「国境なきチーズ」前編
スイス名物と言えば、チーズ。国民1人当たりの年間消費量が10㎏を超える国民食である。紀元前3500年とも、それより遥か以前とも言われるスイスチーズの起源。スイスの食文化、ひいては歴史の一部となっているチーズに魅せられたばかりか、チーズを礎に日瑞の架け橋を作ろうとしている日本女性を、2回にわたってご紹介したい。
「石川さよ」さん。千葉県成田市出身の、小柄で可憐な女性である。先日、彼女にお会いするため、ヌーシャテル州ラ・ショー・ド・フォン(La Chaux-de-Fonds)に赴いた。駅から出て大通りを徒歩約10分ほど歩くと、閑静な旧市街が見えてくる。その一角に、さよさんが働くチーズ専門店「チーズの家、ステルキ」(La Maison du Fromage, Sterchi)外部リンクがある。
以前は町に数軒あったチーズ屋さんも、今はこの「ステルキ」たった一軒。私がいる間、客はひっきりなしに訪れていた。さよさんによれば、遠くチューリヒやジュネーヴにも顧客がいるそうだ。
冬場は1日でフォンデュ用チーズが100㎏売れ、毎週土曜日は300人を超える客が訪れるという繁盛ぶりは、この店が人口3万8000人余りの町にとって貴重な存在であるからという理由だけではないに違いない。人気の秘密を探るため、さよさん、店長の息子さんでチーズ熟成士でもあるロアンさん、そしてモスクワから来ていたチーズショップを経営するロシア人グループと一緒に町の外れにあるチーズ熟成庫を訪れた。
自然の洞窟を使った熟成庫内は、一年中湿気に包まれ、温度が8~10℃に保たれている。標高1000mを超すラ・ショー・ド・フォンでは、厳寒期には気温がマイナス20℃を下回ることもあるが、そんな日でも、この自然の熟成庫の温度はほとんど変化しない。
まず目に入ったのは、庫内に150~200個あるというグリュイエールチーズの玉。およそ2年間熟成させる。スーパーで売られているチーズは、ほんの数ヶ月ほどの熟成らしい。それら2つの過程の違いは、ロシア人グループと一緒に4種類のチーズを試食をさせてもらった時、明らかになった。
アルパージ・トラディション(Alpage tradition)には、高地放牧(標高1000~1500m)で牛が食べた草花の味が乳に入り、クリーミーな風味となって溶け込んでいる。
塩気で4段階にランク付けされるグリュイエールチーズの中で3番目、ほのかに塩気があり、フランス語でミ・サレ(mi-salé)と呼ばれる14ヶ月間熟成のグリュイエールチーズは、むしろやわらかな味わい。
26ヶ月熟成した一番塩気の強いグリュイエールチーズのトレ・サレ(très salé、大変塩気があるという意味)を食した時の「旨味の結晶」=アミノ酸の粒のジャリジャリという歯ざわりは、スーパーのチーズには決して有り得ないないものだ。
そしてヴァシュラン・フリブルジョワ(Vacherin Fribourgeois)という名のチーズ、フリブールで高地放牧された乳牛から絞られた乳を原料としているため、濃厚ではあるが塩気が少なく、優しい甘さがたまらない絶品である。
熟成庫訪問後は、ステルキ家と公私共に深く関わりのあるレストラン「ホテル・ド・ヴィル」(Hôtel de Ville、市庁舎という意味だが、れっきとしたレストラン)で昼食を取り、その際に、さよさんの経歴をお伺いした。
さよさんは、東京にある大学の英米文学科を卒業後、出版社で校正の仕事をしていた。2006年3月、当時パリに留学中だったお姉さんを訪ね、ホームステイ先でノルマンディ産カマンベールを食べたことがきっかけでチーズに目覚めたという。日本からはるばる来たさよさんをもてなそうと、ノルマンディ出身のホストマザーが食卓に並べてくれたのだ。
日本で食していたチーズとはまったく違った味にショックを受けたさよさんは、帰国後、「田崎真也ワインサロン」という学校内にあるチーズコースに通った。そこで、その後のさよさんの運命を大きく変える出会いがあった。さよさんが「恩師」と呼ぶ、村瀬美幸さんである。村瀬さんは、フランスチーズ鑑評騎士など、様々な資格を持ち、チーズソムリエコンクール受賞歴も豊富だ。
「彼女が先生で、私は幸運でした」
