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スイスの中立をビジネスにした男

カスパー・シュトックアルパーの肖像画
好き放題に権力をふるったブリークの「王」、カスパー・シュトックアルパー。イラスト:マルコ・ヘーア Musée national suisse

スイス南部ヴァリス州ブリークの豪商カスパー・シュトックアルパー(1609~1691年)は、三十年戦争で対立する欧州列強に巧みな商売を仕掛け、大富豪、そして地域の最高権力者に上りつめた。切り札となったのはシンプロン峠、傭兵、塩という3枚のカードだった。

この記事はスイス国立博物館のブログからの転載です。2023年9月14日に公開されたオリジナル記事はこちら外部リンクでご覧いただけます。

時は1639年。カスパー・シュトックアルパーがスイスとイタリアを結ぶシンプロン峠の麓に商品輸送の下請け業者を設立したのは30歳の時だった。この頃ヨーロッパ全土には戦争が渦巻いており、この地に広がる危険性も多分にあった。強力な部隊が国境に陣取り、軍隊が頻繁に侵略・行進し、重要な峠をいくつも抱えるこのアルプス地域には権力を持つ戦争当事者の目が常に注がれていた。

当時スイス盟約者団という名のスイス連邦は、欧州最悪の宗教戦争となった三十年戦争にもまれて外交能力を失っており、軍事的な中央組織も持たなかった。

借金取り兼外交官

危惧の念はスイス盟約者団に属するヴァリス州でも高まりを見せつつあった。同州の参事会(州政府)の記録に見られるように、「称えるべきスイス盟約者団並びに愛すべき我が州が重装備の艦隊に包囲されるという、せわしい現状と戦争の危険な成り行き」を懸念してのことだった。参事会は守備体制を再組織し、防衛能力を高める必要性に迫られた。

そんな中、各国にビジネスネットワークを持ち、巨大な人脈と情報網を自在に操っていた豪商シュトックアルパーが軍事顧問官に選ばれた。シュトックアルパーはそれ以前にも、ソロトゥルン州にあったフランス大使館に派遣されて、ヴァリス出身の傭兵に支払うはずの未払金を取り立てたり、フランスにもっと多くの中隊を送り込むための交渉を行ったりしていた。

そして今、共和国でもあった同州の代表として、スイス盟約者団所属州の代表者会議が開かれるアールガウ州バーデンの地へと派遣されることになった。そこでは三同盟(現グラウビュンデン地方)に渦巻く混乱や現地の峠を越えるスペイン部隊の通過行進の権利について討議された。こうしてシュトックアルパーは軍においても決定的な役割を担う立場へと昇進していく。そして、それを如才なくビジネスに利用する術も心得ていた。

当時は、2万から3万のスイス人が傭兵として他国の兵役についていた。戦争当事国はどこも傭兵を欲しがり、スイスの各州は募兵の許可と引き換えに各国の王や諸侯から巨額のお金を受け取っていた。民間でも、中隊を募集し、武器を揃え、依頼主に送り届けるという戦争関連事業が大繁盛していた。こうして何千人ものスイス人がヨーロッパの数々の軍隊に混じって行進することになった。

こういった状況に、傭兵の買い手もスイス盟約者団側も中立との矛盾を見い出すことはなかった。唯一重要だったのは、両サイドの要求を公正中立に吟味することだけだった。傭兵はヴァリスにとって古くから重要な存在だった。中世の頃から支配階級の家系は傭兵の旗振り役とみなされ、シュトックアルパー家も代々その役割を担っていた。

これはスイス盟約者団や将校にとって格好の収入源となった。徴兵権と引き換えに1年に1度まとめて受け取るお金が歳入の大半を占める一方で、ヴァリスの農家にもまた有り余るほどの息子がいた。

特に活発だったのがフランスだった。1521年に結ばれた傭兵契約同盟が改正され、最低6千人のスイス人を徴兵できるようになった。スイス盟約者団側で調達できる兵が不足すると、フランス王はヴァリスの傭兵中隊に乗り換えた。1641年には、兵2千人を数える同州のアムビュール連隊を正規に迎え入れもした。

30年戦争を描いた絵画
30年戦争中、傭兵は人気商品だった Wikimedia

シュトックアルパーが自ら部隊を率いることはなく、フランスやサヴォイア、そしておそらくナポリやベネチアの司令部にも傭兵中隊を貸し出したり、固定給で将校に引き渡したりした。このビジネスは低リスクで儲けもよく、利回りは20%にも達するほどだった。

シュトックアルパーが自らパリへ赴かなければならなくなったことが1度だけあった。1644年、現地のヴァリス連隊を指揮する者がいなかったためだ。しかし現地に着いてみると、契約に反して600人の中隊5隊がカタルーニャの蜂起を援護するため、司令官不在のままスペインに派遣されていた。

