Thilo Beu
2022年1月、グラフィックデザイナーのチェレスティーノ・ピアッティが生きていれば100歳になる。ピアッティのグラフィックアートが表紙を飾る本は欧州で2億部以上が発行され、ポスター作品は何十年もスイスに大きな影響を与えた。この「フクロウを描いたアーティスト」はどんな人物で、その大きな成功の理由は何だったのか?
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2022/01/23 08:30
スイスの古書店に行けば、ピアッティが表紙をデザインした本に必ず出会う。ピアッティはdtv出版のためだけでも6300点以上の表紙をデザインし、総発行部数は2億部に上る。
チューリヒの農家出身の毋とティチーノ出身の彫刻家の父の間に生まれたピアッティは、グラフィックデザイナーとしての教育を受けた後、早くも26歳で独立を果たした。ピアッティが生涯で手掛けた膨大な数の作品には、本の表紙だけでなく、絵画、リトグラフ、イラストレーション、絵本、彫刻も含まれる。とりわけ、ピアッティが手がけた広告ポスターは、何十年もの間、街頭の風景を特徴づけた。
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バーゼル・ラント準州:ピアッティのアーカイブには、絵画、ポスター、筒状に巻かれた作品、本、カード、彫刻が山積みになっている。「あなたの父親はワーカホリックな人でしたか?」とホール状の倉庫を案内してくれたピアッティの娘バルバラ・ピアッティさんに尋ねた。「ええ。父は仕事の虫でした。仕事と家庭生活も分けていませんでした。家の中にアトリエがありましたが、ドアは開いていて、子供達が追い払われたことは一度もありませんでした」
Celestino Piatti
「メモ帳を持たない父の姿は一度も見たことがありません。父はしょっちゅうスケッチしていました。あの月面着陸の場面も、わざわざ借りてきたテレビの画面から写生していました」
Ester Unterfinger/swissinfo.ch
ピアッティのスタイルは他と間違えようがない。1960年のバーゼル競馬のポスターは人気の作品で、コレクター達は印刷所に直接出向いて注文しようとした。71年のヘビー級ボクシング世界選手権「The Fight」のポスターも、アイコン的な作品になった
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「チェレスティーノが、戦後に最初の妻マリアンヌ・シュトリッカーと商売を始めた頃、彼らは受けられる注文の全てを頼みにしていました。当初は消費者向け広告が収入の基盤でした」
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後に、ピアッティはもっと政治的になった。バルバラさんはこう語る。「1968年8月2日の朝、チェコスロバキアがソビエト連邦に占領されたとの報道がありました。私の両親は驚愕し、チェレスティーノはすぐに1枚のポスターを描きました。その頃には父はジャーナリストのウルスラ・ピアッティと結婚していたのですが、両親は共同で署名運動を立ち上げ、7万5千筆の署名をベルンのロシア大使館に提出しました」。右は、ピアッティが68〜78年に制作した風刺雑誌ネーベルシュパルター用の表紙絵
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若い頃の自画像
Ester Unterfinger/swissinfo.ch
ピアッティはdtv出版のために6300点以上の本の表紙を描いた。全ての本を読んでいたのだろうか?「はい。毎回、箱単位でハードカバー本を受け取りました。1冊の本を手にした父をよく目にしましたが、後になってスケッチが見つかるのでした。例外は学術本シリーズで、父は専用のタイポグラフィーをデザインし、シリーズ用の色見本を作成しました」
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「本の要点を捉えた、または内容を凝縮した表紙デザインを作り出すために、父は全ての本を少なくとも部分的にでも読む必要がありました。それは父にとって必要不可欠な作業でした」
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ピアッティはフクロウの絵で有名だ。なぜ飽きることなくフクロウを描いたのか?「フクロウは真正面から見つめてくるので、あらゆる感情を表現できます。彼らは恋に落ちているようにも、悲しそうにも、不機嫌にも、怒っているようにも見ることができる。感情が顔に反映されるのです」。絵本「しあわせな ふくろう」からの1枚
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「この絵は私のお気に入りのフクロウで、何年も私の子供部屋に掛けられていました。不釣り合いなほど大きな目が、父にとってフクロウを特別に魅力的にしました。個人的には、私はチェレスティーノの虎やライオンの方が好きです。彼らはより力強く、よりユーモアに富んでいるように思えます」(バルバラさん)
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ピアッティは7冊の絵本のイラストを描いた。バルバラさんは「もし今、父に何か聞けるならば、なぜもっと絵本を制作しなかったのかと尋ねるでしょう」と思いにふける。複数の言語に翻訳されている絵本「ABC der Tiere(仮訳:動物のABC)」からの見開きページ
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「ABC der Tiere(仮訳:動物のABC)」は、ピアッティが芸術家としての制作に打ち込んだパリのアトリエで生まれた。ピアッティが創作のスランプに陥ることはなかったのか?「いいえ。一度もそんなことは起きませんでした。自由な制作活動と依頼によるグラフィックアート制作のどちらに手をつけるか、しょっちゅう決めかねていたくらいです」
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1992年のインタビューでピアッティはこう語っている。「絵を描こうとすると、いつも純血のグラフィックデザイナーが邪魔をした。そしてグラフィックの仕事をすると、絵画制作の方がしたくなった」。シドニーのGallery Aで開催されたピアッティ展のポスター 68年
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1982年、トゥーンの旧市街地で。ピアッティは数日間の野外制作イベントで、更なる環境保護の緊急性を訴えかける大きな壁画を描いた。「土壌、水、空気に配慮しよう――今日、そして未来も」
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2007年の死去まで、ピアッティは通算67年間、芸術家として活動した。22年3月には、スイス郵便がピアッティ作品をモチーフにした特殊切手を発行する。フクロウが採用されるだろうか?
