結婚生活についてインド人の神父(ムラリ・ペルマル、中央)から受けたアドバイスを、嫉妬深い親友のジウリア(トニア・マリア・ツィンデル、右)に話して聞かせる主人公モナ(レベッカ・インダーマウアー)
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「グリッシュ、カメラ、アクツュウン!」。映画「Amur Senza Fin」は、プロの監督が制作した初めてのロマンシュ語映画だ。ロカルノ国際映画祭で高く評価され、今回アメリカでの公開が決まった。スイスにある四つの公用語の一つでありながら、存続が危ぶまれているロマンシュ語とその文化にとって、このような形で多くの人の目に触れる機会を得るのは重要なことだという。
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2019/01/01 10:30
「ロマンシュ語は話す人が最も少ないスイスの公用語かもしれないが、『Amur Senza Fin外部リンク 』は、愛と信仰の物語をユニバーサルな言葉で、素晴らしいユーモアのセンスを持って語っている。世界中の観客にインスピレーションを与えることのできる作品だ」
アメリカでの公開を決めたロサンゼルスの配給会社シネマ・マネージメント・グループ(CMG)のエドワード・ノエルトナー社長はそう説明した。タイトルはロマンシュ語で「終わりなき愛」という意味だが、英語のタイトルは「Hide and Seek」(かくれんぼ)だ。
この91分の作品はもともと、スイスインフォの親会社であるスイス公共放送協会(SRG SSR)がテレビ放送用に製作したコメディドラマだった。ロマンシュ語を一言も話せないインド人の神父がドイツからやってきた、スイス東部の小さな村が舞台だ。ちょっと不自然な設定に聞こえるかもしれないが、聖職者不足が進む今日ではそれほど奇抜な話でもない。
物語は、主人公モナが夫ギエリと昔の親友の浮気を知ることで、劇的な展開を迎える。モナは浮気歴6カ月の夫を許すのか?それとも村に引っ越してきたハンサムな男性と浮気し復讐するのか?その展開の中で、インド人の神父とその型破りなアドバイスはどんな役割を果たすのか?
この予告編は実際のストーリーよりコミカルな部分が強調され、話の結末も読めてしまうような気がするが、評論は脇に置いておこう。この作品が注目に値するのは、グラウビュンデン州のわずか6万人ほどしか使用しないスイスの公用語、ロマンシュ語で撮影された珍しい映画だからだ。
この作品を制作したクリストフ・シャウブ監督外部リンク はスイスインフォに対し、「スイス公共放送協会は初めから、ロマンシュ語のためにこの作品を作りたいと伝えてきた。スイスでロマンシュ語の重要性を高め、人々にこの言語をもっと知ってもらうことが目的だった」と説明した。
映画「Amur Senza Fin」のポスター
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「同時にこの作品では、ロマンシュ語を話す人々の今の生活や、現在この言葉がどのように使われているかを見せる必要があった。多くの人が、ロマンシュ語は誰も話さないし生きた言葉ではないから、まるで博物館のようだと言う。だがもちろんそれは間違い。ロマンシュ語を話すのは農夫や羊飼いではない!普通のことに関心を持った、普通の人たちが話す言葉だ。ロマンシュ語はスイスの平凡な日常の一部だと伝えることが、この作品の『政治的な目標』だ」
ロマンシュ語の保存と促進のために活動する団体Lia Rumantscha外部リンク の広報担当者、アンドレアス・ガブリエルさんも言う。「ロマンシュ語で喧嘩をするシーンが面白いと思った。この言葉がどれほど生き生きとしていて独創的なのかが良く表れている」と話す。ちなみにこの団体は製作には関わっていない。
本作品は初のロマンシュ語映画だと宣伝されているが、実はそうではないとガブリエルさんは指摘する。「最初の作品は1993年の『La Rusna Pearsa(訳:失われた穴)』。だが確かに、プロ監督が制作した作品としては『Amur Senza Fin』が1作目だ」
