ここがポイント 2021年のスイス政治
コロナ危機が終息したとしても、2021年はスイスにとって回復の年とはならないだろう。外交関係では枠組み条約を巡って欧州連合(EU)と争うことになるかもしれない。国内政治ではブルカ着用禁止の是非について泥沼の議論が繰り広げられるだろう。ジュネーブに拠点を置く世界貿易機関(WTO)や世界保健機関(WHO)にとっても今後を左右する重大な年となる見込みだ。
2020年の国内政治は「責任ある企業イニシアチブ(国民発議)」の是非を巡る国民投票で幕を閉じた。この投票を巡っては賛成派と反対派が大接戦を繰り広げ、最終的に僅差で否決された。白熱した政治論争は年が明けてからも巻き起こりそうだ。3月7日に行われる21年最初の国民投票では、公共の場でのブルカやニカブの着用を禁止するイニシアチブの是非が問われる。世界中のメディアから注目を浴びるのは必至だろう。
17年にこのイニシアチブを起案したのはスイスの右翼団体、エーガーキンガー委員会外部リンク。09年に国民投票で57.5%の賛成で可決された「ミナレット建設禁止イニシアチブ」を率いた組織だ。今回は伝統的な保守派や国粋主義者以外からも支持を得られる見込み。スイス・フランス語圏ではイニシアチブを支援する目的で、すべての政党代表者から成る委員会がすでに発足している。この委員会は男女平等を訴え、スイスにイスラム原理主義が台頭することへの危機感を煽っている。
こうしたもっともらしい主張により、連邦政府、連邦議会の多数派、人権擁護団体の「同案は女性の立場を擁護する点で無意味であり、逆効果」という反論は有権者にあまり響かないだろう。特に近年はブルカの着用禁止が広がりをみせている。フランス、ベルギー、デンマーク、オーストリアなどの欧州諸国のほか、スイスのティチーノ州とザンクト・ガレン州でも着用禁止の法律が施行されている。
このイニシアチブの公式な名称は「ベール着用禁止に賛成」と単純なものだ。スイスの人々が今年の夏から事実上すべての公共空間でマスクを着用しているにもかかわらず、この案件が国民投票にかけられるとは何とも皮肉。パンデミックが国民投票の結果にどう影響するかは未知数だ。
農薬は社会にとって大きな課題
21年はイニシアチブに好機の年となるだろうか?イニシアチブが国民投票で可決される確率は全般的には低い(可決されるのは10件中たった1件)。だがある2件に関しては時代の流れを味方につけて可決される公算がある。どちらのイニシアチブも、スイスだけでなく世界中の消費者が大きな関心を寄せる「合成農薬」を取り上げたものだ。
1つ目は、スイスの農業における農薬の使用禁止および農薬を含む食品の輸入禁止を目指すイニシアチブ「合成農薬なきスイスのために」だ。2つ目は、農薬や抗生物質を使用する農家への直接補助金の減額を目指すイニシアチブ「きれいな飲み水と健康的な食べ物のために外部リンク」だ。
どちらの提案も過激な内容だが、有権者の間では両案に賛同する声が高まっている。そのため、農業や農薬業界の代表者が激しい反対キャンペーンを繰り広げても、支持のうねりに対抗できる保証はない。過去を振り返ると、スイスの有権者は食べ物に関してはとりわけ神経質だ。05年には遺伝子組み換え作物の5年間の栽培禁止が国民投票で可決された。
年金改革はスイス政治の難題
今年は連邦議会も国民同様に忙しくなりそうだ。議員たちが集中的に取り組むことになる最重要課題の一つが、年金制度改革だ。連邦政府は19年の国民投票で改革案が否決されたことを受け、女性の定年年齢を再度引き上げる老齢基礎年金改革案を再び推進することにしている。
新型コロナウイルスのワクチンはすでに発注済みであり、スイスでは全人口に十分な量のワクチンが確保される見込みだ。そのためワクチン接種が本格的に始まっても接種の優先順位を巡る争いは起こらないだろう。そんな富裕国のスイスはパンデミック初期にマスク不足に陥り、マスクを買うために大金をはたいた。具体的には、深刻なマスク不足を理由に1枚2フランのFFP2規格適合マスクを1枚10フランで購入した。こうしてこのマスクを中国から供給した2人の若き実業家は一夜にして億万長者になり、自分たちへのご褒美に高級車を購入した。ただ、新型コロナとの戦いが始まってから1年が経過した今、スイスもこの件に関しては経験を積んだ。
