「何を言ったのかは覚えていない。気の利くことは話さなかっただろう」と当時の記者会見を振り返るブロッハー氏
Balz Rigendinger
スイスは強大な欧州連合(EU)に囲まれた小さな「島国」だ。そんなスイスは気の毒な存在か、それとも羨望の的だろうか?スイスが独自の道を行くことを決めたのは、今から25年前。当時の国民投票で、EU単一市場にアクセスできる欧州経済領域(EEA)への不参加が決定した。EEA参加がEU加盟の前段階になることを、多くの有権者が危惧(きぐ)した結果だった。スイスインフォはEEA賛成派および反対派の代表に、当時を振り返ってもらった。
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2017/12/06 08:30
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「EUの方がスイスより発展している」左派の元大物政治家
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2017/12/06
1992年12月6日の国民投票で、スイスの既成政治勢力は敗北を喫した。この国民投票で大敗したのが、左派の社会民主党党首を務め、EUとの強い連携を第一に目指していたペーター・ボーデンマン氏。現在はヴァレー(ヴァリス)州でホテル業を営む同氏は、今も当時の考えが正しかったと確信している。
もっと読む 「EUの方がスイスより発展している」左派の元大物政治家
EEA参加をめぐる国民投票の背景やその後の影響については「欧州で独自の道を歩んだスイスの25年間 」をご覧ください。
1992年12月6日の国民投票で、スイスの既成政治勢力は敗北を喫した。政府、議会、主要政党の大半はすでにEEA参加を表明し、EUへの加盟申請も行われていた。しかし、EEA反対の右派・保守派は「スイスの独立性が損なわれる」と主張し、市民感情に訴える反対運動を展開。それが功を奏し、国民投票では反対派が勝利した。この国民投票を機に、右派・国民党の父と称されるクリストフ・ブロッハー氏は政治家として大きく躍進した。
スイスインフォ: 「私は疲れ果てた。精神的にも肉体的にも限界だ」と発言したことを覚えていますか?
クリストフ・ブロッハー: あの頃の状態は覚えている。1992年のことだ。
スイスインフォ: EEA参加の是非を巡る国民投票が行われる1週間前のことです。あなたは国民投票に先立ち、数多くの催しに参加しました。
ブロッハー: 1年を通し1日に最低1回、時には2、3回と参加することもあった。国民投票実施日の1年前、世論調査の結果が公表された。それによると、スイス人の8割がEEA参加に賛成だった。すべてのメディア、連邦閣僚、議会、経済団体が賛成なのは分かっていた。「これには反対しなくてはならない。EEAに参加すればひどいことになる」と思った。反対派の主張がメディアに取り上げてもらえないのなら、国民に直接訴えかけるしかない。
スイスインフォ: あなたが話しかけた国民の数は15万人になると言われています。
ブロッハー: それと同時に、私は会社を経営していた。
スイスインフォ: どのように両立したのですか?睡眠時間を4時間に減らしたのですか?
欧州経済領域(EEA)参加の是非を巡る国民投票
連邦閣僚(政府)、議会、主要政党の大半はEEA参加を表明していた。国民の反発を予想していなかった政府は、すでに1992年5月にEUへの加盟申請を行っていた。政府にとってEEA参加はEU加盟への前段階に過ぎなかったが、今日ではこうした政府の態度が致命的なミスだったとされている。 その後、EEA参加の是非を問う国民投票は、クリストフ・ブロッハー氏を中心とする反対勢力により、スイスの文化や伝統を巡る感情的な議論に発展した。反対派は「スイス固有の文化や伝統の多くは、スイスが単独の道を行くことで守られる」と主張。また「スイスは独立性を維持し、欧州の官僚主義から守らなければならない」とも訴えていた。
既成の政治勢力は、1992年3月6日の国民投票で敗北を喫した。投票者の50.3%が反対し、州の過半数(23州中16州)がEEA参加に反対した。 スイスは2016年6月、正式にEUへの加盟申請を取り下げた。
ブロッハー: それより少ないときもあった。全く眠れない夜もあった。その結果、心身が崩壊した。あれは戦争の後のようだった。立ち上がる力がなく、睡眠も取れず、すっかり疲れ切っていた。国民投票後は静養を取らなければならなかった。
スイスインフォ: 勝利の日には、その場で記者会見を開きました。
ブロッハー: 自分の意見を記者一人ひとりに説明するほどの力がもうなかった。何を言ったのかは覚えていない。気の利くことは話さなかっただろう。
スイスインフォ: 少なくとも勝者が話す感じではなく、喜びの言葉もほとんどありませんでした。
ブロッハー: そういう状態だったということだ。その後、家に帰り、8時にはベッドに入った。
スイスインフォ: そしてようやく8時間眠れましたか?
