スイス政治展望2024 年金・医療改革など6件の国民投票
2024年1月1日に着任するスイスの新内務相を、6件の国民投票が待ち受ける。国際舞台では外交戦略が岐路に立つ。swissinfo.chの政治担当記者が2024年のスイス政治を展望する。
新内務相のエリザベット・ボーム・シュナイダー氏にとって2024年はマラソンイヤーになりそうだ。今年予定される計6件の国民投票の一部では、賛否をめぐって自身の所属する社会民主党(SP/PS)と対立することも予想される。
それはボーム・シュナイダー氏自身が自ら引き受けた政治課題だ。連邦司法相を務めた2023年は自身の難民政策に対し右派の批判が相次ぎ、所管を新閣僚のベアト・ヤンス氏に引き継いだ。そして政界を引退するアラン・ベルセ内務相の後を引き継ぐことを決めた。
横滑り人事のわずか2カ月後となる3月3日の国民投票で、ボーム・シュナイダー氏は年金改革という内務省管轄の難問に向き合わなければならない。国民投票では、年金制度の第1の柱である老齢・遺族年金(AHV/AVS、日本の国民年金に相当)の将来を決める改革案2件について有権者の賛否を問う。
1件は、年金の年間受給額を1カ月分増やすという社会民主党のイニシアチブ(国民発議)だ。毎年12カ月分に加え「13カ月目」の年金を支給する案で、労働組合や女性団体、退職者団体は、老齢・遺族年金の現在の支給額では生活していけないとして同案を支持している。
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イニシアチブとは?
連邦政府(内閣)は、可決されれば2032年までに約50億フラン(約8000億円)の追加予算が必要になり、年金財源をさらに圧迫するとして反対している。ボーム・シュナイダー氏は、同案を支持する所属党と反対する内閣の板挟みになる。
もう1案は右派・急進民主党(FDP/PLR)青年部のイニシアチブで、まずは定年を現在の65歳から66歳に引き上げ、その後も平均寿命の伸びに応じて引き上げる内容だ。内閣はこの案にも反対している。女性の定年を64歳から65歳に引き上げる案でさえ、最近の国民投票で僅差で可決したばかりとあって有権者の支持も得られそうにない。
第2の関門、企業年金改革
ボーム・シュナイダー氏はこの最初の難関を乗り越えても、年金制度から解放されるわけではない。年金の第2の柱である企業年金(日本の厚生年金に相当)改革が待っているからだ。ここでも、所属政党との対立が予想される。
連邦政府・議会がとりまとめた改革案は、平均余命の延びに伴い圧迫されている年金財源の確保を目指す。目玉は年金基金の積み立て残高に対する総支給額を定める「コンバージョン(変換)率」の引き下げだ。被保険者が受け取れる年金額が今よりも少なくなることを意味する。
左派政党や労働組合はこの改革案に強く反対し、レファレンダム(国民表決)を立ち上げた。労使間の合意がなければ、特にインフレが続く現状を踏まえると改革の実施は難しい。
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レファレンダムとは?
医療費高騰への対処
年金改革の後には、膨張する医療費への対処が内務相を待ち受ける。健康保険料の大幅な引き上げを受け、医療費はスイス国民の最大の懸念事項となっている。
国民投票にかけられるのは、医療費抑制を目的とした改革案2件だ。中央党(Die Mitte/Le Centre)が提案したイニシアチブは、年間医療費の伸びが給与の伸びを20%以上上回った場合、連邦政府に対策を講じることを義務付ける。
もう1つは社会民主党が提出したもので、医療保険料を収入の10%に制限するよう求める。
連邦内閣は2案とも反対の立場で、保健行政を司るボーム・シュナイダー氏はここでも戦いの先頭に立たねばならない。ベルセ氏もその前任者も解決策を見出すことができなかった超難題だ。
今なお政治課題のパンデミック
内務相を待ち受ける国民投票の長い案件リストの最後には、因縁の案件が残る。それは「自由と身体的完全のために」と題するイニシアチブで、反ワクチンイニシアチブとも呼ばれる。新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けて市民団体「スイス自由運動」が立ち上げたもので、スイスでワクチン接種を義務づけないよう求める内容だ。
政府のパンデミック対策をめぐってはこれまでに3回も国民投票が行われ、有権者はいずれも政府の対策を支持した。今回の反ワクチンイニシアチブを支持しているのは右派の国民党(SVP/UDC)だけで、投票で可決される見込みは低い。
2024年に忙しくなりそうなのは、同じく社会民主党所属の新閣僚ベアト・ヤンス司法相も同様だ。難民希望者の増加という最大の関門が待ち受ける。
銀行危機の亡霊
連邦内閣はクレディ・スイス問題への説明責任を果たさねばならない。2024年4月には、UBSによるCS買収に関する報告書を提出する予定だ。CSが経営難に陥った要因を分析し、「Too big to fail(大きすぎて潰せない)」原則がなぜ機能しなかったのかを明かすのが目的だ。
連邦議会は政府がこの問題に責任を持って関与し、このような経営危機が繰り返されないようにすることを望んでいる。
