本当に「移民は社会を脅かす」存在なのか
移民に関する論議は、賛成派・反対派のどちらも偏見や憶測に満ちていることが多い。それはスイスに限らず、どこの国でも同じ状況だ。今年5月にスイスで出版された書籍「Neuland外部リンク」で専門家らは、移民をめぐる論争を単なる「賛成論」と「反対論」で片付けるのは止めるべきだと主張している。
「欧州西部では、移民の増加を望まない人が大半だ」。こう話すのは、新書「Neuland(仮訳・新境地)」(NZZ libro出版)を編集したフィリップ・ルッツ外部リンクさんだ。数年前と比べ、今ではこういった発言は珍しくない。しかし、スイスにおける移民政策の矛盾 ― 国民が移民の縮小を求める反面で、政治家は経済的・政治的な規制を理由に縮小したがらないという事実を浮き彫りにしているのは確かだ。
また、移民のメリットを主張するルッツさんがこういった発言をするのも一見、矛盾しているように思われる。しかし、ルッツさんはそうは考えない。彼と著作に携わった研究者らは、「賛成・反対」の二通りしかない考え方は止めるべきだと主張しているからだ。「移民は是か非かという単純な見方だけでは事が進まない。既に移民問題は、好むと好まざるに関わらず社会的な現実なのだから」(ルッツさん)
副題に「21世紀のスイス移民政策」と銘打たれた本書では、移民に関する討論を新しく定義する指針として、20の命題が掲げられた。例えば一つ目には、「歴史的に見て、移住は常に行われていた」とある。歴史上、人類は絶えず移住を繰り返し、今後もそうあり続ける。特にスイスはその典型的な例だ。ゆえに命題3では「スイスは典型的な移民国家であり、出国、入国の動きが頻繁にある」とある。
論議を再考する
そもそも「移民は均一的な社会を脅かす」という思い込みが混乱を招くとルッツさんは考える。人々の根深いこの考えに触発され、ベルン大学外部リンクで博士論文に取り組むルッツさんとシンクタンクforaus外部リンクは昨年、スイスで全国的な論議を展開。この論議では、グローバル化でますます加速する世界の経済的な相互依存によって、将来におけるスイスの移民の重要性は今以上に増していく(命題4)ことを考慮しながら、移民に関する論争のスタートラインを根本的に見直すことを目的とした。その調査結果は本書に反映された。
他にはどんな「憶測」が本書で覆されているだろう?命題5では「移民に関する社会状況は政策で完全にコントロールできる」という固定観念があることを指摘。「移住の原因(経済的な不均衡や人の流入)は構造上の問題で阻止するのは不可能であり、政治的な規制は効果がない」と主張している。また命題6と7ではさらに一歩踏み込み、この構造上の現実を政策で管理しようとしても問題を迂回するだけで、同一社会の中に「異分子」を隔てる柵や壁をはりめぐらせた結果、コントロールを失う結果になると訴えている。
移民反対派が最も危惧している「国民のアイデンティティーが失われる、あるいは弱まる」という点に関しても同じく、必ずしもそうなるとは限らないと指摘する。物事は常に変化するが、必ずしも悪くなるとは限らないからだ。命題17~19では一国家に多様な移民が存在することで生じる経済的、創造的メリットを歓迎し、スイス人が持つ「意思団結国家」(民族の同一性からではなく市民的、政治的目的のために団結する共通の「意思」に基づく国家)の精神が移民によって強化されるかもしれないとしている。
ルッツさんはこう説明する。「移民はその国の『均一な』文化に適応するよう求められることが多い」。だが現実は全く違う。移民がいなくても人々の価値観、ライフスタイル、文化的なオリエンテーションなど、社会の多様性はますます広がっている。国家というものは、永久に不変ではなく常に進化する存在で、プロジェクトのようなものだ。そして「民族文化ではなく、むしろ市民政治を基盤としたプロジェクトとして国家を捉える方が、移民の現状を受け入れやすいだろう」(ルッツさん)
その足掛かりとして挙げられるのは、国籍取得の簡易化だ。これは欧州では最も時間が掛かり厄介なハードルの一つで、「スイスでは人口の4分の1が選挙権を持たない」とルッツさん。「この比率が上昇すると、民主主義の欠如が拡大、社会的な疎外や除外感といった様々なリスクが生じる恐れがある」。移民の声をもっと政治に取り入れることで、移民の所属意識や社会の結束が強まるはずだとルッツさんは確信している。
リアリティー・チェック
スイスの移民に関する論議は、他国と同じように(当然かもしれないが)数値の比較に陥りやすい。入国した移民の人数は?再びスイスを離れた移民の数は?移民と国民総生産(GDP)との関連性は?こうして政治論争では数値ばかりが独り歩きするようになる。つい先ごろも連邦経済省経済管轄局(SECO)外部リンクが出した「労働者の自由な移動がもたらす経済利益」に関する一連の数値を右翼保守派がやり玉に挙げ、「偽のデータ」を広めていると政府を非難した。