ブロッハー: いや、睡眠障害があった。今ならバーンアウトと言うだろう。当時は「Ich bi uf de Schnure!(ひどく疲れた)」と言っていた。だが10時になると外でパンと音がした。妻が私を呼び、「ちょっと来て、クリストフ。花火をして祝っている人たちがいる」と言った。私はパジャマ姿で窓辺に立ったが、大苦戦でただ疲れていた。私の主張が正しかったのか、確証はなかった。初めは私に同調する人がほとんどいなかった。私が目指す方向に所属政党が舵を切るかどうかもわからなかった。
スイスインフォ: しかし、公の場に登場するあなたの姿は自信たっぷりに見えました。
ブロッハー: それは言えている。だが夜になるといつも疑心暗鬼になった。ベッドの中でよく考えたものだ。「私一人だけが正しくて、他のみんなが間違っているなんてことがあるだろうか?」と。悪夢にうなされたこともあった。だが朝になって日が昇ると、私が背負わなくてはならないものがはっきりしていた。
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「スイスは分裂していた」元連邦閣僚のブロッハー氏
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2017/12/06
スイスは1992年の国民投票で、欧州経済領域(EEA)への不参加を決定した。それから25年経った今、右派国民党の元連邦閣僚クリストフ・ブロッハー氏が当時を振り返る。
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スイスインフォ: あなたに反発する人もいました。脅迫はあったんでしょうか?
ブロッハー: それもあった。それらは全て警察に届け出た。
スイスインフォ: EEA反対運動の中で起きたことで、それが最もひどいことでしたか?
ブロッハー: 最もひどかったのが、ペーター・ボーデンマンがした行為だ。私の商売が標的にされたのだ。
スイスインフォ: 当時の社会民主党党首だったボーデンマン氏は、エムスケミーの経営者であるあなたが従業員に公平な賃金を払っていないと非難しました。
ブロッハー: ボーデンマンは労働組合と共に、朝5時のシフト交代のときに工場の敷地に入って来て、従業員全員に「ここで働く従業員の給料は、他所のエムスケミー従業員の給料よりも低い」と言った。彼は私の従業員にストライキをするようけしかけたのだ。ボーデンマンは言った。「ブロッハーを政治の場で負かすことはもはや出来ない。ならば、ビジネスの場で叩き潰さなくてはならない」と。彼はベルンで記者会見を開き、「ブロッハーは賃金を不当に低く抑えている」と主張した。この発言でかなり危険な状況が引き起こされる可能性があった。
ブロッハー氏(左)とボーデンマン氏
Keystone
スイスインフォ: 当時は景気が後退していました。経済危機のときに外国に門戸を開こうとする人はいません。それがEEA反対派の勢いを強めることにつながりました。
ブロッハー: その通り。経済危機になると、企業は手堅いところを抑えようとする。同時に政府も景気後退について議論していた。政府にとって、EEA参加は危機の終わりを約束するものに見えたのだ。
スイスインフォ: そしてあなたはちょうどこの時期に、企業家として成功を収めていました。
ブロッハー: 私は輸出企業経営者の例として引き合いに出されていた。私が鎖国的だとは誰も言えなかった。私は世界を知っていたのだ。そこで、私の成功を逆手に取って、私が資産家であることを非難する人も現れた。だが一般の人たちは、私が企業家として富を得ていることに気を留めなかった。
スイスインフォ: スイスでは当時、政治的議論が激しくなり、二極化の兆しが見えていました。
ブロッハー: 二極化は早急に必要なことだった。西欧諸国では今、国民が既存の政治勢力に反旗を翻しているが、スイスはこの点において先を行っていた。
スイスインフォ: つまり政治運動が台頭し、それまでの政治勢力図が崩れているということですか?
