スイスの年金制度はこれまで比較的安定していたが、状況はそのうち変わるかもしれない
Keystone Martin Ruetschi
スイスの年金制度に崩壊の危機が迫っている。その一方でスイスの年金給付額は世界で最も高額だ。スイスのお年寄りは年金をもらいすぎているのだろうか?
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2019/04/08 08:30
スイスの年金生活者は恵まれている。12カ国を対象としたUBSの調査外部リンク (International Pension Gap Index)によると、自分で貯めた老後資金の割合が調査対象国の中で断トツに低かったのはスイスだった。世界で最も生活費が高い国にもかかわらずだ。スイスではフルタイムで一生働いた人には、比較的安定した年金生活が待っている。
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緻密に設計されたスイスの年金制度は、三つの柱から成る。
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リスクを分散
「スイスの年金制度は、財源を異にする3本の柱から成り立ち、国外では決まって手本にされる」と語るのはチューリヒ大学のトマス・ゲヒター教授外部リンク (社会保障法)だ。「モデルとしては優れているが、残念ながら完成していない」と付け加える。その理由は、一つ目の柱(公的年金)に対する国の財政支出があまりにも少ない上、老齢・遺族基礎年金(AHV)だけでは今のスイスで暮らしていけないからだという。
そして、積立方式の二つ目の柱(企業年金)は低利子が続く。企業年金では安全性の高い運用が行われるが、運用利回りが低いと、約束の年金額を給付するための資金が足りず、年金基金は財源不足に陥る。
この問題は高齢化が進むにつれて深刻化し、特に一つ目の柱を直撃する。現在はベビーブーム世代に加え、人口の多い次の世代が定年を迎えようとしている。スイス人の多くが年金の受給開始年齢を繰り上げ外部リンク ているうえ、スイス人の平均寿命は世界的に高い。現状を一言で表すと「時限爆弾がカチカチ音を立てている状態だ」(ゲヒター教授)。
こうした状況に直面しているのは、スイスだけでなく多くの産業国も同じだ外部リンク 。「まず他の国が危機に陥るだろう」とゲヒター教授は予想する。なぜならスイスは財源が異なる三つの柱でリスクを分散させているからだ。この制度にはメリットがあるが、スイスでも遅かれ早かれ状況は悪化すると教授は考える。
高すぎる年金給付額
実際、年金者天国のスイスでも雲行きは怪しくなってきた。多くの企業年金が後の世代の給付額を減額したからだ。
ただ、こうした修正は必要だ。なぜなら企業年金が近年約束する給付額があまりにも多いからだ(ちなみに現在の給付金は調整できない。囲み欄参照)。ゲヒター教授は「ここ数年間で年金生活に入った世代は、支払った額よりも多くの年金が死ぬまでもらえる最後の世代だ」と話し、X世代は年金の「納め損世代」だと指摘する。「X世代は多額を納めたのに、受け取れる額は納めた額よりも少ない。年配者の年金の一部を負担したのだ」
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企業年金を変動年金にする案
そして企業年金ではいまだ10億フラン(約1千億円)単位の規模で、現役世代・雇用主と年金受給者との間で意図せぬ所得再分配外部リンク が行われている。その額は年平均70億フラン以上、年金給付総額の約25%に当たる。企業年金は公的年金とは異なり、本来ならば再配分は行われないはずだ(囲み欄参照)。
こうした問題を受け、公平な年金制度の導入を求める市民らが国民投票を提起し外部リンク 、今月から投票成立に必要な署名を集めている。発起人は年金生活者のヨゼフ・バッハマンさん。以前はある企業年金の理事長を務めていた。今回提案したのは、年金給付額を運用収益に応じて調整する制度だ。株式市場が好調なら給付額は上がり、不調ならば少なくなるというものだ。
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提案では、給付額は人口構造の変化と物価上昇に応じて調整される。そのため提案が実現すれば、現在の年金受給者が受け取る年金が減額される可能性もある。このような制度はスイスで前例がない。「変動年金では基本として、あらかじめ決められた年金額が生涯にわたって支払われるわけではない」とバッハマンさん。将来の年金給付額を約束することは必ず再分配につながり、大抵の場合は若者の負担となるという。「この不公平な状態が深刻化している。対処が必要だ」
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年配者の意向が決め手か
提案の実現にはハードルが一つある。それは、国民投票では若者よりも中高年の票の方が圧倒的に多い ということだ。その背景には人口構造の問題だけでなく、若者の投票離れもある。
それでもバッハマンさんは自信に満ちている。「多くの年配者から支持を取り付ければ、この提案が可決される見込みはある。年配者にも理解力はあり、寛大な心を持っているのだ」
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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