日本チーズ界で数少ないエキスパート、村瀬さんのもとで学んだことで、さよさんは益々チーズの魅力にはまっていった。やがて彼女は、むくむくと膨らみつつある夢を実現するために、さらなる上のステップに踏み出す。
「チーズの本場に行って修業したい!」
さよさんの話は、聞くものを惹きつけて止まない不思議な魅力がある。これまでに私が出会った、スイスの様々な分野で活躍中の日本人女性に共通して言えることだが、さよさんの素晴らしさは、常に目標を高く掲げ、それを目指してどんな努力も惜しまないところだ。
海外渡航前に日本の資格を取得しておきたいと、チーズプロフェッショナル資格認定試験外部リンクに、半年間の勉強後、見事合格。その後、校正の仕事をきっぱりと辞め、チーズ修業の旅に出発した。
第一の目的地はフランス。「ボーフォールチーズの産地だから」と選んだ、サヴォワ地方にあるアヌシーの語学学校に1ヶ月通った後、リヨンへと移り、フランス料理の神と呼ばれている、ポール・ボキューズ氏の料理学校のアマチュアコースに入学した。すべては本格的なチーズ修業に入るための知識と将来に繋がる縁を求めての行動だった。
その学校で、いくつかの運命的な出会いがあった。まずは後に夫となる男性、ニキフォロスさん。ギリシャとフランスの血を引く彼は、プロの料理人を目指して勉強中だった。
それから、チーズの授業を担当していたフランス国家最優秀職人(Meilleur Ouvrier de France、以下、MOF)の資格を持つチーズ製造業者エティエンヌ・ボワシー(Etienne Boissy)氏である。
ボワシー氏は、リヨンLes Halles de PAUL BOCUSE(世界中の良質食材が集まる“リヨンの胃袋”の愛称をもつ中央市場)内にある、チーズショップ、モンス(MONS)店長。チーズアドバイザーとしての腕はもちろんのこと、食材、料理、ワインに対する知識が非常に豊富で、チーズ講師としても大活躍している。
そしてもう1人、重要な人物とプライベートの場で知り合えたことで、運命の歯車が一つ、大きく回った。ボワシー氏と組んでチーズ会社を営み、巨大な熟成庫を所有している熟成士エルベ・モンス(Hervé Mons)氏である。彼は、MOFの肩書に加え、敏腕ビジネスマンとしても名を馳せている。「モンスブランド」のチーズは、今や世界中で食されている。その「フランスチーズ業界の重鎮」モンス氏と引き合わせてくれたのは、たまたま仕事でリヨンに来ていた恩師、村瀬先生だった。
チーズへのたゆまない情熱に背中を押されたさよさんは、このチャンスを絶対に逃してはならないと思い、モンス氏に堂々「直訴」。
「モンスさんのところで修業させて下さい!」
仕事上の付き合いを通して日本人のメンタリティを良く知るモンス氏は、「日本人にここまで積極的にお願いされたのは初めてだ」と驚きながらも、「やる気があるなら来なさい」と快諾してくれた。
「モンスさんがチーズ業界で重要な人というのは、もちろん知っていたけれど、物凄い大物だというのは後になって分かったの。前もって知っていたら、あんなに大胆な行動は取らなかったかも」
さよさんは恥ずかしそうに微笑んだ。
こうして、いきなりフランスチーズ界の最高峰でチーズ修業をすることになったさよさんは、自ら切り開いた運命の激流に乗って果敢に突き進み、ぐんぐんと腕を上げていく。
次回は、日本に一時帰国したさよさんが、再び欧州に渡り、スイスで現在の地位を築くまでの過程をご紹介します。どうぞご期待下さい。
チーズ専門店「ラ・メゾン・ドゥ・フロマージュ、ステルキ」
「La Maison du Fromage, Sterchi」
Pierre-Alain Sterchi
Passage du Centre 4
2300 La Chaux-de-Fonds
Tel : (032) 968 39 86
開店時間
(火~金)7時~12時15分、14時~18時半
(土)6時半~16時半
(日~月は定休日だが、地元の年中無休のガソリンスタンドにはステルキ製フォンデュ用チーズが置いてある)
マルキ明子
大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。
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