家族ともう少しだけ 安楽死を思いとどまった日本人
この夏、もう一人の日本人が安楽死を求めてスイスにやってきた。6歳から神経難病に苦しんできたくらんけさん(30、仮名)だ。だが最後の瞬間、家族を思って自死を踏みとどまった。
コップの中の液体をストローで吸い込んだ。ひどく苦い味が、舌の上に広がる。
目の前にいる父親が強い力でくらんけさんの左手を握る。目を真っ赤にして、最期を見届けようとしている。
その瞬間、自分を育て、守ってくれた両親、姉2人、そしてペットの犬の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。強い罪悪感に襲われ、どうしても液体を飲み込むことができない。
涙が止まらない。呼吸が荒くなり、何度も咳き込む。
薬物は一気に飲み干さないと逆に危険が伴う。プライシヒさんが心配そうに「どうしたの」と尋ねる。くらんけさんは「家族のことを考えると…」と切れ切れに答えた。
不治の病
くらんけさんは、九州地方で両親と暮らす。6歳で神経難病と診断された。両脚は太ももから下、両腕は右手首を除きひじから下が動かない。一人で立つこと、歩くことはできない。両親と暮らす実家で母親の介護を受けながら、寝たきりとほぼ変わらない生活を送る。
14歳までには可能な治療法をやり尽くした。20代の大半を入院治療に費やしたが、目立った効果はなかった。主治医からは完治の見込みがないことをはっきりと告げられた。
投薬を続ければ生死に関わる病気ではない。だが末期がんなどと違い、終わりがないことが余計に辛かった。「この先ずっと、他人の世話になる一生は嫌だ」。5年ほど前から自殺を考え始めたが、首を吊りたくても誰かにひもを結んでもらわなければならない。安楽死が禁止されている日本では、自殺をほう助した人が罪に問われてしまう。
合法的に死ねる方法はないかとたどり着いたのが、スイスの自殺ほう助団体ライフサークルだった。2019年9月に自殺ほう助を希望する書類を提出し、翌月、ほう助を了承する旨の連絡を受けた。
病気がきっかけで「両親の人生設計が狂ってしまった」とくらんけさんは自分を責める。母親は近所に住む自分の父母、そしてくらんけさんの3人の世話に追われる生活に。ヘリコプターの操縦士だった父親は53歳で定年退職したが、高額な医療費を賄うために民間の会社に再就職し、67歳になる去年まで働いた。
「私さえいなければ経済的負担を感じることもなく、夫婦水入らずで旅行したり趣味に時間を費やしたり、もっと別の人生があったはずなのに」
家族には、2019年2月に安楽死したいと打ち明けたが、全員から反対された。両親は「一生懸命育ててきたかけがえのない存在だ。死んでほしくない」と懇願した。
2020年3月にほう助自殺の予約を入れたが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)で渡航制限がかかり、幾度も延期を余儀なくされた。家族との話し合いも平行線をたどった。
隣県に住む姉2人は、半年ほど前から週末になると毎週、実家に帰ってくるようになった。安楽死を望むくらんけさんと少しでも一緒に過ごしたかったからだ。
自分をこれほどまで気にかけてくれる家族の思いを振り切ってまで、自分の思いを貫き通すことはしたくないーー。死にたい気持ちは変わらないが、くらんけさんの心は揺れた。
今年の夏に入り、渡航制限が緩和された。両親もとうとう「親のために生きてくれとは言えない。だから賛成はしないが、反対もしない」と折れた。
自殺ほう助の日が9月2日に決まった。母親は「自分の娘を看取ることなんてできない」と同行を拒否した。スイスには父親と2人で来ることになった。
自宅を発つ日。母、姉2人が見送ってくれた。母親は泣いていた。
両親のエゴか、私のエゴか
8月31日。長旅を経て、ようやく念願の地バーゼルに着いた。
翌日、医師のエリカ・プライシヒさんが面談のため、滞在先のホテルにやって来た。病気の経緯や安楽死を望む理由など、一つひとつの質問に答えていく。両親のことを思うと迷う気持ちはある、という心のうちも正直に伝えた。
