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スイス映画の秀作「オルガ」、誕生のストーリー

Scene from the film Olga
エリー・グラップ監督の初長編映画「オルガ」は、15歳の体操選手が、スイス人とウクライナ人という自分の2つのアイデンティティーの間で葛藤する物語だ Promotional

フランス出身でスイス西部・ヴヴェイを拠点に活動する若手映画監督エリー・グラップ氏が、長編デビュー作「オルガ(原題:Olga)」の制作過程と国際的な成功について語る。同作は今年の第57回ソロトゥルン映画祭で「ソロトゥルン賞」にノミネート。また、米アカデミー賞の国際長編映画賞(旧外国語映画賞)部門にスイス代表作品として出品されている。

「遅れて申し訳ない。ちょっと忙しくて」と、エリー・グラップ監督は約束の時間より15分遅れてビデオ通話を始めた。起きている時間のほとんどは、スイス・ローザンヌ近郊にあるヴヴェイの自宅で、次回長編作品の脚本を執筆しているという。

次回作は、1930年代が舞台の時代物。グラップ監督は、プロデューサーのジャンマルク・フレーレ氏と再びタッグを組む予定だ。両氏は、グラップ監督が一躍国際的な称賛を受けるきっかけとなった2作品―60以上の映画祭で上映された短編「SUSPENDU外部リンク(仮訳:中断)」(2015)と、初の長編「オルガ」―を共に作った。今回は、「オルガ」について話を聞いた。

「オルガ」は1月20日、第57回ソロトゥルン映画祭(1月19~26日開催)の栄えある「ソロトゥルン賞」にノミネートされた8作品の1つとして、スイスのドイツ語圏でプレミア上映された。

これはある意味、20年8月にスイスの別の場所で始まった旅にふさわしいフィナーレだ。同年のロカルノ国際映画祭は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受けて通常の開催形式を断念。コロナ禍で制作に深刻な影響が出た作品にスポットライトを当てることにした。

「オルガ」は、同映画祭の特別コンペティション「The Films After Tomorrow外部リンク」に選ばれたスイスの映画制作プロジェクト10本の1つ。最初のロックダウン(都市封鎖)が始まった20年3月、同作の撮影期間は2週間残っていた。

そして今年、これらのプロジェクトから生まれた「オルガ」を含む5作品がソロトゥルンで上映された。

The film director Elie Grappe
エリー・グラップ氏。1994年、フランス生まれ。仏リヨン国立高等音楽院で音楽課程を修了。ローザンヌ美術大学(ECAL)で準備課程を経て、映画を専攻。短編ドキュメンタリー「REHEARSAL(仮訳:リハーサル)」(2014)は、オランダ・アムステルダム・ドキュメンタリー国際映画祭と仏クレルモンフェラン短編映画祭、ポーランド・クラクフ映画祭の上映作品に選ばれた。短編フィクション「SUSPENDU(仮訳:中断)」(2015)は、世界の60の映画祭で上映され、数多くの賞を受賞している Keystone / Laurent Gillieron

スイスにいるウクライナ人のドラマ

「オルガ」は、13年末にウクライナの独立広場で起きた反政権デモを背景に、スイス人とウクライナ人という2つのアイデンティティーの間で葛藤する15歳の体操選手を描いた物語だ。主人公のオルガが(スイス国籍の父親のおかげで)スイス人選手として体操のトレーニングに打ち込む一方で、(ウクライナ国籍の)母親はジャーナリストとして、キエフの現地を取材し、日々、危険にさらされている。グラップ監督は、リアリティーを追求し、メインキャストに本物の体操選手を起用した。

ところが、パンデミックによって20年3月に撮影が中断され、制作方法を見直さざるを得なくなった。

幸い、メインキャストの数が少なく、撮影場所の大半は数カ所の建物の中に限られていたため、感染対策に適応しやすい部分はあった。

だが制作側の努力ではどうにもならない部分もあった。「実際の反政権デモが起きた季節と同じく、この映画は冬を舞台にしている。夏の間に撮り終えることは難しかった。さらに、悲しいことに、映画の後半で登場する予定だった1人のキャストが新型コロナで亡くなった」と説明する。