ブロッハー: そうだ。米国のトランプ大統領はいわゆる共和党員ではなく独自の運動を率いている。同じことがフランスのマクロン大統領やイタリアの政治活動家ベッペ・グリッロ氏にも言える。
スイスインフォ: その観点から言えば、あなたも政治運動を率いています。
ブロッハー: 特にEEA反対運動には多くの人が賛同した。国民党に新しい支部ができ、他党から移籍する人たちも出た。
スイスインフォ: そして国民党はブロッハー運動の担い手になったと?
ブロッハー: 私はもちろん国民党に強い影響を及ぼした。だが私はいつも、それが派閥のようにならないよう努めてきた。私たちは自分たちのことではなく、スイスについて議論してきた。方向性の定まらない既成の政治勢力に対し、批判を行ってきたのだ。そのため状況は安定し、極右はあまりいない。
スイスインフォ: 国民党はEUにお礼を言わなければならないかもしれません。EUがなければ、国民党は今ほどの勢力には達しなかったでしょう。
ブロッハー: その通り。私たちだけが、スイスの独立性と自治を守ることを基本にしていた唯一の政党だからだ。
スイスインフォ: あなたは自己資産も投入しています。
ブロッハー: 党に資金提供したことはないが、国民投票のキャンペーンには確かに資金を出した。
スイスインフォ: EEA反対運動に投入した金額を覚えていますか?
ブロッハー: 覚えていない。
スイスインフォ: もし覚えていたとしたら、金額を話しますか?
ブロッハー: 数百万フランの金額だった。
スイスインフォ: 千万フラン単位には達していませんか?
ブロッハー: 違う。総額でたぶん100万から200万フランを払った。
スイスインフォ: 500万フランではありませんでしたか?
ブロッハー: 500万フランは国民投票のキャンペーンにかかった総額だろう。私たちには寄付金もあった。小額寄付も多かった。1992年当時の私にはそれほど資産はなかった。
膨大な資産について「自分では分からない」と語るブロッハー氏
Balz Rigendinger
スイスインフォ: あなたの家族はスイスで最も裕福な10人の中に入っています。これだけ多くの資産があると、誇らしげに思うものでしょうか?それとも、ありがたみを感じるものでしょうか?
ブロッハー: 自分では分からない。
スイスインフォ: ですが、例えば「これは今の自分には都合が悪いから、反対運動に数百万フランを投入しよう」と簡単に言えますよね?
ブロッハー: いや、そんなに簡単にお金は出せない。なぜ私の家族にこれほどの資産があるのか?それは企業価値が高いからだ。良き企業家は裕福でなければならない。企業家が貧しいことほど悲しいことはないが、実際にそういう人はいる。企業家が貧しいということは、その人の企業には価値がなく、破綻するということだ。
スイスインフォ: つまり、あなたは誇らしげに思っているのですね。
ブロッハー: 誇りではないが、満足している。私は当時、エムスケミーの株式の過半数を市場価値約1億フランで取得した。私はこの会社を救ったのだ。同じ企業でも、今では市場価値が総額約170億フランある。
「国民の声は神の声ではない。だが国民が決めたことは従わなければならない」。トゥールガウ州で行われたキャンペーンでのブロッハー氏
Keystone
スイスインフォ: 現在の私たちはEUの状況を知っています。欧州には未解決の問題が山積みですが、そんなEUを見てほくそ笑むことはありますか?
