祖国スイスでよみがえる奇才音楽家の魂
12月1日まで約2カ月にわたりスイス各地で開催中の文化イベント「カルチャースケープス・フェスティバル外部リンク」。そのハイライトの1つが、アマゾンの森林破壊を音で表現するブラジルのユニット「バーント・インストゥルメンツ・オーケストラ(BIO)」だ。その演奏を通じ、ブラジルに生き、彼らに影響を与えたスイス人作曲家ヴァルター・スメタクの精神や天才性も故郷に凱旋(がいせん)する。
この記事を書く間にも、20万エーカー外部リンク分のアマゾン熱帯雨林が焼失している。そして読者がこの記事を読む間に、さらに同じだけの面積が焼き払われる。そうした日々の破壊の規模は、もはや当たり前すぎてニュースにもならない。それでも非メインストリームのアートシーンは、カルチャースケープス・フェスティバルなどの活動を通じ、絶えざる破壊で脅かされるのは自然だけでなく、先住・非先住民をひっくるめた自然資源を糧に暮らす人々なのだと訴え続ける。
バーント・インストゥルメンツ・オーケストラ(BIO)のブラジル人作曲家デュオ、マルコ・スカラサッティとリヴィオ・トラクテンベルグ両氏が制作する音響彫刻には、燃えた枯れ木などの素材も使われる。フェスティバル参加のためスイスに招かれた2人は、2カ月にわたりグラウビュンデン州の山間の村シュクオールに滞在し、現地で木材を調達して制作に励んだ。今月中旬には同州クールとティチーノ州ベリンツォーナでプレゼンテーションを行った。21、22日にバーゼルのティンゲリー美術館で演奏外部リンクする予定だ。自ら発明した音響彫刻により、熱帯雨林の窮状に対する意識が高まることを望んでいる。
BIOの音楽は、森林の音や火の弾ける音で構成されているが、同時に視覚的、触覚的な体験でもある。スカラサッティ氏は鑑賞者に対しても、音響彫刻に触れ、演奏してみて「燃えた木のススで手を汚す」よう勧める。同氏は、ブラジル、ベロオリゾンテのミナス・ジェライス連邦大学で教鞭を執るなど音楽教育の研究者でもある。
このプロジェクトのパートナーを務めるリヴィオ・トラクテンベルグ氏は音楽界のベテランだ。主にブラジルとドイツで何十ものサウンドトラックを映画や演劇用に作曲した。ドイツでは長年、ベルリンの名門劇場フォルクスビューネで舞台監督のヨハン・クレスニク氏外部リンクと仕事をした。
スメタクとのつながり
BIOは生まれも育ちもブラジルだが、彼らがスイスで演奏することにはもう1つ、目立たないが深い意義がある。両メンバーの作品や研究は、スイス人チェリストで作曲家、発明家だったヴァルター・スメタクによる実験に多大な影響を受けているのだ。
スメタクはチューリヒでチェコ人の両親のもとに生まれた。父親はひとかどのチター奏者で楽器職人でもあった。1937年、スメタクは、ブラジル南部の都市ポルトアレグレのオーケストラにチェリストとして採用されブラジルに渡った。ところが、彼が到着した時には既にオーケストラは解散してしまっていた。スメタクはブラジル各地で単発の仕事をこなしていたが、57年、ドイツ人作曲家ハンス・ヨアヒム・ケルロイター外部リンクの口利きでバイーア連邦大学で教職に就くことになり、サルバドール(植民地時代ブラジルの初代首都でありアフロ・ブラジル文化の中心地)に移った。
当時、同大学は文化的熱気の発信地となっていた。それは60年代から今に至るまで、ブラジル及び世界のアートシーンに大きな影響を及ぼし続けることになるムーブメントで、今、世界的に評価の高い芸術運動トロピカリア外部リンクの原動力となったのはその世代だった。
このムーブメントは、ブラジルやアフリカのリズムと英米のロック、サイケデリック・ロック、ポップスや前衛音楽を融合させ、映画や演劇、詩など他の芸術形態をも飲み込んでいった。その先頭に立っていたのがバイーア出身のカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、トン・ゼーといったミュージシャンらだったが、彼らの才能は、特にケルロイターやスメタク、そしてイタリア人建築家リナ・ボ・バルディなど欧州から移住してきた文化思想家らの影響を受け、より磨かれた。
