製薬大手による独占、コロナワクチン供給に高まる不公平感
新型コロナウイルスのワクチンをより多くの人々、特に最貧国に早急に供給するため、各国に対し知的財産権保護義務の一時的な免除を求める圧力が高まっている。世界貿易機関(WTO)の新事務局長は、この難局を打開できるのだろうか?
西アフリカのガーナに2月24日、新型コロナウイルスワクチンの共同調達・公平な分配を目指す国際的な枠組み「COVAX(コバックス)」で出荷された初のワクチンが到着した。COVAXは、各国の人口の2割にワクチンを確保することを目指し、世界保健機関(WHO)などが立ち上げたスキームだ。ガーナに初のワクチンが到着したことは、富裕国がワクチンを独占するわけではないことを示す前向きなサインだった。
だが、ワクチンの供給量が不足し、世界の分配状況はいまだ不平等だ。販売された81億回分のワクチンのうち6割は、世界人口の15%を占める先進国が購入した。2月末の時点で、ワクチン接種を受けた人が一人もいない外部リンク国は約130カ国に上る一方、スイスはすでに、全国民に予防接種を2回以上行うのに十分な3千万回分を購入した。スイス政府はまた、ワクチン使用が承認されない場合は、確保した一部を他国へ売却・譲渡する可能性を検討しているという。
ワクチンをより多くの人々がより早く利用できるようにする必要があることには、誰もが同意する。だがその手法をめぐって企業と公衆衛生の支持者が対立している。1日付でWTOの事務局長に就任したンゴジ・オコンジョ・イウェアラ氏は、今後数週間で議論の行き詰まりを打開したいと考える。
危機の時
議論の中心になっているのは知的財産(IP)で、具体的には「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」履行を一時的に免除するという提案だ。同協定は、企業に医薬品の生産、臨床試験、技術の生産に関する独占権を与えるもの。これを免除することで、IPの権利を所有しない製造業者が合法的にワクチンを製造し、他国に輸出できるようになる。
南アフリカとインドは昨年10月、「IPが、パンデミック(世界的大流行)と戦うことができる医療製品へのアクセスへの(貿易)障壁として機能していなかった」とし、ワクチンに関し同協定の特許権保護に関する規定を免除する案を提案した。その時点では承認されたコロナワクチンはなかったが、各国はすでに需要を満たすことについて懸念を表明していた。
主要な公衆衛生の支持者や国境なき医師団などの非政府組織(NGO)に加え、60カ国以上が同提案を支持。これらの支持派は、コロナワクチンを企業や国によって制約されない「世界の公共財」として扱うよう求めるキャンペーンを展開してきた。
ジュネーブの国境なき医師団の法律専門家であるYuan Qiong Hu氏はswissinfo.chに対し、「ワクチンの原料や技術はそれぞれ異なる国から来ており、IPのルールも異なる。この面からも条項免除は特に重要だ」と語る。
▲WTOの建物の前で、TRIPS協定の一時免除を訴える国境なき医師団(MSF)スイスの事務局長。4日、「#No COVID monopolies Wealthy countries STOP BLOCKING TRAIPS WAIVER(#COVIDの独占反対 富裕国、TRIPS停止を阻害しないで)」と書かれた横断幕を芝生に広げ、新型コロナによる制限措置のためサイレントデモを行った
スイスは多数の大手製薬会社が拠点を置く富裕国グループに属し、免除に強く反対している。スイスWTO代表団は今週行われたWTO一般理事会での事務局長宛ての声明で、共通の目標に向かうことにコミットしつつ、「IPがアクセスを妨げているケースがあるかどうか」については「事実に基づいた議論を行う」と述べた。
製薬業界は、IPの保護緩和は解決策の一部であって問題ではないとし、一貫して反発してきた。国際製薬団体連合会(IFPMA)は声明で、それは企業が「急速に安全で効果的なワクチンを開発した」という強力なIPのためだ、と主張する。
昨年12月に米ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたオピニオン外部リンクで、IFPMAのトーマス・クエニ事務局長は、特許ルールの免除は将来の医療イノベーションを危険にさらしかねない、と警告した。
だが、ローザンヌ連邦工科大学(EPFL)のイノベーションとIP政策のガエタン・ドゥ・ラサンフォス教授外部リンクは、IPがアクセスの障壁となっていると考える。
ドゥ・ラサンフォス氏は「IP所有者の生産能力は限られており、発展途上国を含む世界中の多くの企業が医薬品やワクチン、医療機器を生産する能力を持っている。IP保護義務を免除すれば、これらの製品の可用性が大幅に向上することは間違いない」と主張する。
