アイガー北壁、またの名を「死の壁」。登攀(とうはん)が困難で危険な北壁として世界的に知られた存在だ。困難と知りつつも、もしくは困難だからこそ登攀に挑む登山家は多く、現在日本でも女性タレントの挑戦をきっかけに関心が高まっている。そこでスイスインフォは、これまでのアイガー北壁に関する取材記事を振り返るとともに、アイガー北壁登頂の何が困難なのか、そしてアイガー北壁にしかない魅力が何かを探った。
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2004年から日本およびスイスの映像・メディア業界で様々な職務に従事。
アイガー北壁。ドイツ語で北壁を意味する「Nordwand」の頭文字を変え「Mordwand(死の壁)」とも呼ばれるこの岩壁は、グランドジョラス北壁、マッターホルン北壁と並び、登頂が困難な3大北壁の一つに数えられる。岩壁の高さは1800メートル、頂上の標高は3970メートルで、最もスタンダードなヘックマイヤー・ルートでさえも国際基準外部リンクで2番目に難しい「超難関2(Extrêmement Difficile2)外部リンク」に定められている。
山岳ジャーナリストのライナー・レットナー外部リンクさんの最新データによれば、アイガー北壁で死亡した登山家は2013年7月までで71人。スイス国内外でよく知られる事故には、救助隊のわずか数メートル上で力尽きたトニ・クルツの悲劇や、登山者の遺体が2年間もザイルにぶらさがったまま放置されたクラウディオ・コルティの遭難事故がある。
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レットナーさんとコルティ遭難事故に関する共著を持つダニエル・アンカー外部リンクさんは、遭難事故があった当時はスイス中が固唾を呑んで見守っていたと話す。
「アイガー北壁はマッターホルン北壁やほかの壁のように奥に隠れておらず、(グリンデルワルトの)近く真正面にどんとそびえ立っている。そのため事故発生当時、人々はグリンデルワルトから登山隊を双眼鏡で観察していた」(アンカーさん)
「登山家の名刺に『アイガー登攀』と書き込むことがステータスとなっている」と過去のインタビューでスイスインフォに語った日本人登山家の加藤滝夫さんも、アイガー北壁で九死に一生を得た経験をしている。
登攀するなら冬
これまで数々の登山家に危険や困難を強いてきたアイガー北壁。登攀で最も問題となりうるのは、という記者の問いに、アンカーさんとレットナーさんはこう口をそろえる。「天気と落石だ」
まず夏の山の天気は変わりやすい。それに加え、アイガー周辺の天気がさほど悪くなくても、標高が高い場所では全く違う風景が広がることもある。そして問題は、高さ1800メートルの壁は凶暴な風や嵐を真正面から受けてしまうことだ。
これまでにアイガー北壁を43回登攀したスイス人登山家のロジャー・シェリ外部リンクさんは、アイガー北壁登攀中の悪天候について、「天気が安定しない時は、引き返すか早めに次へ進むか、迅速な判断をする。それでも悪天候に見舞われてしまった場合は、何もない場所や稜線を避け、鉄製のものから離れ、ただじっとしているしかない」と話す。
そして、落石のリスクはそのような天気の変化から高まる、とアンカーさんは語気を強める。
レットナーさんはこう話す。「落石のリスクがあるため、成功した登攀の95%は冬に行われている。ヘックマイヤー・ルートのようなオーソドックスなルートを夏に挑戦する登山家は稀で、秋になり雪が固まって、気温も下がり安定した頃に登山家たちが姿を見せるようになる。西側にある比較的新しいルートは、夏でも落石の危険性が少ないことから夏に挑戦する登山家はいるが」
横へスライド
もちろん、天気が良ければすべてが安全で大丈夫というわけではない。アイガー北壁に挑むためには、登山家としての体力や技術は必要不可欠だ。
「アイガー北壁では、横へスライド移動する動きがある。普通であれば、上から経験豊富な登山者が他の登山者を引き上げ、少しずつ助けながら登っていくという手もあるが、アイガー北壁にはそれが出来ない場所がいくつかある」(アンカーさん)
また、登っている途中で何かあったときに避難できる場所を見つけるのも難しい、とアンカーさん。すぐにどこかで休憩したり来た道を戻ったりできないため、登山家としての十分な体力も求められるという。
他にはないアイガー北壁の魅力
それでもアイガー北壁に魅了され、1938年の初登攀から多くの人々がこの「死の壁」に挑んできた。一度では飽きたらず、これまでに何十回と北壁を登攀した前出の登山家シェリさんや、2015年に世界最短登頂記録を更新した登山家のウエリ・シュテック外部リンクさんなど、北壁が持つ危険な面や登攀の大変さに逆に獲りつかれた登山家も多い。
シェリさんは「アイガー北壁が持つドラマや歴史、その大きさ、全てが魅力的だ。またむき出しの自然でありながらも文明のすぐそばにそびえ立っているところもいい」と話す。
登録を必要としていた1938~69年に登攀に成功した登山隊はおよそ100組。スイスアルペンクラブ(SAC)外部リンクによれば、それ以降に登攀に挑戦した登山家数は公式に記録されていないが、その数は数千人に上るとレットナーさんは予想する。