「素晴らしいチャンス」
この映画の他にも、ロマンシュ語で描かれたWeb漫画の「Il Crestomat」が公開されたりと、スイスではここ数年ロマンシュ文化を広める努力がなされている。
「ロマンシュ語のように使用人口の少ない言語は、多くの人に認識され存在を知られることが非常に重要だ」とガブリエルさんは言う。「その点から言えば、この映画は人々にロマンシュ語と文化を身近に感じてもらえる素晴らしい機会を与えてくれる。それに、マイナー言語は映画に向かないというイメージも払しょくできる」
もちろん、海外向けは字幕付きや吹替版だ。シャウブ監督は、「(インドの)ボリウッド映画に出てくるヒンディー語と英語のように、この作品にはロマンシュ語とドイツ語を混ぜたコミカルなやり取りもあるので、字幕や吹替版ではその魅力が失われる部分もあるだろう。それでもこの映画の面白みに変わりはなく、観客にも受けると思う」と話す。
マイナーな言語で作られたからといって、その映画が高い評価を得たり大ヒットできないことにはならない。アカデミー賞の外国語映画部門にノミネートされたウェールズ語の映画「ソロモンとゲイノール(Solomon a Gaenor)」や、メル・ギブソン監督のマヤ語を使った「アポカリプト(Apocalypto)」やアラム語の「パッション(The Passion of the Christ)」は大きな成功を収めている。
結局は外国の観客にとって、オリジナル版の言葉がロマンシュ語でもルーマニア語でもあまり違いはないのかもしれない。「作品が全体的に理解できるものである限り、国境はあまり関係ないと思っている。この作品はスイスの外に飛び出すことになった。とても素晴らしいことだ」(シャウブ監督)
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ロマンシュ語を話さない監督
ちなみにシャウブ監督も脚本を担当したザビーネ・ポッホハンマー外部リンク さんもロマンシュ語を話さない。脚本はスイスの作家、レオ・チュオール外部リンク さんがドイツ語からロマンシュ語に翻訳し、撮影現場では誰でも理解できるドイツ語が話された。
シャウブ監督は経験豊富外部リンク で、ロマンシュ語でいくつかのドキュメンタリー作品を作ってきた。だがもっとロマンシュ語映画を広めようと望むなら、そのような監督ではなくロマンシュ語話者の監督や脚本家を支援すべきだと言う意見もあるかもしれない。
だが「問題は、ロマンシュ語を話す映画監督がいないことだ」(シャウブ監督)。「当初は、制作にロマンシュ語話者の監督が望まれていた。もちろんグラウビュンデン州にも監督やディレクターはいるが、彼らが話すのはドイツ語で、ドキュメンタリー制作とは状況が違う。ドイツ語の脚本家を採用したのは私ではないが、彼女は素晴らしい仕事をしてくれた」
また監督は、24日間にわたりベヴェリン自然公園外部リンク に近い人口700人ほどの小さな村サゴイン外部リンク で行われた撮影は、「とても楽しくスムーズに進んだ」と話す。
「ロマンシュ語で撮影し、ロマンシュ語を話せる優れた俳優を探すのは難しいので、そういったリスクもあった。ロマンシュの俳優もいるが数は少ない。そのため、採用できた俳優に合わせ人物像を台本で調整する必要があった」
主人公モナを演じたレベッカ・インダーマウアーはロマンシュ語で台詞をこなしたが、実際には話せない。「彼女はロマンシュ語の話される地域で育ったが、両親はロマンシュ語話者ではなかった」(シャウブ監督)。撮影にはロマンシュ語の発音や言い回しについてアドバイスをする方言指導者がついた。
「大きな助けになったし、地元の人たちの協力もあった。都会での撮影と違ってストレスを感じなかった」
「ロマンシュ語は生き残る」
グラウビュンデン州が撮影舞台にもなり、最近ヒットしたスイス映画「ハイジ(Heidi) 」「ウルスリのすず(Schellenursli )」「ゼンネントゥンチ:アルプスの呪い(Sennentuntschi) 」のように、「Amur Senza Fin」もスイスの美しい風景が魅力の一つだ。
