粉ミルクのマーケティングにWHOが苦言
粉ミルクは「母乳に近い」「母乳よりも優れている」――粉ミルクメーカーのこうしたうたい文句は親たちを誤った判断に導きかねないとして、世界保健機関(WHO)が約40年前に国際基準を制定した。だが基準はあまり守られていないどころか、マーケティング手法の多様化で規制はますます難しくなっている。
世界保健機関(本拠・ジュネーブ)とユニセフ(UNICEF)は2月に発表した 報告書外部リンクで、半数を超える父母と妊娠中の女性が、非倫理的で誤解を与えかねない粉ミルクのマーケティングにさらされていると指摘した。グローバルコミュニケーション会社のM&C SAATCHIが世界の父母約8500人や医療従事者約300人を対象に実施した国際調査を引用した。4月下旬には同報告書の第2弾外部リンクを発表し、こうしたマーケティングでソーシャルメディアの比重が増し国際基準による統制が聞きにくくなっていると警鐘を鳴らした。
WHOの科学者で報告書第1弾の筆頭著者であるナイジェル・ローリンズ氏は、記者会見で「問題なのはマーケティングの量だけではない」と強調した。「女性や家族が一番弱っている時に、彼らの感情や恐怖心、熱意に付け込もう」とするマーケティング手法にも同様に警戒すべきだと訴えた。
WHOは生後6カ月までは母乳のみを与え、2歳までかそれ以降も母乳を与えることを推奨する外部リンク。乳児用調整乳など母乳代替品は必要とされる・望ましい場合に入手可能であるべきだが、母乳代替品の強引で非倫理的なマーケティングが、乳児にとって最良の栄養である母乳育児に悪影響を与えると主張する。
テレビ広告や無料試供品、根拠のない科学的主張、ソーシャルメディアにおける「ママ・インフルエンサー」のスポンサーシップといったマーケティング手法は、1981年にWHOが制定した「母乳代替品のマーケティングに関する国際基準外部リンク」で禁じられている。基準制定のきっかけになったのはスイスの食品大手ネスレだ。1970年代、同社の強引なマーケティングが女性たちを母乳育児から粉ミルクに誘導したと批判された。
2月の報告書で名指しされた企業はない。だがWHOとユニセフは問題の根深さを踏まえ、業界全体に対する拘束力ある規制と罰則の強化を提唱した。国際基準に沿った法令が存在するのは25カ国のみ。スイスや2大市場の中国と米国には存在しない。
執拗な宣伝広告
ソーシャルメディアやデジタルツールを使った現代型のマーケティングで、問題はさらに深刻になった。報告書によると、企業はデータアルゴリズムを使って発信対象や宣伝文句を変え、相談窓口や子育てサロン、スマホアプリを通じてメッセージを拡散させる。ユニセフの栄養顧問グレイン・モロニー氏は「女性たちはスポンサーが誰かも知らないまま、こうしたサイトに誘導される可能性がある。その結果、乳幼児に与える食事に関する偏りのない情報にアクセスできなくなるおそれがある」と語る。
M&C SAATCHIが5大陸・8カ国で実施した調査では、父母および妊娠中の女性の51%が粉ミルクメーカーのマーケティングターゲットになったことがあると分かった。粉ミルクの宣伝文句を最も多く見聞きしたのは中国都市部の女性(97%)だ。ベトナム(92%)と英国(84%)の女性が続いた。WHOの報告書によると、こうした執拗な宣伝は女性の自信に悪影響を与える。
報告書は誤解を与えやすい宣伝文句にも注意を促した。米国食品医薬品局(FDA)など各国当局は粉ミルクを医薬品ではなく食品として規制し、原材料が健康や脳の発達に与える効果の表記に医薬品ほど厳しい論拠の提示を義務づけていない。
報告書は「粉ミルクは、母乳に近い、母乳と同等、母乳よりも優れているなどと位置づけられ」、それは「不完全な科学的証拠」に基づいていることが多いと強調する。
ローリンズ氏は、こうしたマーケティング慣行は母乳と粉ミルクを比較検討する際に客観的で事実に即した情報を入手するのを妨げ、自身にとって最適な判断をできなくすると指摘する。「多くの要因に基づいてこうした判断を下すが、それを商業的な利益関心が誘導するべきではない」
2021年に英医学雑誌ランセットで発表された調査外部リンクによると、過去20年間でほとんどの地域において完全母乳の割合が上昇した。一方で粉ミルクの売上高が増加し、ある調査によると05年から19年までに全世界の売上高は2倍以上に増えた外部リンク。
基準の歪曲
