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チューリヒ劇場が反ファシズムの安全地帯になったとき

Theateraufführung
1939年、ペドロ・カルデロン作『世界大劇場』を上演。演じたのは、ドイツから逃れてきた俳優たちだった Richard Schweizer/Stadtarchiv Zürich

チューリヒ劇場は、第二次世界大戦開戦前の数年の間に、ドイツ語で自由に上演できる「最後の砦」となった。1933年以降は、ドイツの舞台に上がれなくなってスイスへと逃れてきた俳優が主にこの舞台で演じることとなった。そして、劇場の上演プログラムは、この場所を反ファシズムの安全地帯へと変えていった。

第二次世界大戦中、チューリヒ劇場はドイツ語で自由に上演できる「最後の砦」となった。国家社会主義(ナチズム)の政権掌握直後からその独自の立場を明白にし、1933年にはすでにナチスの人種嫌悪を扱って、フェルディナント・ブルックナーの『種族』を上演したりした。観客席にはスイスのナチスシンパなどが定期的に訪れて野次を飛ばし、劇場前の広場では「ユダヤ人出ていけ、ユダヤ人出ていけ」とシュプレヒコールが響いた。これは、ユダヤ系の劇場支配人フェルディナント・リーザーに向けられたものでもあった。リーザーは従業員にこん棒を配り、上演を続けた。


Hausansicht
1935年頃のチューリヒ劇場 Ludwig Macher/Baugeschichtliches Archiv

1938年~1945年:反ファシズム的な古典劇

リーザーは1933年以降、ドイツの舞台に立てなくなってスイスへ逃れてきた俳優を主に採用した。そのアンサンブルと自身の勇気で築いた礎により、チューリヒ劇場はその後、名声を得ることになる。しかし、リーザーは1938年に支配人のポストから退き、劇場を売却して、家族とともにアメリカに渡った。金銭的な心配もあったが、その頃には穏健派までもがチューリヒ劇場を批判するようになり、四面楚歌のような状況に耐えられなくなったからだ。チューリヒのマスコミは、ナチス勢力に対してもっと常識的な態度を取るべきだと書き立てた。わざわざユダヤ人問題に触れて、不要な挑発をすべきではないと意見した。また、スイスの作家や劇作家も劇場所有者であるリーザーに抗議し、反ファシズム的な姿勢ではなく、もっと愛国精神を見せるべきだと要求した。

チューリヒ劇場はその後「新劇場株式会社」と改名され、チューリヒ市も株を所有した。民営だった劇場はこうして市営の舞台となった。

一新された幹部は当時、戦闘的なトーンからの脱却を考えていた。開戦の気配が濃くなり、好戦的なドイツを相手にふざけた真似はできなかった。1939年の開戦時には事実、18~19世紀の喜劇や古典劇が上演された。しかし、そんな古典劇からも古めかしさや誇張が少なからず取り除かれ、チューリヒ劇場では他と異った舞台が続けられた。1933年以降、ナチスの統制下に置かれた舞台で激情的な表現が多く見られるようになったドイツとは対照的に、チューリヒでは人情味に重きが置かれた。ナチスのように英雄的な超人として人を描くのではなく、ひそやかに、誇張を控え、ときに弱くときに強く、多彩な人間を表現した。

同時に、これらの伝統作品を扱うことによって、現在の状況に直接触れることなく今を論じることができた。これはあくまでも戦略だった。チューリヒ劇場にやってくる前に政治的なカバレット(文学的な寸劇や演劇)一座で活動していた女優のテレーゼ・ギーゼは、後のインタビューで、「どの作品でも政治的な内容を吟味した。政治的でないものは一つもなかった」と語っている。

Porträt
1940年頃にベルトルト・ブレヒトの作品『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を演じた際のテレーゼ・ギーゼ Doris Gattiker/Stadtarchiv Zürich

チューリヒ劇場では新しい作品も上演された。ここではベルトルト・ブレヒトの作品が、彼の亡命先のスカンジナビアでも無理だった初演を戦時中に迎えたほか、イギリスやアメリカの作品も定期的に上演された。

Theaterszene
1944/45年冬に上演されたマックス・フリッシュの作品『ほら、また歌っている』 Stadtarchiv Zürich

統合の崩壊

終戦間近になると、アンサンブルのメンバーの多くが再び国境の向こう側にあるふるさとに目を向けるようになった。ナチスに破壊された劇団を復興させるべく、遠隔で動き出した。1945年の夏、時を同じくして、ドイツで活動していた俳優たちが爆撃で舞台を失い、スイスに戻ってアンサンブルに加わり出した。こうして、ドイツに迫害された俳優が、ナチスから何年間ももてはやされてきた俳優と同じ舞台に立つことになった。だが、ナチズムの終焉とともに、反ファシストはリベラル・カトリック信者や無所属の左派や共産主義者に戻り、このような統合も終わりを告げた。

※写真キャプションの作品名「ふたたび彼女は歌う」を「ほら、また歌っている」と訂正しました(2021年3月24日)

(独語からの翻訳・小山千早)

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