だが価格を巡る議論はすぐには下火にならないだろう。議論の中心は命の値段、健康の値段なのだ。国民の健康を守ることに何十億フラン費やしてもよいのだろうか?別の言い方をすれば、高齢世代の健康、もしくは体の衰えた人の健康を守ることにどれほどの金額を支出してもよいのだろうか?こうした問題を批判的にとらえているのがチューリヒ大学のフルーリン・コンドラウ教授(医学史)だ。同氏は、命を価値あるものと無価値なものに分ける闇の教義である優生学の思想がスイスで表面化しつつあると指摘する。政府が「全国規模での厳格な都市封鎖(ロックダウン)を回避できるのであれば、65歳以上の年齢層で死亡者数が高くても致し方ない」との態度を示していることが背景にあるという。
他の世代と比較して高齢世代の死亡率が記録的に高いことを考えれば、コンドラウ氏の主張にはうなづける。だが皆が皆、高齢者の健康をないがしろにしたわけではない。多くの若者は自制し、謙虚さと連帯感を示した。自制を強制され、不機嫌になる若者もいたが、全体的には規律的だった。新型コロナの代償を払うのも若者だ。自分のせいではないのに代償を払わなければならないという点では気候問題も同様だ。今後はこれまでのツケが回ってくる時代となり、タダでできるのは批判することくらいだろう。重い負担への危惧はあるが、私たちにはコロナから学んだ確かな希望がある。それは、一緒に、みんなで、1人1人のために取り組めば困難を乗り越えられるということだ。
連邦内閣は11月、年金制度の第2の柱である企業年金制度の見直し案をまとめた。来年はこの案に対して連邦議会の審議が始まる。この件に関しては、新型コロナ対策でここ数カ月はメディアに出ずっぱりだったアラン・ベルセ内相の人気が試されるだろう。連邦議会には年4回の会期があるが、こうした議題を巡る議論で議会は1年を通し活気にあふれるだろう。新型コロナの流行が沈静化するまで、議論は今後もプレキシガラスをあちこちに張り巡らした連邦議事堂内で行われる予定だ。
21年のスイスの外交政策では、EUとの枠組み条約という難題が小休止を経て再び焦点になるだろう。条約の草案が2年前に作成されてから今まで何の進展もない。保守系右派の国民党が提起した「移民制限イニシアチブ」が9月の国民投票で否決されたため、スイス・EU関係が泥沼化する事態は避けられた。連邦政府は10月、首席交渉官をロベルト・バルザレッティ氏からリヴィア・ルー駐仏大使に交代させた。EUとの交渉に新しい風を吹き込むための人事だったことは明らかだった。
しかし新たな交渉に向けて慌ただしく準備しているのはスイスだけのようだ。EU側の交渉官のポストは現在空席だ。周知のとおり、スイスとEUは賃金保護、国の補助金、人の移動の自由、仲裁機関を巡って長年合意できていない。これまでに両国が歩み寄りをみせることはなかった。交渉に失敗した主席交渉官のリストはまるでスイス外交の名士録のようだ。イヴ・ロシエ氏、ジャック・デュ・ワットウィル氏、パスカル・ベリスヴィール氏は皆、強硬姿勢を崩さないEUとの交渉で敗北した。スイス国内では左派、右派、中道派と幅広い政党が草案に反対している。そのため大幅に修正されない限り草案が国内で受け入れられる見込みはまずないだろう。こうしたことから、今後も混とんとした状況が続くとみられる。
移民問題で新たな混乱が起きるか
EU内で協議が難航している移民協定は、スイスに間接的な影響を与えるとされる。12月最後のEU議会では、域内における難民申請者の分配などの争点を巡ってポーランドとハンガリーなどから猛反対が起き、またもや合意に至らなかった。欧州では「移民」が21年に再び大きなテーマとなるだろう。新型コロナのパンデミックが克服できれば、来夏には移民の急増が見込まれる。それにより予期せぬ結果が引き起こされる可能性がある。コロナ危機は国家主義の強化や、EU加盟国が再び国境管理を行うことのきっかけとなった。特に移民の流入が多い南欧諸国は厳格な国境警備の維持に努めるだろう。(移民急増で暴動が起きた)レスボス島のように混乱や人道上の大惨事が起きる懸念が高まっている。
