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パーティーよりも社員食堂を愛したロレックスの元幹部、死去

The ancient patron of Rolex
故ハリー・ボレ氏 Marc Schibler

世界的にも知名度が高いスイスの高級腕時計メーカー、ロレックスで過去に長年、幹部として経営に関わったハリー・ボレ氏が先週13日、スイスのビール(ビエンヌ)で死去した。89歳だった。

 ボレ氏は1967年から2001年にかけて、ロレックスの幹部に就任。その経営手腕によって同社の従業員数は150人から2500人規模へと拡大した。

 2012年には出身地のビール(ビエンヌ)州から名誉市民の称号が与えられ、授与のスピーチでは「私はただ私の仕事をしただけ。家族が代々引き継いできた仕事なので」と謙虚な語り口調で感謝を表した。公の場に出ることはほとんどなく、取材を受けることも少なかったが、ごくたまに地元紙の取材を受けた。社交イベントに参加することもなかったという。

 ボレ氏を取材したことのあるマリオ・コルテシ氏は、「社員食堂で従業員と過ごす時間のほうに重きを置いていた。そこで交わされる会話からアイディアを広げていった」と話す。

乗り越えた時計危機

 ボレ家は代々、時計産業に関わってきた。ボレ氏の父親はビールにある時計ムーブメント会社Aegler社の社長だった。1930年、彼はのちにロレックスの「パーペチュアル機構」の基盤となる、初の自動巻ムーブメントをデザイン。1944年には、ロレックスの経営に参画した。

 法律と経済学の博士号を取得したハリー・ボレ氏は1967年、父親の跡を継ぎロレックスの幹部に就任。スイス時計は国際市場で競争するには高価だったため、1970年代はスイス時計業界全体が危機に瀕した。しかし、ボレ氏は複雑な機械式の時計に重点を置くことでその危機を乗り越えた。

 ボレ氏は地元紙の取材に対し、「私たちは自動、機械式時計の危機は経験していない。機械製作・時計製作部門で何かを削減する必要には迫られなかった」と、当時を振り返っている。

 2004年、ビールにあるワークショップをジュネーブの財団に売却。その売却値は20億フラン(約2286億円)を超えるといわれている。


(英語からの翻訳・大野瑠衣子)

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