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ピアッティ作品のトレードマークは、黒い輪郭線で縁取られた鮮烈な色彩だ。幅広い層の人々を夢中にさせた作品の魅力とは何だったのか?
swissinfo.chは、バーゼル造形学校のポスターコレクション責任者フィリップ・メスナー氏に、ピアッティが20世紀のスイス人グラフィックデザイナーの中でも特別に人気を集めた理由について聞いた。
swissinfo.ch:なぜ、ピアッティは大きな成功を収めたのでしょうか?
フィリップ・メスナー:ピアッティは単純に、多くのことをうまくやってのけました。ピアッティは極めて有能なグラフィックデザイナーで、エキスパートでした。最初はポスターデザイナーとして成功しました。1948年に若いグラフィックデザイナーとして独立してすぐ、1点の作品がスイスの年間ベストポスターの1枚に選ばれたのです。
当時のスイスはポスターの全盛期で、とりわけ、グラフィックデザイナー間での生産的な芸術の競争が際立っていました。例えば、ヘルベルト・ロイピンやドナルド・ブルンといった同時代人を考えると、そのレベルは高かったと言えます。2人ともピアッティより数個年上で、同時期に同じくバーゼルで活動していました。
ピアッティ特有のスタイルは、その後、それほど飽きられることもなく、何十年という時の試練に耐えることになります。その理由はおそらく、ピアッティがいつも、アイデアをシンプルで的確、かつ人を驚かせる方法で、1枚のイラストに凝縮するのに成功した点にあるでしょう。それでもピアッティは商業グラフィックにおいて決して安住することなく、可能な限り最高の方法を求めて、一生を通じて根気強く奮闘し続けました。
ピアッティは新たな造形を求めて努力した。左:絵の具チューブから直接描いたバーゼル・バレエ団のポスター。右:ロレックスの腕時計サブマリーナーのポスター
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swissinfo.ch:ピアッティはどうやって当時の時代精神を的確に捉えたのでしょうか?
メスナー:ピアッティは、50年代半ばに彼特有のイラストスタイルにたどり着きました。ステンドグラスを思わせるような、カラフルな色面と太く黒い輪郭線によるものです。この「ピアッティ・スタイル」は認知しやすく、いわばデザイナーのピアッティ自身がブランドになったようなものでした。
作品を見た人が即座に感じる愛おしさも、ピアッティ・ブランドの一部です。ピアッティのイラストは、世俗的なプロダクト広告の中にも、人間味の深さを感じさせます。
こうした点において、ピアッティは広告デザイナーである以上に、どこかで常に芸術家的でもありました。50年代以降のポスターには頻繁に、人間味に溢れる動物達が登場しますが、その愛らしさの中に打算やシニシズムを感じさせません。彼らは世界に対する、愛に満ちたまなざしを伝えています。見る人との間に関係性を築くことに成功したピアッティの仕事の特質がそこにある、と私は考えています。
swissinfo.ch:ピアッティはどのようにしてスイス人アーティストとして国際的な名声を得たのですか?
メスナー:ピアッティの国際的な成功を決定づけたのは、とりわけ、成長著しいペーパーバック市場に参入した出版社Deutscher Taschenbuch Verlag(dtv)とのコラボレーションでした。61年、ピアッティは同社のために、先駆的で一貫性のあるタイポグラフィーのデザインコンセプトを生み出しました。その後の35年間で6千以上の本の表紙イラストを描き、総発行部数は2億部を超えました。こうしてピアッティのグラフィックアートは、ドイツ語圏の集合的記憶に決定的に刻み込まれたのです。
ピアッティはその迷いのないタッチを称賛されることが多かった。ベルトルト・ブレヒト(ドイツの劇作家・詩人・演出家)の特徴を捉えるために、ピアッティは筆と墨で28回、習作を行った。右:本の表紙に選ばれたモチーフ、1965年
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swissinfo.ch:ピアッティは実験を好んだにもかかわらず、フクロウのモチーフを常に繰り返して描きました。このことに関して、何か教えてもらえますか?
メスナー:フクロウほど頻繁にピアッティが描いた動物は他にありません。57年が最初の登場で、スイスの書籍出版・販売業界のイメージポスターに、古典的な「知恵」のシンボルとして使われました。
ピアッティの世界では、フクロウは賢く、温和で、親切な存在。それは、ピアッティが重要視していた性質です。まず、彼らを他の鳥類とは異なった存在にしているフクロウの顔には、まさに人間のように表現したくなる趣があります。そして、ピアッティのフクロウを見ると、真っ先にその大きな目と見透かすようなまなざしに目がいきます。グラフィックデザイナーとしても、芸術家としても、確実にピアッティは「見る」という行為が仕事と生活で重要な役割を持つ、視覚型の人間でした。フクロウのモチーフの解明とは、自分自身、また世界における自己の役割の解明であり――すなわち、答えの出ないことを解明しようとすることだと、私は考えています。
絵本「しあわせな ふくろう」表紙絵
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チェレスティーノ・ピアッティ生誕100年 書籍紹介
(独語からの翻訳・アイヒャー農頭美穂)
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