村の男たちにとって狩猟がどれほど重要かということもサブプロットの一つ
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「スイスで成功したかったら映画でアルプスを映せ!と言われているほど。私がチューリヒで撮った『Giulias Verschwinden(訳:ジウリアの失踪)外部リンク 』はヒットしたが、アメリカなど海外の観客にとってアルプスの山はエキゾチックな魅力がある」
映画のおかげで今後ロマンシュ語教室に生徒が集まるかどうか分からないが、ガブリエルさんはロマンシュ語の将来に慎重ながらも希望を持っている。
「スイスの人口が増えているのに対し、ロマンシュ語の使用人口はある程度安定している。大切なのは、その言葉が喜びと活力を持って話されること。日常で話され、書かれ続ける限り、ロマンシュ語は生き続けるだろう」
映画 「 Amur Senza Fin (訳:終わりなき愛)」
主にスイスインフォの親会社であるスイス公共放送協会(SRG SSR)の出資を受け、テレビ放送用に予算200万フラン( 約2億2800万円)で製作された。
今年のロカルノ国際映画祭で初公開され、8月20日に国内20カ所の映画館で一斉に上映。スイスインターナショナルエアラインズとルフトハンザ航空の長距離フライトでも提供された。
ドイツ語圏では9月23日に公共テレビ(SRF)で放送され、DVDでも入手可能。
(英語からの翻訳・由比かおり)
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カリジェは「フルリーナと山の鳥」など他にも絵本を制作しているが、どの作品も「ウルスリのすず」ほど人気を博していない。66年、カリジェは国際アンデルセン賞の画家賞を受賞している。
2015年の今年、絵本「ウルスリのすず」は出版70周年記念を迎える。またカリジェ没後30年にあたる年でもあり、新しく製作された映画「ウルスリのすず」も秋に公開を控えている。こうしたことからチューリヒ国立博物館では現在、絵本のイラストだけにとどまらない、カリジェのさまざまな作品の魅力をとらえる時だとしてカリジェの展覧会を開催している。
マルチタレント
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カリジェは1902年、11人兄弟の7番目としてグラウビュンデン州南東部のトゥルンに生まれた。カリジェ本人によれば、当時はまだ貧しかった同州の田舎の山奥でのどかな幼年期を過ごし、その後、家族と共に州都クールへ引っ越したという。また、家族とはロマンシュ語で話していた。
室内装飾を学んだカリジェだが、独学で学び広告デザイナーとしても活躍。観光業界や、39年に開催されたスイス博覧会のポスターにも作品が使われた。「カリジェの作品はウィットとユーモアに富んでいる。スイスの偉大なグラフィックデザイナーの一人だ」とメイヤーさんは話す。
またカリジェは、34年にオープンし51年に閉店した伝説の「キャバレー・コルニション」の舞台美術も担当した。メンバーの中には当時俳優としてよく知られていた、カリジェの兄弟のサーリ・カリジェもいた。
だが、カリジェの心のよりどころはやはり芸術だった。39年、カリジェは画業に専念するため、郷里グラウビュンデン州の山奥へと移る。
カリジェのアート
アロイス・カリジェ展の開催にあたり、カリジェの初期の作品をいくつか貸し出したグラウビュンデンの州立美術館(ビュンドナー美術館)のステファン・クンツ館長は、カリジェは自身が作り上げたイメージである「グラウビュンデン州出身の貴重な芸術家」として知られていたが、同時に「カリジェは州の境界線を越えた、一人の重要な芸術家としても評価されていた」と話す。