しかし、師とされたこれらの欧州人らは、モダニズムの前進を「良き野蛮人に教える」ために来たのではなかった。それどころか、彼らはブラジル滞在を通じて完全にトロピカリアに感化され、ローカル色ある手法や即興、市井の人々のクリエーティブさを取り入れ、自らのモダニストとしての信条の修正を図ろうとした。
バルディやケルロイターが、よりグローバルな前衛芸術の分野で知的対話を持ち続けた一方で、スメタクは、神智学的な理論とアフリカや先住民族の土着文化が混ざり合う秘教的領域にのめり込んでいった。
スメタクが1984年に他界した時、彼が発明した音響彫刻と呼ぶべき楽器はおよそ200種を数えた。それらは西洋の音律に挑戦するような音を奏でるもので、スメタクは微分音外部リンクの探求を通じて、より歴史が古く複雑な東洋音楽の伝統に近づいたのだった。
トラクテンベルグ氏は「BIOプロジェクトで私たちは1つの輪を完成させようとしている」と話す。「スメタクは、その膨大な作品群や世界中の急進的コンテンポラリー作曲家に与える影響にもかかわらず、母国スイスではいまだ無名に近い」
スメタクについては、スイスの公用語(独・仏・伊語)はおろか英語の出版物もほとんど存在しない。ただ、いくつかの特筆すべき例外はある。2015年にカナダの音楽雑誌に掲載された、米国人作曲家で研究者、ニール・レナード氏(ボストン、バークリー音楽大学出身)による詳細な記事外部リンクはその1つだ。
今世紀に入りようやく、スイスの芸術評議会プロ・ヘルヴェティア文化財団の出資で音楽アーカイブのデジタル化が実現した。また、2018年には独ベルリンで展覧会が開かれ、それに付随して一連のセミナーやコンサートが開催された外部リンク。
ブラジルにおいてすらスメタクに関する文献はごくまれで、これまでに出版された最も包括的な著作は、BIO発起人のマルコ・スカラサッティ氏による「Walter Smetak: o alquimista dos sons(仮訳:ヴァルター・スメタク:音の錬金術師)」(2008年)だ。スメタクのオリジナル楽器はサルバドールのソラール・フェランという老朽化した国立博物館に保管されているが、そのあまりにもひどい保管状態に、彼の相続人たちはコレクションを国外の様々な機関に売却し始めた。創作物をブラジルから持ち出すことを禁じたスメタクの遺言に反することも、もはや躊躇(ちゅうちょ)しなかった。数年前、筆者はサルバドールで彼の娘のバルバラさんに遺品のノートや自筆楽譜、日記などを見せてもらったが、それらも破損が進んでいた。
スクラップされるアート
BIOの2人がスイスで作った彫刻も同様の運命に見舞われそうだ。フェスティバルのコンサートやワークショップ、展示会が終われば、おそらく壊されることになる。関係者らに、維持管理する意志が無いためだ。
「結局全ては金とコストの問題で、そこに芸術的配慮はまったく無いらしい」とトラクテンベルグ氏。「ビデオでミニドキュメンタリーを作り、作品のたどる悲しいライフサイクルを見てもらおうかとさえ考えた。2カ月かかって苦労して作った作品が、1回の週末に立派な美術館(ティンゲリー)で展示されたきり、その翌日にはゴミ箱に捨てられるという運命を」
彼らの彫刻が持つ文化的意味合いや意義は別にして、その美的アピール力については我々swissinfo.ch取材班が証言できる。シュクオールのアトリエで2人を取材している最中、通りかかった観光客に「作品は売り物ですか」と聞かれてインタビューを中断したことが2度もあったのだ。スカラサッティ氏はニヤリとして「あの人たちの電話番号を聞いておけばよかった」と言った。
(英語からの翻訳・フュレマン直美)
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