ルッツさんは、このような論議は全く的外れだと言う。数値に気を取られるばかりで、具体的な政策が打ち出されないうえ、GDPの値だけでは国の情勢を捉えることは不可能で、移民の数をうんぬんしても全体像は見えてこないと説明する。命題9では、その移民と経済発展の関連性について言及されている。「移民は経済発展の必然的な結果であり、促進剤でもある」。だが移民を単なる経済論としてだけ捉えると、今度は「経済成長の『必要悪』として移民を黙認するようになる。むしろ移民は社会全般に影響を与える現実問題として正面から向き合うべきだ」
このような意見はクリアな政治的解決策というより、無益なお堅い理屈にしか聞こえないだろうか?そのような人のために、いかに論説に動員力や政策を動かす力があるかが分かる例を示そう。先ごろスイス建国記念日前日の7月31日、社会民主党のアダ・マラ氏外部リンクが「一つのスイスというものは存在しない。スイスに住む人々は異なる思想や意見を持つ。感情やオリエンテーションも異なれば、優先順位や懸念も異なる」とフェイスブックに投稿したところ、ネットで大炎上するという出来事があった。
投稿後わずか数時間のうちにアカウントは攻撃的な非難にあふれ、マラ氏は投稿へのコメント禁止を検討したほどだった。氏の発言は、ルッツさんが再検討している内容と正に同じだ。翌日、マラ氏はフランス語圏のスイス公共放送(RTS)外部リンクで自身の発言を擁護し、右翼保守派のミヒャエル・ビュファ氏外部リンクのコメントに反論した。ビュファ氏はその他大勢のコメントを代表するように「スイスは個人の寄せ集めではない。スイスは独立、中立、直接民主制、勤労といった独自で共通の価値観を分かち合う国家だ。我々は共通の宿命を背負っている」と発言していた。
新境地
ルッツさんの「新境地」プロジェクトにとって、こういった論争は大歓迎だ。シンクタンクforausの目的は、討論を通し、スイス人が持つ自国のイメージと、スイスは移民の国であるという事実を歩み寄らせることにある。そしてその討論には「移民を脅威」と見る反対派と、「移民は国を豊かにする」と見る賛成派の両サイドから、できるだけ多くの人が参加するべきだと考えている。
そして次のステップは、また新たにスイス全土を巡って本書の内容を広め、それについて討論を行うことだという。話し合いを通して、移住がもっと社会のメリットになる政策に繋げたいという。本書の著作にあたり、討論の場として利用された昔ながらの「お役所スタイル」の討論グループや、今どきのクラウドソーシングのプラットフォームは、その他の政策分野の改善にも再利用する予定だという。
スイスの移住事情は将来どうなるか?確かに現状は厳しいが、「それは今に始まったことではない」とルッツさんは楽観的に見ている。1970年代には「シュヴァルツェンバッハ・イニシアチブ」と呼ばれたスイスに滞在する外国人数の制限を求めた国民発議があった。何百人、何千人ものイタリアからの出稼ぎ労働者を追い出すという内容だったが、激しい論争の末、国民投票で辛うじて否決された。その一方で、2014年に可決された大量移民反対イニシアチブの導入を「簡易的に」するという決議に対しては、あまり政治的な騒ぎが起きなかった。「スイスという国の成り立ちに、移民は欠かせない存在だという事実をスイス人が受け入れ始めている証拠だと思う」(ルッツさん)
20の命題
1.「歴史的に見て、移住は常に行われていた」
2.「移住は自由な価値であり政治的に支援すべきだ」
3.「スイスは典型的な移民国家であり、あらゆる方向に向けて出国、入国の動きが頻繁にある」
4.「スイスにおける移民の重要性は将来ますます大きくなる」
5.「移住が生じるのは構造上の問題であり、政治的な規制はほとんど効果がない」
6.「移民を防ごうとする政治的な試みは迂回戦略につながる」
7.「柵や壁を設けるのは政治的なコントロールを失った兆候である」
8.「多孔性隔膜は回転扉の役割を果たし、あらゆる方向への流動性を促進する」
9.「移民は経済発展の必然的な結果であり、促進剤でもある」
10.「移民の出生国は移民がもたらすマネーフローや知識、アイディアなどの恩恵を受ける」
11.「移住は人生のチャンスを向上する効果的な方法である」
12.「移住はスイスの繁栄を促進する、未来への有効な投資である」
13.「迫害を受けている人々を守るために安全な避難ルートの確保が必要だ」
14.「闘争の原因は複雑で多次元的である」
15.「難民は人生の新しい展望を求めている」
16.「難民を受け入れることは、より自由で安全な世界への貢献だ」
17.「移民の公平な社会参加は社会の結束強化につながる」
18.「文化の多様性は、社会や仕事のメリットになる価値を生み出す」
19.「スイス国民のアイデンティティーは移民によって強化される可能性がある」
20.「スイスは移民の国だと自覚することで初めて未来への扉が開く」
(英語からの翻訳・シュミット一恵)
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