カリジェは独自のスタイルを生み出し、それを洗練していった。自分のまわりにあるモチーフを使い、躍動感や力強さあふれる構図に取り入れていった。近所の人々にとって、カリジェは時に何を考えているかわからない人物だったと、クンツ館長は話す。「隣人たちの日々の生活とはかけ離れたことをする存在だったが、農業を営み畑を耕す、ごく普通の人々である隣人に、カリジェは敬意を払っていた。彼らがカリジェに、なぜいつも牛を赤色で描くのかと質問すると、カリジェはこう答えた。『私は芸術家だから、少し頭がおかしいんだ』。しかし隣人たちもまた、常にカリジェに敬意を払っていた」
51年、チューリヒで描いた巨大壁画をきっかけに、カリジェは画家として世間に名を知られるようになる。しかし、その頃すでに得ていたイラストレーターとしての名声だけでなく、グラフィックデザイナーとして制作した多くの作品が、カリジェの芸術家としての名声を損じてしまった、とクンツ館長は話す。
故郷や伝統をモチーフにするスタイルもそれに拍車を掛けた。物ごとがもっとシンプルだった時代を振り返るウルスリの絵本が、戦後の保守的な考え方が見直されていたこの時期に出版されたのは偶然ではない。
「だが芸術家、画家としての彼の作品を見れば、そこにはまた他の良さがみえる。カリジェは素晴らしい画家になった」と、カリジェの作品にみられる遠近法や絵画空間の処理の仕方を例に挙げながら、クンツ館長は高く評価した。
ウルスリのアピール
はじめのうち、カリジェは画業に専念することを理由に、ウルスリの絵本のイラスト制作の依頼を断っていた。また主人公のイラスト制作に長い間苦戦したため、制作に取り掛かってから出版されるまで、5年の年月が掛かった。
しかしドイツ語とロマンシュ語の二つの方言で同時に出版されるやいなや、ウルスリの絵本の人気に火がついた。「今や定番の絵本になった」と、71年から「ウルスリのすず」の出版権をもつオレル・フュースリ出版社のロニー・フォースターさんは話す。
絵本はこれまでに9カ国語に訳され、近々ペルシャ語の出版も控えている。英語版に関しては、素朴でのどかなスイスを感じられるおみやげを買いたい観光客がよく購入していくという。
また、日本では特に人気があり、73年の出版開始からこれまでに4万2千部が売られた。「この数字だけでは、ものすごい販売部数だと思えないかもしれない。しかし、日本の出版社によれば、これほどコンスタントに一定の売り上げを保っている絵本は他に無いという。これは興味深い」とフォースターさんは話す。
開催中の展覧会では「ウルスリのすず」や他の絵本に加え、7番目の作品で未出版の、野生の赤ちゃんヤギを描いた物語「Krickel(カモシカの角)」のスケッチも初めて展示される。これらの作品がカリジェの他の才能に影を落とす原因だった可能性はあるにしろ、カリジェが絵本作家としての活動から得られた喜びはとてつもなく大きなものだったといえる。
絵本作家としての活動を止めたあとも、子どもたちがウルスリの絵本を枕元に置いて寝ているという話を聞くと、うれしそうな顔を見せたカリジェ。
のちにカリジェは、こう書いている。「『街の灰色の道と家』に囲まれた子どもたちに、『山々にある光と輝きにあふれた幼少時代』を届けることが、私にとって重要だった」
カリジェとロマンシュ語
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カリジェがロマンシュ語を保護する取り組みに参加することはなかったが、ロマンシュ語の文化や、知識人たちとの交流があった、とロマンシュ語研究者のリコ・ヴァレーさんは言う。「カリジェの作品は時にロマンシュ語というものを想起させる。それはロマンシュ語を話す人たちのアイデンティティーや、他の人たちのロマンシュ語を話す人たちへの理解にも影響を与えた」
特に影響を与えたのは「ウルスリのすず」だが、カリジェは大人向けの本の挿絵も多く描いており、それらはカリジェとロマンシュ語文化を強く結びつけた。
カリジェにとってロマンシュ語とは、家族を想起させるものだった。「カリジェは『ウルスリのすず』をロマンシュ語の原文で読んだとき、自分の幼少時代と、過ごした素晴らしい時の数々を想ったと語った」(ヴァレーさん)
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