連邦内閣はまた、2023年10月の連邦総選挙で環境政党が敗北し右寄りに転じた新議会への対処を学ぶ必要がある。右派の国民党と左派の社会民主党がそれぞれ議席を増やしたため、妥協案を導き出すことはより困難になる。上下両院で勢力を広げた中央党(Die Mitte/Le Centre)に、行き詰まりを打ち破る役回りが期待されている。
対EU関係で新たな前進
外交政策に関しては、2024年は欧州連合(EU)への接近の年となる。枠組み条約に向けた予備交渉は予想以上に実り多いものとなった。連邦内閣が12月中旬に発表した交渉結果は、懐疑派さえその成果を認めざるを得なかった。
予備交渉では、法的紛争を裁く仲裁裁判所や、1分野でも破棄されれば協定全体が頓挫する「ギロチン条項」など、これまで行き詰まりの原因となっていた問題でEUとの合意に達した。EU株式市場からの締め出しや研究プログラム「ホライズン・ヨーロッパ」の凍結といった報復措置も、解除される日が近づいている。
EUは現在、スイスが欧州における高物価・高賃金の島としての地位を容認しているようだ。
とはいえ、スイスの賃金保護制度が今後の交渉におけるアキレス腱であるという事実は変わらない。労働組合と社会民主党は、EUの示した解決策が不十分だと批判した。
だが社会民主党なしに対EU関係をめぐる国民投票を勝ち抜くことは不可能だ。国際条約は強制的なレファレンダムの対象になり、国民投票にかけなければならないが、孤立主義を標榜する国民党はEUとのあらゆる合意に反対する方針を明示している。親EU派の社会民主党がEU接近への道を妨げたとしたら、それは皮肉なことだろう。
ただそう断定するのは時期尚早だ。1つはっきりしているのは、閣僚の1人でありリベラル派・急進民主党(FDP/PLR)所属のイグナツィオ・カシス外務相にとって、国内交渉が対EU交渉より厄介なものになりそうだということだ。未確定要素はほかにも山積する。夏のEU議会選挙後に交渉担当者が総入れ替えになることは避けられない。スイスは長年問題を先延ばしにし続けてきたが、ついに殻を破りつつある。合意文書は2024年末までに完成するはずだ。
国連安保理の非常任理事国任期は2年目に
カシス外相は国内で人気が低迷している。その傾向は複数の世論調査で示され、12月の連邦議会での閣僚選挙でも獲得票数が振るわなかった。だがそれがカシス氏を、就任当初はあまり評価していなかった多国間主義に駆り立てたのかどうかは、本人しかわからない。
確かなことは、カシス氏が国際舞台を気に入っているということだ。2022年には故郷のティチーノ州ルガーノでウクライナ復興会議を開催した。ウクライナ戦争は今、カシス氏の故郷に2本目の錦の御旗を飾る機会を与えようとしている。2024年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に先立ち、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の提唱する和平案「平和の公式(Peace Formula)」を集中議論する国際会議を主催する予定だ。だが侵略国ロシアはこのテーブルには着かないだろう。
それでもゼレンスキー氏同様、カシス氏にとってこの外交舞台は足掛かりとなる。地政学的にスイス外交が疎外されつつあるなか、仲介外交の看板をかけ直す絶好の機会だ。
国連安全保障理事会もその一例となる。2023年に非常任理事国入りしたスイスは、2024年10月に再び議長国を務める。拒否権を持つ大国が自国利益の主張合戦を繰り広げたため、安保理は外交的討論クラブに成り下がった。
スイスには苦い教訓がある。スイス代表団は非常任理事国入りした直後、トルコ・シリア国境にあるバブアルハワ検問所は人道支援に不可欠として開放期間の延長案をブラジルと共同提出し、見事採決に持ち込んだ。だがそのわずか数カ月後、ロシアは拒否権を行使しあっさりと開放を終わらせ、スイスに無力感を味わわせた。
価値観外交から利益外交へ
スイスは国際舞台では今も表裏のない「善人」とみなされている。こうした評価はスイスの純朴さが持つ二面性を映し出す。
スイスの価値観外交は、機能的外交に移行しつつある。開発協力はその代表例だ。スイスはドナーを務める46カ国のうち、2024年末までに南米やモンゴルなど11カ国から撤退する。
外交戦略は北アフリカや中東、サブサハラ(サハラ以南アフリカ地域)に焦点を当てている。これに対しては、開発政策を移民政策に結び付けているとの批判がある。
いずれにせよ、スイスの世界への団結は理想的な形ではない。カシス氏はウクライナに10年間で60億ドルの復興資金を援助したいと意気込む。だが「既存の開発協力予算を減らすことはない」という従来の約束は反故にされた。
それはすなわち自己アピール、EUへの本格的なすり寄りという利益外交でしかない。それは武器の再輸出規制や対ロシア制裁をめぐりスイスが1年間守戦的な議論を進めてきた結果だ。サッカーの代表チームのように、スイスは再び独自の試合を展開しようとしている。
独語からの翻訳:ムートゥ朋子
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