ブロッハー: EUの状況が悪くなればいいとは思っていない。EUには安定してほしいと思っている。私はずいぶん前に「EUは集権的な連邦国家か、分権的な緩い国家連合のどちらかに発展する」と言った。後者であればスイスも参加するだろう。EUが後者の方向に発展することをつねづね願っている。だがEUは現在、ユーロの価値を守るために集権化の方向に向かっている。そうでないと裕福な加盟国と貧しい加盟国との間で財政バランスが取れないからだ。無論、EUの状況が悪くなるのは好ましくないと思う。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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欧州で独自の道を歩んだスイスの25年間
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25年前の今日、スイスでは国の命運を左右する重大な決定が下された。国民投票で欧州経済地域(EEA)への参加が僅差で否決されたのだ。
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メディア業界に激震 14紙で主要ニュースを一本化
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「経済と信頼の危機は民主主義の再評価につながる」
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欧米諸国でポピュリストが台頭している。ドナルド・トランプ米大統領、仏大統領選の決選投票に進んだマリーヌ・ルペン氏、オランダ自由党のヘルト・ウィルダース党首、英国独立党の元党首ナイジェル・ファラージ氏、コメディアンでイタリアの政治家ベッペ・グリッロ、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相、レフ・カチンスキ元大統領、そしてスイスの右派・国民党政治家クリストフ・ブロッハー氏。民主主義は危機にさらされているのか。我々は彼らとどう付き合うべきなのか。スイスにおける政治学の第一人者、ハンスペーター・クリエジ氏に話を聞いた。
スイスインフォ: 英国が予想に反して欧州連合(EU)離脱を選んだ背景には、英国が毎週3億5000万ポンド(約514億円)をブリュッセルに送金しているという架空の数字が大きく影響したと言われます。なぜこれほど重要な国民投票で、反EUのポピュリストたちは嘘の情報を使って勝利できたのでしょう。
ハンスペーター・クリエジ: 数字は確かに間違っていた。しかし、それが決定的要因だったかどうかは疑わしい。嘘の情報どうこうよりも、もともとエリート層を含めた英国民全体がEUに懐疑的だったことが大きい。特に保守党内で意思統一が図れなかったことは決定的だった。
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スイスの億万長者上位300人、巨万の富を得るまで
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2017/04/21
スイスの政治誌ビランツによると、スイスに住む億万長者上位300人のうち、3人に1人は10億フラン(約1千94億円)以上の純資産を有している。その中には世界的に有名な企業の創業者一族の出身者もいる。約半分は国外からの移住者で、とりわけドイツ出身者が多い。1980年代以降は、金融業界で財を成した人々が増えている。以下では、様々な分野で巨万の富を得た億万長者を紹介する。 製薬
アンドレ・ホフマン(58歳) ― 莫大な遺産相続と慈善活動
スイス出身。製薬会社大手ロシュを創業したホフマン家の遺産相続者の一人。1996年から同社の執行役員。遺産相続者のホフマンとオエリ一族が所有する株式などの総資産は200億フランを超える。
2004年、ホフマン家共同投資資金の広報担当に就任。父ルーカス氏と同様、環境活動に尽力する。最近では、スイスが50年までに資源消費量を3分の2削減することを目指す、「グリーン経済」イニシアチブ(国民発議)を支持して注目を浴びた。金融ビジネスと化学
クリストフ・ブロッハー(76歳) ― 実行者から人民の指導者へ
スイス・シャフハウゼン出身。右派の国民党の代表的存在。2003年、連邦内閣閣僚に選出されたが4年後に落選。ビランツ誌によれば、ブロッハー家の資産は70~80億フランとされる。
ブロッハー家は過去10年で急速に資産を増やした。ブロッハー氏はとりわけ金融ビジネスで財を成したとメディアは報じている。1983年、化学大手エムス・ケミーの従業員だった際に、創業者一族から会社を格安で買収。ドイツ語圏の日刊紙NZZは87年、ブロッハー氏が買収した後のエムス・ケミーは工場というより「投資ファンドのようだ」と報じた。