スペイン軍はこの連隊を、戦略的に重要なカタルーニャ地方の町レリダ(リェイダ)で全滅寸前まで追い込んだ。死者250人、捕虜200人。傭兵ビジネスは大打撃を被った。しかし総括的には、この右肩上がりの事業部門だけでも、シュトックアルパーは1679年までに今日の4800万フラン(約80憶円)に相当する収入を得たと目されている。

塩 ― 白いゴールド

シュトックアルパーのコンツェルンが本格的に波に乗り出したのは1647年、最も重要な占有権を得てからだった。それはヴァリスへの塩の供給権だ。塩は畜産やチーズ・肉の保存に欠かせない。同州には岩塩鉱山がなく、多いときは年間750トンの塩を必要としたため、州はその供給の占有権を貸し下げることにした。供給源が遠く離れていたことから、塩の供給を担う者は商業ネットワークを持ち、官職に就いている必要があった。また、購入、運搬、貯蔵にかかる費用を事前に賄えるだけの多額の資本も欠かせなかった。さらに包括的な物流システムも不可欠だった。

シュトックアルパーはこれらのすべてを提供できた。「州への塩供給」交渉で勝ち得た10年契約の条件はシュトックアルパーにとって好都合だった。塩供給に関する独占的な権利と義務の代価は包括で支払い、販売価格は固定された。関税も道路使用料も免除され、下請け会社は塩の代金を常に現金で支払うよう義務づけられた。一方で塩の調達先は自由に選ぶことができたため、シュトックアルパーは市況をにらみながら、フランス、サヴォイア、ブルゴーニュ、ベネチア、あるいはシチリアから塩を買い入れては一儲けした。この塩供給契約は2回延長され、シュトックアルパーを富豪に仕立て上げた。

17世紀の塩製造
海塩から塩を作る。出典:「De re metallica libri XII」、1556年 Eth-bibliothek Zürich

だが、ブリークでマネーを生み続けた本当の原動力は、シンプロン峠の通過輸送、傭兵事業、そして塩の供給を1つのシステムに結び合わせたことだった。このシステムは自動的に駆動し、加速していった。シュトックアルパーはこの3つの札を手に、強国の間を巧みに立ち回った。

例えばフランス王には安価な塩や貿易の優先権、特別優遇措置と引き換えに傭兵を提供した。フランス大使は繰り返し、「シュトックアルパー・ヴァレー州知事」「シュトックアルパーはヴァレー州の元首」(『ヴァレー』はヴァリス州の仏語読み)などとパリへの報告にしたため、シュトックアルパーに安価な塩を送らなければ傭兵を補充できなくなると提言した。宮廷では、シュトックアルパーは「シンプロン王」と呼ばれた。

スペイン支配下のミラノ公国に対しても同様の手を使い、シュトックアルパーは安価な塩や他の優先権と引き換えに、部隊のシンプロン峠の通過を許可した。頭に王冠を抱いた首長たちは皆、ブリークの主におもねった。ルイ14世はシュトックアルパーを聖ミカエル騎士団の騎士に、ローマ教皇ウルバヌス8世は金羊毛騎士団の騎士に叙任し、サヴォイア公は男爵に、そして神聖ローマ皇帝フェルディナント3世は帝国騎士の世襲の貴族階級へと引き上げた。

貴族となったカスパー・シュトックアルパー・フォン・トゥルムは、政治的・商業的中立を貫きながら、何年もの間、各方面に力を貸し、列強に干渉させることなく、逆に張り合わせて、どの相手ともビジネスを続けた。こうしてヴァリスに一切被害を出さずに、戦争が続く間、自身も豊潤な利益をむさぼった。

フランスとスペインのライバル関係は、1648年のウェストファリア条約で三十年戦争が終結した後も続いた。そのため、中立的なビジネスモデルや四方八方で個々に利益をついばむシュトックアルパーの立ち位置も温存された。そして、1669年にはついに州最高の威光を得るに至った。州政府首長に選ばれ、これによって立法、行政、司法で最高の権力を手にすることになった。経済においても政治においても頂点を極めたシュトックアルパーは、もはや何ものにも侵されようがないかのようだった。だが、そこには思わぬ展開が待ち受けていた……。(続きは第3回外部リンク/英語)

ヘルムート・シュタルダーは歴史家、時事評論家、文筆家。重点は、経済史、交通史、技術史。シュトックアルパーに関しては、2022年出版の著書「Der Günstling. Kaspar Stockalper – Reichtum, Macht und der Preis des Himmelreichs(仮訳:寵児、カスパー・シュトックアルパー ― 富、権力、天上の代価)がある。

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本記事は3部構成のシリーズ記事の2回目に当たります。1回目はこちら外部リンク(英語)

独語からの翻訳:小山千早 

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