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魅力溢れる「死の壁」、アイガー北壁

アイガー北壁に挑戦中の登山隊をグリンデルワルトから双眼鏡で見守ることができる Keystone

アイガー北壁、またの名を「死の壁」。登攀(とうはん)が困難で危険な北壁として世界的に知られた存在だ。困難と知りつつも、もしくは困難だからこそ登攀に挑む登山家は多く、現在日本でも女性タレントの挑戦をきっかけに関心が高まっている。そこでスイスインフォは、これまでのアイガー北壁に関する取材記事を振り返るとともに、アイガー北壁登頂の何が困難なのか、そしてアイガー北壁にしかない魅力が何かを探った。

 アイガー北壁。ドイツ語で北壁を意味する「Nordwand」の頭文字を変え「Mordwand(死の壁)」とも呼ばれるこの岩壁は、グランドジョラス北壁、マッターホルン北壁と並び、登頂が困難な3大北壁の一つに数えられる。岩壁の高さは1800メートル、頂上の標高は3970メートルで、最もスタンダードなヘックマイヤー・ルートでさえも国際基準外部リンクで2番目に難しい「超難関2(Extrêmement Difficile2)外部リンク」に定められている。

 山岳ジャーナリストのライナー・レットナー外部リンクさんの最新データによれば、アイガー北壁で死亡した登山家は2013年7月までで71人。スイス国内外でよく知られる事故には、救助隊のわずか数メートル上で力尽きたトニ・クルツの悲劇や、登山者の遺体が2年間もザイルにぶらさがったまま放置されたクラウディオ・コルティの遭難事故がある。

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アイガー悲劇の記憶

このコンテンツが公開されたのは、 今から50年前、アイガー登山史上初めての救助活動が世界の注目を浴びた。北壁で遭難した4人のうち、生還したのはクラウディオ・コルティ隊員1人だけだった。

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 レットナーさんとコルティ遭難事故に関する共著を持つダニエル・アンカー外部リンクさんは、遭難事故があった当時はスイス中が固唾を呑んで見守っていたと話す。

 「アイガー北壁はマッターホルン北壁やほかの壁のように奥に隠れておらず、(グリンデルワルトの)近く真正面にどんとそびえ立っている。そのため事故発生当時、人々はグリンデルワルトから登山隊を双眼鏡で観察していた」(アンカーさん)

 「登山家の名刺に『アイガー登攀』と書き込むことがステータスとなっている」と過去のインタビューでスイスインフォに語った日本人登山家の加藤滝夫さんも、アイガー北壁で九死に一生を得た経験をしている。

登攀するなら冬

 これまで数々の登山家に危険や困難を強いてきたアイガー北壁。登攀で最も問題となりうるのは、という記者の問いに、アンカーさんとレットナーさんはこう口をそろえる。「天気と落石だ」

 まず夏の山の天気は変わりやすい。それに加え、アイガー周辺の天気がさほど悪くなくても、標高が高い場所では全く違う風景が広がることもある。そして問題は、高さ1800メートルの壁は凶暴な風や嵐を真正面から受けてしまうことだ。

 これまでにアイガー北壁を43回登攀したスイス人登山家のロジャー・シェリ外部リンクさんは、アイガー北壁登攀中の悪天候について、「天気が安定しない時は、引き返すか早めに次へ進むか、迅速な判断をする。それでも悪天候に見舞われてしまった場合は、何もない場所や稜線を避け、鉄製のものから離れ、ただじっとしているしかない」と話す。

 そして、落石のリスクはそのような天気の変化から高まる、とアンカーさんは語気を強める。

 レットナーさんはこう話す。「落石のリスクがあるため、成功した登攀の95%は冬に行われている。ヘックマイヤー・ルートのようなオーソドックスなルートを夏に挑戦する登山家は稀で、秋になり雪が固まって、気温も下がり安定した頃に登山家たちが姿を見せるようになる。西側にある比較的新しいルートは、夏でも落石の危険性が少ないことから夏に挑戦する登山家はいるが」

横へスライド

 もちろん、天気が良ければすべてが安全で大丈夫というわけではない。アイガー北壁に挑むためには、登山家としての体力や技術は必要不可欠だ。

 「アイガー北壁では、横へスライド移動する動きがある。普通であれば、上から経験豊富な登山者が他の登山者を引き上げ、少しずつ助けながら登っていくという手もあるが、アイガー北壁にはそれが出来ない場所がいくつかある」(アンカーさん)

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 また、登っている途中で何かあったときに避難できる場所を見つけるのも難しい、とアンカーさん。すぐにどこかで休憩したり来た道を戻ったりできないため、登山家としての十分な体力も求められるという。

他にはないアイガー北壁の魅力 

 それでもアイガー北壁に魅了され、1938年の初登攀から多くの人々がこの「死の壁」に挑んできた。一度では飽きたらず、これまでに何十回と北壁を登攀した前出の登山家シェリさんや、2015年に世界最短登頂記録を更新した登山家のウエリ・シュテック外部リンクさんなど、北壁が持つ危険な面や登攀の大変さに逆に獲りつかれた登山家も多い。

 シェリさんは「アイガー北壁が持つドラマや歴史、その大きさ、全てが魅力的だ。またむき出しの自然でありながらも文明のすぐそばにそびえ立っているところもいい」と話す。

 登録を必要としていた1938~69年に登攀に成功した登山隊はおよそ100組。スイスアルペンクラブ(SAC)外部リンクによれば、それ以降に登攀に挑戦した登山家数は公式に記録されていないが、その数は数千人に上るとレットナーさんは予想する。

 アイガー北壁の最大の魅力は、という記者の問いにアンカーさんはこう答える。

 「アイガー北壁の魅力はその『舞台』性にある。この『舞台』を登る登山家たちの姿は、下のグリンデルワルトから双眼鏡で眺めることができる。またその『舞台』に上がっている登山家たちは、登っている最中に電車が通る音や、グリンデルワルトの牧草地にいる牛のカウベルを聞くことができる。アイガー北壁の中を登山鉄道が通っていることも特別だ。それはまるでバックステージのような存在だ。これもまた、私がアイガー北壁を『舞台』と呼ぶ所以だ」

1938年7月24日、ドイツ人のアンデール・ヘックマイヤーとルートヴィヒ・フェルク、オーストリア人のハインリヒ・ハラーとフリッツ・カスパレクが3日半掛けアイガー北壁の初登頂に成功。初登頂以前は9人が挑戦中に命を落とした。独墺チームによるアイガー北壁初登頂は、ナチス幹部らにプロパガンダ目的で利用されたこともあった。

1921年:「世界のマキ」こと登山家の槙有恒(まき ゆうこう)が27歳のときに東山稜を日本人として初登攀

1969年:加藤滝男、今井通子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進、原勇で構成された登山隊が「日本直登ルート」の開拓に成功。日本直登ルートは頂上に対してもっとも直線に近いルート

アイガー北壁があるグリンデルワルトは日本人観光客がよく訪れる観光地として有名。

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