体として下がり続けている。また、ここ数年で上昇した日経平均株価に関して言えば、1980年代後期をピークにその後20年間は下降傾向にあった。
こうした点については、「そもそも高度成長期と、それ以降の20年を比較してもあまり意味がない。経済構造が違うからだ」とブリント氏は強調する。
「現代の日本経済は成熟しているために、バブル時代とは経済成長の質が違う。国内総生産の伸び率が平均2%未満だったにもかかわらず、これほどの雇用を創出できたことは立派だ」とブリント氏。「中国のような経済成長を期待するのは無理だ」
意識の変化
では、なぜ日本では「失われた20年」というマイナスなイメージばかりが世間に根付いているのだろうか?
ロッタンティ氏は、不安定な雇用で働く一部の男性をメディアがよく取り上げるため、あたかもそれが全体の雇用状況を反映しているかのような印象を世間に植え付けていると指摘する。「非正規で働く女性の数は男性より圧倒的に多いが、そうした女性がメディアの注目を浴びることはほとんどない」(ロッタンティ氏)
また、今の日本経済は成熟しているために、「人々は高度成長期には実感できていた経済成長の伸びに気づきにくくなった」とブリント氏。未来が明るく見えたバブル時代が「古きよき時代」として人々の記憶に残っているため、それ以降の時代がよくないものに見られてしまうと二人の研究者は考える。
今の日本では人々の生き方が多様化し、男性が外で働き女性が専業主婦となる典型的な家族は減って来た。女性の社会進出が増えたことも背景に、日本人の労働への意識はこの20年で着実に変化した。「失われた20年」とは、そうした日本人の意識の変化を表現している言葉なのかもしれない。
ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハ(Stefania Lottanti von Mandach)
1996年に京都外国語大学に留学し、99年にチューリヒ大学で日本学と経営学修士号取得。その後日本やスイスの企業に勤め、10年以降、同大学東アジア研究所の研究員。主な研究テーマはプライベートエクイティ、労働市場、流通制度。
ゲオルグ・ブリント(Georg D. Blind)
2004年、ザンクト・ガレン大学で経済学修士号取得。その後、マッキンゼーでコンサルタントを務め、08年にハイデルベルク大学で日本学修士号取得。京都大学で外国人特別研究員を務めた後、14年、ホーエンハイム大学で経済学博士号取得。2010年からはチューリヒ大学東アジア研究所の研究員。主な研究テーマは日本の企業、日本の労働市場の変化など。
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