しかし、エムスグループが実際にブロッハー家の資産にどれだけ寄与したかは不明。現在は娘のマルトゥロ・ブロッハー氏に引き継がれた同グループは、高性能ポリマーと特殊化学薬品を世界中で販売している。プラスチック
ヨブスト・ワグナー (58歳) ― 1万7千人の従業員を抱える政治活動家
ドイツ・バイエルン州レーアウ生まれ。欧州連合(EU)との二国間関係を守ることを目的とした団体「スイスの利点」を設立し、保守派のブロッハー氏と対立。このためメディアから「意に反したアンチ・ブロッハー」と呼ばれた。
同氏は両親からプラスチック関連会社レーアウを引き継ぎ、8億フラン超の資産保有者となった。自動車産業の下請け企業である同社は自動車産業の下請けとして約50カ国に支社があり、約1万7千人の従業員を抱える。資源取引
イヴァン・グラゼンバーグ ― 資源取引を追求
南アフリカ出身。商品取引会社大手グレンコアの最高経営責任者(CEO)で大株主。商品取引で名をはせたマーク・リッチ氏の会社(のちのグレンコア)に入り、南アフリカで商品取引を学ぶ。同社の要職人員は2011年までに500人を数える。株式市場上場により経営者らは莫大な利益を得た。最多の資産保有者はグラゼンバーグ氏で当時93億ドル(約1兆円)保有していたとされる。
スイスのツークを拠点とする鉱山採掘会社エクストラータと合併後、スイスは同社の要衝となる。税金のほか環境被害や人権侵害などをめぐる問題で批判されることも多い。巨匠ピカソの孫
マリーナ・ピカソ ― 祖父の作品を売って大富豪に
画家ピカソの孫娘。祖父の絵を複数売却し、上位300人に仲間入りした。売却した作品には、祖母でピカソの一人目の妻オルガ・コクローヴァさんの肖像画「Portrait de femme」(1923年)も含まれる。この肖像画は約6千万フランの値が付いた。
作品を手放すことにためらいはなかったという。唯一の相続人のマリーナ氏のもとにはまだ絵画約400点と素描画7千点が残る。祖父の良い思い出はないと言い、2001年に出版した伝記ではピカソを「エゴで塗り固められた怪物」「周りの人を愛せない」と酷評。「この天才による重圧」の下で長い間苦しんできたと明かしている。不動産王
ロバート・ホイベルガー (94歳)― 貧しい幼少時代から富豪へ
チューリヒ近郊の産業都市ヴィンタートゥール出身。スイスの不動産王の一人で、上位300人の中では最高齢とみられる。住居約2千件のほかホテル、ショッピングセンター、オフィス複合施設などの不動産を所有。ビランツ誌によれば、同氏の資産は4億5千~5億フラン。F1ドライバー
セバスチャン・ベッテル (29歳)― 猛スピードで富豪に
ドイツ出身。上位300人の中ではおそらく一番の若手。資産額は1億5千~2億フラン。4度の世界チャンピオンに輝き、2016年の年収3千万フランプラスボーナスで、F1レーサーでは最高額獲得選手の一人となった。現在は不動産事業に数百万フランを投資している。スポーツデータ分析
カールステン・コエル (51歳)― テクノロジーと斬新なアイデア
ドイツ出身のエンジニア。トップスポーツ業界の製図家と言える存在だ。スイスの富豪リストに最近仲間入りした一人。米国のITバブルが崩壊する前、共同創設したブックメーカー会社Betandwinの所有株式を売却し、1億5千~2億フランに上る莫大な資産を得る。現在は、国際スポーツビジネス事業に身を置き、スポーツのデータ分析をメディアやブックメーカーに提供する会社スポーツラダーを経営。
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真面目に働いても大富豪になれるとは限らない
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2017/04/21
スイスは億万長者が人口に占める割合が世界で最も高い。人口は大阪府よりわずかに少ない約800万人だが、英国の不動産コンサルタント大手ナイト・フランクの資産調査では3000万ドル(約33億円)以上の資産を所有する人が約7千人いるという。これだけ富豪が集中する国はほかにはない。一方、富の格差を長年研究するバーゼル大学のウエリ・メーダー教授(社会学)は「誇るべきことではない」と警鐘を鳴らす。
メーダー教授は社会格差が生まれる原因を長年研究。10億フラン以上の資産を持つ大富豪に関して「コツコツと自分の力で上り詰めた人はいない」と指摘する。
スイスインフォ: 調査によれば、スイスには莫大な富が集まっています。大富豪をこれだけ魅了する理由は何でしょうか?
ウエリ・メーダー: 安定した政治と(大富豪にとっての)有利な税制だ。とりわけ資産と遺産関連の税制が魅力で、海外から多くの資金が集まっている。優れた投資コンサルティングもある。一部の経済界では、非常に高額の給料がもらえることも一因だ。
スイスインフォ: 大富豪はどのようにしてこれだけの富を得たのでしょうか?