あまり話題にならない分野でも「移民」はスイスの外交政策に影響を与えるだろう。21年から始まる新国際協力戦略では、開発援助が地理的に限定され、移民政策と結びつけられる。スイスは南米とカリブ海地域での開発協力を24年までに段階的に中止し、資金を別の地域に再配分する予定だ。北アフリカ、中東、東欧、中央および東南アジアが重点地域に置かれる。スイスは長い伝統として、平和と人道的関与の推進国として世界にアピールしてきた。平和と人道的関与の推進は20~23年の外交戦略でも目標に定められている。こうした目標を掲げるのには、23~24年の国連安保理非常任理事国の候補国としての立場を強化する狙いもある。
スイスと超大国
外交政策の大きな課題は他にもある。それは世界の超大国である米国と中国に対するスイスの立ち位置を新たに定めることだ。次期大統領にジョー・バイデン氏が決まったことで、米国の外交政策は大きく転換する見込みだ。特にスイスが伝統的に深く関与してきた近東政策に影響が出るとされる。また、スイス政府は制裁を避けるために、米国に赴いてスイス国立銀行(中央銀行)の為替介入について説明することになるだろう。フラン高の継続と輸出品の価格増加を防ぐためにはスイス中銀の為替介入は理屈抜きに必要だった、というのがスイス側の見解だ。
連邦政府の対中新戦略では繊細な感覚が求められる。左派のイグナツィオ・カシス外相は今年半ばに中国に批判的な発言をし、経済団体から激しい批判を浴びた。スイスはこれまで主に経済関係を優先し、人権問題は法的拘束力のない対話に留めてきた。左派政党は「肝心なところが話し合われていない」と批判している。連邦政府が今後、中国に対し毅然(きぜん)とした態度を取れるかどうかは注目したいところだ。スイス政府は最近、物議を醸していた中国との再入国協定の期限を延長しなかったが、これにより国内の政治圧力が和らいだ。
21年はジュネーブの国際機関にとって、特にWHOやWTOなどといった課題を多く抱えるいくつかの機関にとって重大な変化の年となるだろう。世界政治の中心地であるジュネーブでは、国際的な平和構築への取り組みと同時に、移民問題や人道問題への対処も求められる。とりわけ米中対立がどう変化するかは、この町がハブ役を務め続けるための試金石となりそうだ。ジュネーブに拠点を置く国連やNGOなどの機関にはさらに資金調達という重大な問題が待ち構える。そして新型コロナに関して言えば、国際交渉の場ジュネーブと、この町が世界に与える影響は、パンデミックを機に永久に変化してしまったかもしれない。
米国との新たなスタート
米国に新政権が誕生することを受け、疲弊した国際機関の多くは米国からの新たな支援に期待を寄せる。またトランプ氏から受けてきた圧力が終わることに期待をかける。しかしバイデン政権の発足で一夜にしてすべてが変わることはあり得ず、WTOなどの機関には改革圧力が強まっている。貿易紛争を仲裁するための効果的な裁判制度なしに、WTOは今後も存続していけるのだろうか?中国と途上国は今後、WTOにどう関わっていくだろうか?WTOは21年初めに新しい事務局長を迎える。1つ確かなことは、初めて女性が事務局長に就任することだ。
WHOはトランプ氏からは特に「新型コロナのパンデミック下では中国に対してあまりにも従順になっている」と非難された。だが、ワクチン接種で途上国が取り残されないための国際的な枠組み「COVAX(コバックス)ファシリティー」を主導し、ワクチンの確保に努める。最初のワクチン接種が開始される段階で、WHOのイメージがCOVAXを機に回復するかどうかは是非注目したい。他にもWHOの主導で国際的な病原体に関する情報交換制度を立ち上げる計画がある。その目的は「グローバル公共財としての治療法の迅速な開発を容易にする」ためだと、テドロス・アダノム事務局長は述べている。
デジタル化への対応
21年にはデジタルに関するテーマも重要になるだろう。パンデミック下で導入された在宅勤務やデジタル外交には限界もあることが示されたが、一部ではコスト削減につながっている。ジュネーブの国際機関で働く人々は来年、これにどう対処していくだろうか?国際交渉の場ジュネーブはデジタル政策立案、デジタル倫理、データ管理、サイバーセキュリティのためのプラットフォームとしての地位を確立しようとしている。果たしてその目論見は成功するだろうか?今後の動向に注視したい。
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
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