AP通信が最近行った調査外部リンクも同様の結果が出た。3大陸にある3つの工場で未使用の生産能力があるところは、設計図と技術的なノウハウさえあれば数億回分のワクチンを短期で生産できるという。
問題は特許だけではない
ドゥ・ラサンフォス氏は、Medicines Law & Policy外部リンクのディレクターでMedicines Patent Poolの元エグゼクティブディレクターの公衆衛生の専門家エレン・オーエン氏の意見を共有し、特許以外にも他の障壁があることを認める。
「製薬業界がIPは障壁ではないと言うのは、少し不誠実だ。IPが唯一の問題ではない。目標はコロナワクチンの生産能力を高めることだ。そのためには規制当局への提出書類、ノウハウ、技術へのアクセスが必要になる。しかし、特許が存在する場所のIPへのアクセスも必要だ」(ドゥ・ラサンフォス氏)
オーエン氏によれば、解決策の一部は新型コロナウイルス・テクノロジー・アクセス・プール(C-TAP)にある。これはWHOが昨年5月に立ち上げた、新型コロナウイルスのワクチンと治療法に関する知識、データ、IPを共有する自主的な枠組みだ。先月、WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長は、C-TAPを通じてワクチンメーカーがノウハウを共有するよう繰り返し呼びかけた外部リンク。
複数の国と欧州議会は最初、このメカニズムをサポートしていたが、米製薬大手ファイザーのアルバート・ブーラ最高経営責任者(CEO)がこのアイデアを「ナンセンス」「危険」と呼んだ後、勢いを失った。
IFPMAは「IP権は研究開発、官民連携、患者のコロナ製品へのアクセスを妨ぐ障壁」という大前提には賛成できないとして、このアイデアに強く反対している。
スイスのNGO「パブリック・アイ」で保健政策を担当するパトリック・デュリッシュ氏は、C-TAPへの支援がないことは「大きなチャンスを逃した」と語る。「ワクチンの需要に見合う供給量が見込めないことは、5月の時点で分かっていた。このような危機的状況の中では別のやり方で行い、独占企業が邪魔をすることを許してはならないと私たちは考えた」
現状維持
ドゥ・ラサンフォス氏によると、この議論の真の難点は、「IP所有者は、相手なしで自身のイノベーションの支配権を手放すことに消極的である」ということだ。
同氏は、企業が先進国での販売から研究開発投資を先行して初期投資を回収したとしても、無償で手放したり、外国政府に「押収」されたりするよりも、開発途上国でのIP権の使用を有利な価格でライセンス供与する方を選ぶだろう、と説明する。
これはまさに企業が行ってきたことで、独自の条件でメーカーとライセンスまたは技術移転契約を締結することがそれにあたる。その一例がノバルティスとファイザー、ビオンテックとの契約だ。この契約ではスイス・シュタインでのmRNAワクチンの製造規模を拡大した。
同氏は、開発途上国のワクチン接種がいかに遅れているかを見ると、自発的なライセンス供与や製造取引は「明らかに十分ではない」と言う。国境なき医師団のレエナ・メンガネイ氏は、IPに対する業界の反発は「競争を阻害し、独占状態を維持し、価格を高く保つ」ための試みに過ぎないと主張する。
この業界の仕組みを変える代わりに、業界はワクチン開発・配布のための共同研究にもっと多くの資金を投入するよう求める声を支持している。14兆ドル(約1500兆円)超の運用資産を持ち、野村アセットマネジメント外部リンクや三井住友トラスト・アセットマネジメント外部リンクなど148の資産運用会社外部リンクでつくる投資家連合は2月末、各国に対し「新型コロナウイルスへの公正かつ公平な対応」のために220億ドルの資金調達ギャップを埋めるよう呼びかけた。この要求は、主要7カ国(G7)がCOVAXにさらに40億ドルを拠出すると発表したことに裏打ちされてのものだ。
しかし、「金がすべての問題を解決することはできない」とオーエン氏は言う。同氏は、この危機の担当機関であるWTOを介して解決策を見出し、将来起こりえる感染流行への洗礼にすべきだという。
「世界でコロナワクチンの接種が行われることは、世界の財だ。ノウハウや権利を共有するかどうかを各社が独自に決めていては実現できない。公共財を開発するための合意が必要だ。そしてコロナ危機の結果、それが実現すると思う」(オーエン氏)
WTOのンゴジ新事務局長は「第三の道」や妥協案が出る可能性を示唆する。同事務局長は初日の冒頭陳述でWTO加盟国に対し、企業と協力してより多くの製造拠点を開放し、権限を与えていきたいと語った。「私たちは今、ノウハウや技術移転の面で企業に協力してもらわなければならない。世界の製造業による会議が間もなく開催される予定だ。私たちにとってはパートナーシップ構築を模索できる機会になるだろう」
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