メーダー: 裕福な家庭の生まれか、その一族と結婚して資産を相続するなどのケースが多い。2016年に1年間連邦大統領を務めたヨハン・シュナイダー・アマン経済相や元閣僚のクリストフ・ブロッハー氏の子孫などが有名な例だろう。
スイス国内全体の遺産相続関連資産の4分の3を、相続者全体のわずか1割が独占している。この国である人の資産が急激に増加した場合、例えば国内の億万長者上位300人が資産を1千億ドルから6千億ドルに増やしたとすると、それはだいたいが遺産相続によるものだと想像できる。
また、特定の経済界で法外な給与が支払われていることも、億万長者を生んでいる理由の一つ。働き者で斬新なアイデアを持つことも確かにその理由に挙げられるが、過大評価されている面が否めない。大富豪の多くは斬新なアイデアなど持っていない。地価の上昇で利ザヤを得るなどのマネーゲームをしているだけだ。
スイスインフォ: 億万長者は外国人とスイス人のどちらが多いのでしょうか?
メーダー: 億万長者の約半数が国外から移住してきた人だ。彼らにとってスイスが魅力なのは、スイスの納税額には上限があり、一定のラインを超えるとその額が変わらないこと。過去には銀行の秘密主義も外国人を魅了した。現在では、大企業関連の富も多く集まっている。
スイスインフォ: 良い学校を出てまじめに働き、運にも恵まれて巨万の富を得た人はいないのでしょうか?
メーダー: 資産家の大半は何もしなかったのではなく、何かしら自ら努力している。しかし、金融ビジネスなどでここ10年の間で急激に資産を増やしたケースを見ると、自ら汗を流してきたとは言えない。
スイスインフォ: 例えば皿洗いから大金持ちにのし上がる人もいます。まじめに働いて大富豪になれるのでしょうか?
メーダー: そのようなまじめな人はいない。これらの富は常に他の人の犠牲の上に成り立っている。大富豪の多くは、あたかも自分の力で苦労して富を増やしたかのような感情を抱いているが、それはまやかしだ。
バーゼルで私は時折、経営者に会う機会がある。一人がこんなことを言った。「メーダーさんは、助けを必要としている人に常に手を差し伸べるのですね」と。そういう彼自身が経営する会社は親から受け継いだもので、資産だって自分が稼ぎ出したものでないことに、彼自身全く気付いていない。
スイスインフォ: しかし「幸福は自らの手で築くもの」「努力なくして成功なし」ということわざがあります。これは間違いなのでしょうか?
メーダー: スイスにはフルタイムで働いているのに成功していない人はたくさんいる。給料が少ない業界にいるからだ。まじめに働いたら富を築けるという保証はどこにもない。
スイスインフォ: この国では資産家は歓迎されています。多くの地方政治家が、資産家に有利な施策を打って富裕層を呼び込もうとしています。これは地元社会にとって良いことなのか、それとも悪いことなのでしょうか?
メーダー: 私たちに利益は生じない。確かに、資産家が支払う多額の税金は小さな自治体においては影響が大きい。だが第一に、彼らに自治体が依存するようになってしまう。さらに自治体と州の間で税率の引き下げ競争が始まり、結果税収が減って不動産価格と地価が上昇してしまう。第二に、例えばある富を複数の人間が少しずつ分け合っていたとする。この場合、各個人の所得税などの税額は上昇する。一人が同じ富を独占し多額の税金を払うのと全体の税収額は結果的に変わらない。
社会の連帯と平和な労使関係を重要視する民主主義国家にとって、富がより良く分配される方が確かに好ましい。
私は裕福な人を非難しているのではない。ただ、お金持ちが地元に住んでいるからといって感謝する必要はない。一方では生計を立てるのに身を粉にして働いている人がいて、他方では裕福な家庭に生まれ苦労を知らない人がいる。そんな格差を目の当たりにするとやりきれなくなるが、それでもお金持ちが地元にいることに感謝してしまう、そういう気持ちは残念ながら文化的に根付いてしまっている。
スイスインフォ: スイスでは第二次世界大戦後、コツコツ働いてそれなりの富を蓄えた中流階級がかなり増えました。
メーダー: 1950~70年代、幅広い層が経済的に豊かになった。72年の国内の失業者はわずか106人だったという。社会的補償というリベラルな概念が根付いたのはその時だ。勤労と資産はバランスのとれた関係であるべきだ。ここ数年、あるパラダイムシフトが起きている。今日では、仕事よりお金の方がはるかに重要になってきているのだ。お金が物事のすべてになってしまっている。多くの人は社会的な格差を問題視することなく、それを社会の活性化のしるしだととらえている。
スイスインフォ: スイスの状況はそれほど悪いのでしょうか?