WHO国際基準の解釈や適用にばらつきがあるのは大きな課題だ。WHOは20年、いくつかのNGOと連名で10年以内に同基準に従うよう企業に要請外部リンクした。要請に応じたのはクラフトハインツと明治の2社のみで、市場の1%にしか相当しない。
ローリンズ氏はswissinfo.chに対し、「(企業は)どこも、基準のうち都合のいい部分だけ準拠していると主張し、その準拠部分をもとに基礎資料を作る。私たちの研究もそれ以外も、基準に完全に準拠している企業がないことを示している」
栄養アクセスイニシアチブ(ATNI)でも、準拠の状況に差があることが分かる。21年の指数外部リンクでは、規則への準拠率は7社のうちダノンが68%と最高だった。ネスレが57%と続いた。調査対象の中国3社(中国飛鶴、蒙牛乳業、伊利集団)は、マーケティング方針を一切公表していない。
最も差が大きかったのは▽12カ月超の子供に関する項目▽特定の国での適用▽特定の種類の製品に対する適用――だった。市場の21%を占め世界最大の粉ミルクメーカーであるネスレのマーケティング方針は、同基準に「倣って」いるものの、完全に一致してはいない。ネスレは22年末までに全ての国で、0~6カ月の乳児対象の粉ミルクの販売促進を止めると約束している。
生後6カ月から1歳頃までの子供にWHO基準がどう適用されるべきかについては、企業とNGOらとの間で激しい議論が行われている。ネスレはswissinfo.chに対し、0~12カ月児用粉ミルクに対する全世界でのマーケティング規制を支持すると語った。同社は2020年の行動要請への対応として、22年末までに全ての国で、6カ月未満児用粉ミルクの販売促進を止めると正式に約束した。
ネスレの食品・業界関係責任者、マリー・シャンタル・メシエ氏はswissinfo.chに対し、「これ(変化)は特に、規定が存在しない米国、カナダおよび日本に影響を及ぼす」と話した。同社はそれまで、ユニセフが定義する高リスク国に対してこの方針を適用したばかりだった。
英NGOベビー・ミルク・アクションのパッティ・ランダル氏は、こうした断片的なアプローチはうまくいかないと主張する。ランダル氏はswissinfo.chに対し、「12カ月が過ぎたらそれでよしにはできない。12カ月超児向け製品のマーケティングが、依然として母乳育児に悪影響を与えるだろう」と話した。
業界は強く反論する。ネスレ栄養学トップのティエリー・フィラルド氏は2年前、スイス本社でのメディアイベントで「子供はあまりにも早い時期からコカ・コーラなどの製品を与えられている上、そうした製品には規制がない。それを踏まえると、1歳児対象商品の広告規制は無意味だ」と訴えた。
企業にとっては1歳超児向けフォローアップミルクおよびグローイングアップミルクの市場が主戦場だ。Euromonitor外部リンクは、出生率の低下に伴いグローイングアップミルクが引き続き全世界で育児用ミルクの主な成長推進部門であるとの結論を示している。
ランダル氏とWHOは、こうしたミルクは不可欠ではないとの意見で一致しており、粉ミルク(0~12カ月児用)と似た種類のラベルや形状を使用することが父母を困惑させると懸念する。
全世界で国内法制定を
1980年代から英NGOベビー・ミルク・アクションのポリシーディレクターを務めるパッティ・ランダル氏は、WHO基準に準拠した国内法がなければ企業は基準の適用方法を選り好みすると指摘する。同氏はswissinfo.chに対し、「相手は巨大な多国籍企業だ。親たちにつながる道を法律が確実に遮断するようにしなければならない。彼らの健康が懸っている」と話した。
粉ミルク市場は推定約550億ドル(約6兆3千億円)とされる。世界で最も厳しい水準の法規制があるインドなどでは、粉ミルクの売上高は伸び悩んでいる。一方、中国では粉ミルクの売上高が急上昇し、現在では市場全体の半分ほど(280億ドル)を占める。中国はほぼ無規制だったが、2021年に、医療機関での粉ミルクのマーケティング禁止を提案した。
2番目に大きい市場である米国は、マーケティング規制のない58カ国の1つだ。ネスレの食品・業界関係責任者マリー・シャンタル・メシエ氏はswissinfo.chに対し、「ネスレなど一部の多国籍企業は法律よりもずっと厳格なマーケティング方針を自主的に採り入れた。状況を一変させるには、全ての国で国内法を制定する必要がある」と語った。
(英語からの翻訳・奥村真以子)
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