アイガー北壁の最大の魅力は、という記者の問いにアンカーさんはこう答える。
「アイガー北壁の魅力はその『舞台』性にある。この『舞台』を登る登山家たちの姿は、下のグリンデルワルトから双眼鏡で眺めることができる。またその『舞台』に上がっている登山家たちは、登っている最中に電車が通る音や、グリンデルワルトの牧草地にいる牛のカウベルを聞くことができる。アイガー北壁の中を登山鉄道が通っていることも特別だ。それはまるでバックステージのような存在だ。これもまた、私がアイガー北壁を『舞台』と呼ぶ所以だ」
1938年7月24日、ドイツ人のアンデール・ヘックマイヤーとルートヴィヒ・フェルク、オーストリア人のハインリヒ・ハラーとフリッツ・カスパレクが3日半掛けアイガー北壁の初登頂に成功。初登頂以前は9人が挑戦中に命を落とした。独墺チームによるアイガー北壁初登頂は、ナチス幹部らにプロパガンダ目的で利用されたこともあった。
1921年:「世界のマキ」こと登山家の槙有恒(まき ゆうこう)が27歳のときに東山稜を日本人として初登攀
1969年:加藤滝男、今井通子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進、原勇で構成された登山隊が「日本直登ルート」の開拓に成功。日本直登ルートは頂上に対してもっとも直線に近いルート
アイガー北壁があるグリンデルワルトは日本人観光客がよく訪れる観光地として有名。
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今年のグリンデルワルトはアイガー一色だ。1828年のアイガーの洞穴の発見後、ちょうど30年たっての1858年の初登攀 ( とうはん ) から150周年、北壁初登攀の1938年から70周年と記念すべき年が重なり、5月30日には第1回アイガー賞も授与された。
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1921年、27歳でアイガー東山稜を初登攀し「世界のマキ」と称された槇有恒 ( まきゆうこう、1894〜1989年 ) は、いまでもグリンデルワルト ( Grindelwald )に愛されている日本人登山家である。その後も登山界に広く貢献し、62歳になって8000メートル峰のマナスル初登頂 ( 1952年 ) にも導いた、日本登山界の第一人者である。
槇有恒は、アイガーに挑戦するため第1次世界大戦が終結して間もなく、ベルン州グリンデルワルトにじっくりと滞在し、地元の人々と深く交流した。彼の登山ガイドの1人であるサムエル・ブラヴァンド氏 ( 1898〜2001年 ) の孫、マルグリット・ブラヴァンドさん ( 52歳 ) に、槇有恒とグリンデルワルトの関係を語ってもらった。
本日12月4日から、槇有恒の著作の1つ『わたしの山旅』の抜粋の朗読 ( 朗読 戸村由香 ) を2日おきに更新し、32回にわたり連載します。スイスと深い関わりのあった槇有恒の目を通して見る、85年前のスイスをご堪能下さい。朗読はmp3にダウンロードも可能です。また、サムエル・ブラヴァンド著『槇有恒を偲んで』( 翻訳 小山千早 ) は全文でお読みいただくことができます。
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「遊びが仕事になったのは確かです」と笑うのはスイス高所山岳ガイドの資格を持つ加藤滝男(たきお/62歳)氏。「遊び」でスイスのアイガーに会いにきたのは40年前。加藤氏が率いる日本隊6名がアイガー北壁の初登攀という偉業を果たしたのは1969年で、前人未踏の直登ルートを開拓した。それまで、登った人は30人、死んだ人も30人という「魔の山」への挑戦だった。これが彼の人生を変えることになる。
この壮絶なドラマは新田次郎の小説、『銀嶺の人』(新潮文庫、上下)のモデルにもなった。加藤氏をモデルにした隊長の佐久間博なる「強引な山男」を想像していたら、感じの良い紳士が現れた。還暦を越えているはずの加藤氏だが10歳は若く見える。現役のガイドだからか、動きが若々しいのだ。
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8月18日の正午頃、ベルナーオーバーランドにあるアイガーの東壁の一部が崩れ落ちた。落下した部分は5万立方メートルの巨大な塊で、大きさにしておよそ50軒分の家に相当するという。
2年前にも70万立方メートルの塊が落下しており、原因は温暖化による氷河の後退と溶解のせいだという点で地質学者の見解は一致している。
100万立方メートルの巨大な岩壁が移動
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この壁の移動部分からは、過去2年間にも岩が少しずつ連続的に落下しているが、落下地点は氷河の下方部にあたり、大きな被害は出ていない。またグリンデルワァルトの村でも、砂埃が降ったりはするが、今の所住民に特別な被害はなく、こうした落下現象を冷静に受け止めているという。
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