メーダー: 最後に一つ肯定的なことを言うならば、私は資産家を何人か知っているが、彼らは現在の状況に批判的で、そこに潜む危険性をよく分かっており、抑制的になるよう呼びかけている。富の格差
経済協力開発機構(OECD)の2015年調査によれば、億万長者が人口に占める割合はスイスが世界で最も高い。スイス国内の大富豪上位300人は、3人に1人が10億フラン以上の資産を保有。これは世界の大富豪の14人に1人がスイスに住んでいる計算になる。
スイス労働組合連合の16年の報告によると、スイス国内の高額納税者の2.1%が持つ純資産は、残りの97.9%が持つすべての純資産と同じ。約4分の1の納税者については、純資産が非課税。
資産の配分を示すジニ係数は、0~1の数値を取り、1だとすべての資産を1人が独占している状態で、0だと資産が均等に分配されている状態。つまり、1に近いほど格差が大きく不平等になる。公式な統計では、スイスのジニ係数は0.8で、世界で最低ランク。
自分の力で大富豪になれるのか?
「コツコツ働いているだけでは莫大な財産は得られない」という説には、研究者の間でも異論が出ている。社会奉仕活動に詳しいバーゼル大のゲオルグ・シュヌルバイン教授は「経営者家族の下に生まれた人が優れたアイデアを考案し、それがビジネスとして成功した場合、それは間違いではない」と指摘。「ビジネスの発展には、ある種の徹底した厳しさが背景にあったということは否定できない。しかし、裕福になった人が必ず悪いことをしたと考えるのは間違いだ。貧しい人自身にも責任はない。裕福になるのはその時の社会環境も理由の一つだ」
同教授によれば、スイスは多くの大富豪から恩恵を受けているという。例えば同教授は社会、文化、環境団体は「金持ちの慈善行為に依存している」と指摘する。
国内にいる大富豪の大半は経済界で財を成した人たちだ。海外からの移住者が多いのは、魅力的な税制、地理的な利点、治安の良さと安定した政治、金融の中心地があることなどのスイスの特性が大きな理由となっている。
自治体が富裕層をうまく呼び込めるかについて、シュヌルバイン教授は「内的矛盾をはらんだ戦略と言える。少数の人間が予算を支えている場合、リスクは極めて大きい。この少数の人間はいずれ別の場所に移住するかもしれない。それまで潤沢な財政を背景に予算を組んでいた自治体は窮地に陥る」と話す。
また同教授は、私有財産が非常に増加してきたとし、「一部の人間は巨万の富を得た。グローバリゼーションの影響で、富があるところにさらなる富が集まるようになった。ある一定のレベルに達すると、富を得るために何もしなくてもよくなる」と話す。
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トランプ新米大統領、民主主義に立ちはだかる利益相反問題
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2017/01/20
億万長者で不動産王のドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任することで、「利益相反」というテーマが新たに浮上した。これはスイスにとっても大きな意味を持つ。
民主主義が機能するには、国家権力の代表者が利益相反に当たる行為をしてはならず、職務を金銭などの個人的利害から切り離すことが重要だ。
また、利益相反が起きていないかどうかを市民がしっかり認識することも大事だ。政府は実際に利益相反に当たる行為だけでなく、(誤って)利益相反に思われるような行為を慎まなければなければならない。不動産王のドナルド・トランプ氏が米国大統領に選ばれたことで、このテーマの意義は大いに増した。
スイスにも利益相反というテーマは存在する。スイス航空のグラウンディング(飛行停止)では、責任のなすりつけや、いわゆる「縁故主義」が顕著だった。また、クリストフ・ブロッハー氏は入閣時に子どもたちに会社を贈与。この件を巡り議論が勃発した。さらに、モリッツ・ロイエンベルガー氏は連邦閣僚を辞職後、スイスの建設大手インプレメニアの役員に就任。この件で同氏は批判にさらされた。このように、スイスでも市民とメディアは利益相反というテーマに激しく、また頻繁に議論を戦わせている。