約40分間のやりとりの後、プライシヒさんから「あなたの病歴や精神状態を鑑みると、自殺ほう助を認めない理由は何もない」と言われると、くらんけさんの表情が笑顔に変わった。
あとは2日後にライフサークルの施設に行って、致死薬を飲むだけ。それで楽になれる。
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「私は誰も殺したくない」
だが、気持ちはまだ揺れていた。同じ部屋に寝泊まりする父親が時折、娘に隠れて泣いているのにも気づいていた。深夜になると突然震え出す父親の手を握り、浅い眠りを繰り返した。
死にたい気持ちの方がもちろん強い。だが「私が死にたいという気持ちを優先するのがエゴなのか。私に死んでほしくないという親の気持ちがエゴなのか」。答えは出ない。
自殺ほう助前日の夜。娘を失うかもしれない恐怖で不安定になる父親の隣で、ほとんど眠れなかった。
「あなたはまだ心の準備ができていない」
自殺ほう助当日の朝。2人はホテルロビーのカフェでタクシーを待つ。向かいに座る父親の表情は強ばったままだ。
ライフサークルの施設に着き、プライシヒさんとテーブルを囲んで最後の面談が始まる。プライシヒさんが「心の準備はできていますか」と尋ねる。
くらんけさんは言った。「まだ迷っています」。
プライシヒさんの顔がさっと曇った。「それは両親のため?自分のために死ぬのを迷っているのなら、やるべきじゃない」。
めったに取り乱すことのないくらんけさんの目から、涙がこぼれ落ちた。「自分1人だけなら間違いなく死ぬ。でも、両親のことをどうしても考えてしまう」。
プライシヒさんは、隣に座るくらんけさんの父親に意見を求めた。父親は「娘が希望するのなら、親はそれを尊重する」と静かに答えたが、死んでほしくないという本心もまたにじみ出る。
「安楽死します」。20分ほど続いた話し合いを打ち切ったのはくらんけさんだった。吐き気止めの液体を飲み、父親の手を借りてリクライニング式のベッドに上がった。
父親が隣に立つ。「再生医療とか色々試したかったけれど、それを待つにはもう先が長すぎるかもしれないね」。そう言って娘の手を取り、力なく微笑んだ。「あなたの気持ちを尊重するよ。ありがとうね」。今まで共に生きてくれたことへの感謝の思いを告げた。
死後、警察に提出するためのビデオ撮影が始まる。名前、生年月日、ここで死ぬ理由。くらんけさんは涙を堪え、一つひとつ、カメラに向かって質問に答えた。
プライシヒさんから、致死量のペントバルビタール酸ナトリウムが入ったコップが渡された。自殺を考え始めてから5年間、ずっと、ずっと願っていたこと。それがついに叶う。
だが、何度もストローに口をつけても液体が管を上っていかない。死にたいという脳の信号に、身体全体が拒否しているかのようだった。
止めたのはプライシヒさんだった。「お父さんと一緒に、日本に帰った方がいい。今はまだ、あなたの心の準備ができていない」
「本当に?」とくらんけさんが涙声で聞き返す。プライシヒさんは諭すように言った。「あなたは親にこんな仕打ちをしたくないと思っている。運命が、あなたにもう少し生きろと言っているんですよ」
くらんけさんはその言葉を噛み締めるかのように小さくうなずいて「OK」と言った。その瞬間、父親はたまりかねたように娘を強く抱きしめた。
「後悔する日が来ても」
あれだけ願ったスイスでの安楽死だったが、直前で踏みとどまった。後悔が全くないといえばうそになる、とくらんけさんは言う。「今日死ななかったことを悔やむ日が絶対に来ると思う。それでも、家族との時間を優先しようと思うのも私の選択です」
いつの日かまた、スイスに来る。そのときは死ぬつもりだ。「それまでは辛いことを受け入れつつ、可能な限り家族との時間を大事にしていきたいと思っています」
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