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カンヌで浴びたフラッシュ

そして2021年7月。グラップ監督が映画のテーマについて調べ始めてから5年の制作期間を経て、「オルガ」はついにカンヌ国際映画祭の「批評家週間」で公開された。

グラップ監督にとって、スリリングであると同時に、少し非現実的な体験だった。「私たちはプレミアの5日前にサウンドミキシングを終えたばかりだったので、最初はまだ現実味がなかった」と話す。また、「私にとってカンヌは初めてではなかったが、自分の作品を発表するのは初めてだった。カンヌの会場がフル稼働しているのを見て驚いた」という。

「オルガ」はワールドプレミア(世界初上映)から2カ月足らずで、アカデミー賞の国際長編映画賞部門のスイス代表作品に選ばれた――が、正式なノミネートに進む予備選考には残らなかった。オスカーの授賞式までたどり着いた最後のスイス映画は、1991年に外国語映画賞に輝いたクサヴィア・コラー監督の「ジャーニー・オブ・ホープ」だ。

米国で配給会社が見つからないのは、選考に残らなかったことが不利に働いているのかもしれない(本稿執筆中はまだ探している)。だが、オスカー・キャンペーンは確かに功を奏した。グラップ監督は「(スイス代表作品に)選ばれてから2回渡米し、CAA(クリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー)という芸能プロダクションに出会った。この出会いは、私のキャリアにとってだけではなく、私は関わっていないがフレーレが手掛けるいくつかのプロジェクトなど、スイスの他のプロジェクトにとっても重要だ」と指摘する。

フランスとのつながり

また、スイスの代表作品に選ばれたことは、監督の個人的な自信にもつながった。「スイスに住んで12年、スイスの映画制作者として認められたと感じている」と話す。グラップ監督は1994年、仏リヨン生まれ。2010年にスイスのヴォー州に移住し、15年にローザンヌ美術大学(ECAL)の映画学科を卒業。卒業作品の短編フィクション「SUSPENDU」で培った運動・競技における肉体の描き方は「オルガ」で花開いた。同作は動画配信サービス「プレイ・スイス外部リンク」で視聴できる。

では、仏映画専門誌「ル・フィルム・フランセ外部リンク」が最近、巻頭で特集したように、フランス人が「オルガ」をフランス映画だと主張することについて、どう感じているのだろうか――。

グラップ監督は「フランスは共同制作国として、都合のいい時にはそう主張するだろう。しかし、制作費のほとんどはスイスが出した。誤解しないでほしいが、私はフランスで制作することに何の反感もない。だが、スイスは居心地がいいし、次回作の資金調達が大々的にスイスで行われることにワクワクしている」と語る。

インタビューの終盤、スイス映画には独自のアイデンティティーがないという海外でのステレオタイプな批評について、監督の意見を聞いた。スイス映画の大半は、映画祭やデジタルプラットフォームを除いて、それぞれの言語圏の外には出ないゆえの批評だ。

監督は「それは確かに問題だ」が、この問題について個人的な意見を述べることはできないという。「私の映画は全国で公開されているので、文句を言える立場ではない」。「オルガ」は、スイスのフランス語圏とイタリア語圏ですでに公開されている。ドイツ語圏の映画館では2月24日から上映される予定だ。

グラップ監督は、スイス国内の映画業界について、国境の外にいる人が先入観を持つのは間違いだと考えている。その理由は、監督がスイスを個人的な創作拠点に選んだフランス人だからだけではない。

「スイスの映画制作は非常に上向きで、アンドレアス・フォンタナ外部リンクシリル・ショーブリン外部リンクをはじめとする若い才能からとても面白い作品が生まれている」と説明する。また、「スイスには幅広い観客にアクセスできる多様性がある。ドキュメンタリーなど興味深い分野に進出するための支援や資金も得られる。ミグロのような大手スーパーマーケットチェーンが、視覚的言語を使った大胆で先鋭的な作品に資金面で貢献している。素晴らしい!」と語る。

グラップ監督はスイス映画産業に明るい未来を見ている。それは決して自身がスイス映画界の期待の星だからではない。

(英語からの翻訳・江藤真理)

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