トランプ政権ではもちろん、このテーマの重要性がぐっと増す。トランプ氏は米国大統領に就任する初めての大富豪であり企業家だ。同氏に比べれば、元イタリア首相のベルルスコーニ氏が抱えていた利益相反問題はあまり大したことではない。トランプ帝国に所属する企業は515社もある。その事業は様々で、個人向けおよび商業向けの不動産、ホテル、雑誌、ワイン、アパレル用品、ステーキ、ゴルフ場関連などの事業を約24カ国で展開している。
新内閣の資産は米国民の3分の1の資産に相当
トランプ新内閣には大富豪や企業家が多く、彼らの総資産は米国民の3分の1の資産に相当する。そのため、今後、利益相反問題が出てくることは必至だろう。
すべての閣僚および連邦議会議員には、利益相反に関して特に厳しいルールが設けられている(大統領と副大統領を除く)。彼らはすべての所有資産を売却し、第三者の管財人に引き渡さなければならない(いわゆるブラインド・トラストまたは白紙委任信託)。
また、贈呈品の受け取りも禁じられている。そのため、チューリヒを訪れたある米上院議員は、食堂での食事25フラン(約2800円)は自分で払ったと主張した。ある米閣僚はスイスのアーミーナイフを贈呈されたが、私に送り返してきた。
このような厳しいルールがあっても、少なくとも利益相反に思われてしまう行為を防ぐことはできない。米石油大手エクソンモービル前会長のレックス・ティラーソン国務長官が石油企業に恩恵をもたらす取り決めをロシアと交わしたら、市民とメディアはどう反応するだろうか?または大手ファストフード企業の元CEOアンドリュー・パズダー労働長官が最低賃金の引き上げを阻止しようとしたら?
事業は家族の手に
トランプ大統領、マイク・ペンス副大統領とその顧問にはこの厳しいルールは適用されない。トランプ氏は1月11日に行った記者会見で、弁護士に支えられながら、哀れみを感じさせる演出で、利益相反を回避するためには何でもすると語った。だが同氏の息子たちが中核企業の経営をまかない、同氏が大統領退任後にまた企業と資産を引き継ぐことができる限り、利益相反問題はくすぶり続ける。
もし不動産業者に有利な税制が敷かれたり、ゴルフ場建設計画がトランプ氏の会社に有利になるように働けば、利益相反ましてや汚職への批判が出てくるだろう。また、顧問の活動も議論の対象になる。例えばトランプ氏の義理の息子、ジャレッド・クシュナー氏は中国の銀行と巨大取引を交わした翌日の1月10日、ホワイトハウスの上級顧問に任命された。実際に利益相反が生じているかは分からないが、メディアと市民は今後、この問題について厳しく目を光らせることになるだろう。
スイスはそこから何を学べるだろうか?まず言えるのは、このテーマが話題から消えることはなく、大西洋を越えてスイスのメディアや政治議論に影響を与えるということだ。次に、すべての政治家が扇動的に追い回されることがないよう、有益で実践的なアプローチについて我々は積極的に議論を交わしたほうがよい。
さらに、我々は「スイス流の仕上げ」、つまりすべてにおいてより正確に、より完璧に、より労力をかけるというスイスの美徳を、利益相反問題に適用してはならない。この問題に「完璧な」解決策はない。ある程度適切な解決策があるだけだ。
本記事で表明された見解は筆者のものであり、必ずしもスイスインフォの見解を反映するものではありません。スイス米国関係は経済重視
米国はスイスにとって経済的に重要な国の一つ。
輸出市場に関して言えば、米国はスイスの物品およびサービスの輸出先で第2位。米国の輸出市場の成長率は世界トップ(2011年から約50%の伸び率)。スイスから米国への輸出額はフランスとイタリアへの総計輸出額よりも大きい。
スイスで投資を行う国の中で、米国の投資額はトップ。こうした投資は、スイスが高度な専門知識やイノベーション力を維持するのに役立っている。
米国で投資を行う国の中で、スイスの投資額は第6位。人材、市場、イノベーション力におけるグローバル競争の中で、こうした投資はスイス企業にとって大変重要となっている。
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このコンテンツが公開されたのは、
2016/09/14
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