第一次世界大戦の終戦から100周年を迎えた11月11日。英仏をはじめ多くの国が式典を執り行い、記念碑の前で犠牲者に祈りを捧げた。戦争の当事国ではなかったスイスにも、ここかしこに「祈りの場所」がある。
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ヴォー州ヴヴェイにあるサン・マルタン墓地には、136人のイギリス連邦兵士が眠る。88人は第一次大戦、48人は第二次大戦で、スイスで命を落とした。
外国人兵士の墓がスイスにあるのは、1870年の普仏戦争以降、スイスが戦時捕虜を受け入れ・保護していたことが背景にある。両大戦中もこの慣習は続いた。
第一次大戦では、スイスは1916~19年の間に人道的理由から6万5千人の戦時捕虜を保護した。その大半は重病・重傷を負い、または高齢だった。そのままスイスで亡くなった人も少なくなく、この地で埋葬された。
捕虜受け入れの足跡も各地に残っている。フランスからの受け入れだけでもスイス全土で100カ所以上外部リンクあり、「フランスのために亡くなった人々」として追悼している。それは墓石だったり記念碑・額だったり、献花台だったりする。
スイス人戦没者も
第一次大戦ではスイス人も戦火に命を落とした。何百人もが志願して外国人兵士として出兵、主に連合国側で戦った。フランス政府のウェブサイト「Mémoire des hommes外部リンク」(男たちの記憶)には、戦死したスイス国籍兵士1991人の名が並ぶ。
彼らスイス人志願兵のほか無数のスイスで生活していた外国人が1914年、祖国の軍に仕えるためにスイスを発った。第一次大戦後、多くの在スイス外国人コミュニティが兵士を称える記念碑を立てた。
反共産主義の殉職者
永世中立国のスイスでも、大戦は軍隊に間接的な影響をもたらした。1914年8月、22万人の男性が国境の防護のために動員された。緊迫度合いに合わせて配備される兵士の数は増減した。
スイス歴史事典外部リンクによると、活動中に病気や事故で亡くなった兵士は3千人に上る。うち1800人は18年末猛威を振るったスペイン風邪の犠牲となった。
反共産主義の殉教者――スペイン風邪と同時期に発生したゼネストにちなんで、当時亡くなった人々をしのぶ記念碑があちこちに作られた。
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外国軍の銃弾に倒れたスイス兵士も2人いる。
1916年10月4日。南部グラウビュンデン州とイタリアとの国境にあるウンブライル峠で、ゲオルグ・カトマスがイタリア兵に銃殺された。イタリア兵はオーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を祝う祭りを阻止しようとした。
1918年10月7日には北西部ジュラ州とドイツの国境上空を飛んでいたスイス観測気球がドイツ軍戦闘機に銃撃され墜落。気球を操縦していたヴォルター・フルリー中尉が亡くなった。
(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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