自らデザインした「LC4シェーズロング」に横たわる建築家のシャルロット・ぺリアン。しかし著作権はル・コルビュジエとの連名となっている
VG Bild-Kunst. Bonn 2021, Le Corbusier: F.L.C./ VG Bild-Kunst, Bonn 2021
美術の世界で女性は活躍の場を得て認知されようと闘ってきた。歴史的に男性優位のデザイン界も例外ではない。どんなにハードルが高くても、信用されなくても女性たちはアイデアを紙に書き続けた。そうやってできたデザインの中には世界的名声を得たものもある。だが、彼女たちの名前は往々にして影に隠れたままだった。ヴィトラ・デザインミュージアムではこの不均衡を正そうとする展覧会が催された。
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2022/04/01 08:30
「ル・コルビュジエのシェーズロング」と呼ぶのは誤り――?この有名な皮とスチールの寝椅子は長い間スイス生まれの男性建築家、ル・コルビュジエとして知られるシャルル・エドゥアール・ジャンヌレ・グリのデザインと考えられてきた。しかし実際にはパリの装飾芸術中央連盟付属学校を卒業したてのシャルロット・ペリアン、24歳がデザインしたものだった。
名作チェアの影に隠れる女性デザイナー
パリ生まれのシャルロット・ペリアンは1927年から37年までル・コルビュジエのスタジオで働いた。彼女の寝椅子は当時モダンすぎると考えられ、最初は売れなかった。世界的に有名になったのは60年代初頭、著名なスイスの建築家、ル・コルビュジエがこのデザインを採用し、商品名をLC4に変え彼1人の名前で売り出してからのことだ。しかしオリジナルのB306 シェーズロングの意匠権にはル・コルビュジエと彼のいとこのピエール・ジャンヌレと共に、シャルロット・ペリアンの名前も記されている。
レイ・イームズとチャールズ・イームズの椅子は夫婦共同でデザインされた。模型を製作するレイ・イームズ。1950年
Eames Office LLC
有名な椅子の影に隠れているもう1人の女性デザイナーがレイ・イームズだ。彼女はラウンジチェアやシェルチェアなどアイコニックなイームズの家具を夫と共に作った。多くの同世代の女性たちと同じく、レイの働きはほとんど見過ごされ、彼女の才能が十分に評価されたのは死後のことだ。ヴィトラミュージアムはレイの生誕100周年記念の2012年、キャンパス内の通り名をレイの名前にちなんで改名した。
世紀の変わり目のパイオニアたち
キューバのデザイナー、クララ・ポルセットや1900年にロンドン大学スレード美術学校に女性として初めて入学したアイルランド人のアイリーン・グレイのように素晴らしいキャリアを築いた女性もいる。「それでもデザインの歴史の本では彼女たちに言及しないことが多い」とヴィトラ・デザインミュージアムの展示会のキュレーター、ヴィヴィアン・スタップマンス氏は書いている。バーゼル近くのヴァイル・アム・ラインにあるヴィトラ・デザインミュージアム外部リンク では今年3月まで約半年間、「1900年から今日までのデザイン界の女性たち」展が開催された。
テーブルの模型とクララ・ポルセット。1952年頃。右は彼女がデザインした「ブタケ(アームチェア)」。1948年
Elizabeth Timberman. Archives of American Art, Smithsonian Institution / Vitra Design Museum, Foto: Jürgen Hans
女性のデザインを展示し、歴史的に女性への評価が欠けていたことを見直す試みはこれまでにもあった。建築家であり著述家でもあるジェーン・ホールは2021年に「Woman Made: Great Women Designers(仮訳:女性製:偉大な女性デザイナーたち)」を出版した。この本では50を超える国から200人以上の女性デザイナーを取り上げ、プロダクトデザインに与えた影響をたどっている。
カナダの美術品収集財団スチュワート・プログラム外部リンク はモントリオール美術館と共同では「Designed by Women(女性によるデザイン)」というウェブサイトを立ち上げている。このサイトは世界中の女性デザイナーに光を当てることを目的としている。ゆくゆくは検索可能なデータベースや現代デザイナーのインタビュー動画を公開する予定だ。
左:グレイが設計したヴィラ、テンペ・ア・パイアのために作ったキャビネット。1932~34年。右:アイリーン・グレイ。1927年
Vitra Design Museum, Foto: Jürgen Hans / National Museum of Ireland
スポットライトを浴びた女性たち
影に隠れていたばかりではなく、スポットライトを浴びた女性もいる。その一例が50年代半ばにゼネラルモーターズに採用された女性10人だ。しかし光るもの全てが金ではない。この女性たちは例外的な機会を得たものの、才能が認められたというより、ただの広告塔と見られていた。
ゼネラルモーターズの「デザインの乙女たち」。年頃撮影
Courtesy General Motors Design Archive & Special Collections
戦後の資本主義に沸く米国で、女性の顧客をターゲットにした車を作るために女性が採用された。しかし後のインタビューで語られているように、同僚の男性はいつも彼女たちのデザインスキルを軽視し、明らかに限られた仕事しか任せられなかった。
一方、国家レベルではまだ女性が参政権を得ていなかったスイスだったが、国や州の女性団体、100団体以上が集まり「スイス女性の仕事博覧会(SAFFA)」を開催しようとしていた。女性だけで組織、計画されたこの展覧会は大きな成功を収め、特に建築分野の功績で名を残した。現在まで残るチューリヒ湖の人工島はこの展覧会のために建設されたものだ。
左:ネリー・ルーディンによるスイス女性の仕事博覧会のポスター。チューリヒ。1958年
右:スイス人建築家、フローラ・シュタイガー・クロフォードは積み重ね可能なカンチレバーチェアをチューリヒのツェットハウス(1930年~32年建設)のためにデザインした
Nelly Rudin Plakatsammlung Schule für Gestaltung Basel / Foto: Jürgen Hans / Vitra Design Museum
そして今日
時と共に状況は改善したがまだ完ぺきではない。ルドヴィカ・ジャノーニはローザンヌ美術大学(ECAL)を2015年に卒業後、デンマークとイタリアで働いた後、スイスに帰ってきた。同氏は「私のクラスでは男女がほぼ均等だった。今日デザインは多岐の分野に渡り、20人いた生徒は皆それぞればらばらの方向に進んだ」と振り返る。
「しかし現在自分のアトリエを開いたデザイナーは、ボーイフレンドと一緒にアトリエを開いた女性1人を除いて全て男性だ」
リィズィ・ベックマンによるアームチェア「カレリア」の広告。1969年。ベックマンがデザインしたこの時代を象徴する椅子は、60年代に様々なイタリアの家具メーカーが生産した鮮やかなプラスチック家具の代表格だ
Courtesy Zanotta SpA – Italy
「その他の業界と同じく、ガラスの天井はデザイン界でも存在する」と話すのはチューリヒ芸術大学(ZHdK)のデザイン科の指導員、ラリッサ・ホラシュケ氏だ。デザインの世界では今もジェンダーが根強いと考えている。
「テキスタイルやインテリアといったソフトな分野に対して、プロダクトデザインやインタラクションデザイン(人と物との関係性を対象とするデザイン)はハードな分野。こういった線引きはバウハウスで歴史的に形成されたもので、現在でも存在する」
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(英語からの翻訳・谷川絵里花)
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