新生チューリヒ美術館は世界の一流に返り咲けるか
チューリヒ美術館が一大転機を迎えようとしている。新館の増築工事はほぼ完了し、2022年に就任する新館長の選考プロセスも着々と進行中だ。これをバネにチューリヒ美術館は国際的地位を築けるのか。国内外の有名美術館関係者に取材した。
モニュメントのように重厚ながら優雅さも感じさせるチューリヒ美術館外部リンクの新館。スター建築家デイビッド・チッパーフィールドが設計したこのコンパクトな立方体の建物は、開館以来増築を重ねた本館の向かい側、ハイムプラッツに建つ。長い縦方向の付け柱が一定間隔で並び、その間にある細い窓からは新たな芸術の殿堂の内部を垣間見ることができる。入り口ドアの真鍮は、前途への期待を象徴するかのように金色にきらめく。
美術館の総面積はこれまでの2倍となり、エミール・ゲオルグ・ビュールレ外部リンク(1890-1956)のコレクションを筆頭に、数々の貴重な常時貸与作品が展示の主役に加わる。イベントホールを新設し、企画展に沿った催しも拡充するなど、リニューアル後のチューリヒ美術館は「スイス最大規模かつ最もダイナミックな美術館外部リンク」となり、その国際的評判を強化する―という未来図を描く。
こうしたアピールに引き寄せられるかのように、チューリヒ市内でも資金力のある画廊はレミ通り沿いに拠点を確保済みだ。この通りは美術館とチューリヒ湖を結び、理想的な立地とされる。この付近に移転、あるいは支店を開設した画廊は、ランゲ+プルトやエヴァ・プレーゼンフーバーなど過去2年間で6軒ほどに上る。
印象派のオーラ
アートシーンも美術館自身も熱い期待を寄せているのがビュールレ・コレクションのお披露目だ。長年チューリヒ美術館で学芸員として新境地を開拓し、現在は仏アルルのゴッホ財団美術館外部リンクを指揮するバイス・クリガー氏は「これでビュールレ・コレクションもやっと新たな輝きを放つことができる」と声を弾ませる。
また、ケルンにあるルートヴィヒ美術館外部リンクのフィリップ・カイザー元館長は「なんといってもセザンヌとゴーギャンとの再会が楽しみだ」と話す。ベルン出身で現在はロサンゼルスに住む同氏は2017年、ベネチア・ビエンナーレ国際美術展のスイス館外部リンクキュレーターを務めた。
印象派の名作が目白押しのビュールレ・コレクションは、2015年までチューリヒ市の外れにある1軒の邸宅に収蔵されていた。今後は新館内の専用スペースで展示されることになる。現代美術を集めたメルツバッハー・コレクションも同様の扱いとなるが、もう1つの個人コレクション外部リンク、1960年代に焦点を当てたフーベルト・ローザー・コレクションは、主に常設展示に組み込む形で公開される予定だ。
新館増築の経緯に、これら新規の常時貸与作品群、特にビュールレ・コレクションが与えた影響は大きい。2001年の構想着手からずっと計画に携わってきたクリストフ・ベッカー氏は「チューリヒ美術館の増築計画は当初から展示内容の大幅なグレードアップが念頭にあった」と説明する。06年に最初の意思表示があってからビュールレ財団との間で契約が成立したのは12年。美術館にとっては画期的な出来事だった。
しかし、美術収集家兼武器商人だったビュールレの事業を巡る賛否両論はコレクションにも影を落とし、チューリヒ美術館への移管について世論は何度となく燃え上がった。現在では各作品の出所調査外部リンクもかなり進み、以前は独立性に欠けているとメディアに叩かれた、コレクションの来歴外部リンクに関する包括的研究の結果が最近公表された。
美術史において同コレクションが占める重要性については議論の余地が無い。ヨーロッパではパリと並んで最も重要な印象派および後期印象派のコレクションを擁することになったチューリヒ美術館は、これによって国際的存在感が大いに増すという青写真を描く。
ライン・ウォルフス氏:チューリヒに「飛躍的進歩」
こうした「予言」には、swissinfo.chの取材に応じた国内外の美術館関係者らも同意する。2019年末からアムステルダムのステデリク美術館外部リンクを率いるライン・ウォルフス氏は、ヨーロッパでは著名コレクションを売りにする美術館は数多いと指摘しつつも「バーゼルと比較しても、これは飛躍的進歩だ」と評価する。ここ数年、チューリヒはバーゼルの文化的訴求力に押され気味だったのだ。
ウォルフス氏は1990年代のチューリヒ黄金期にミグロ現代美術館外部リンクの初代館長を務めたこともあり、スイスのアートシーン事情には詳しい。また、チューリヒ出身で独ビーレフェルト美術館外部リンク館長のクリスティーナ・ヴェーグ氏は、世界からビュールレ・コレクションや新館に寄せられる関心や興味はオープン直後がピークだろうと考える。しかし、「最終的にはチューリヒ美術館が長期的にこのコレクションとどう向き合っていくかが決め手となる。現状維持が吉と出ることはほとんどない」と述べる。
再び世界トップクラスへ
新館長の仕事の中心はPR活動になるだろう。外部関係者らも強調する通り、国際社会で存在感を発揮したり美術館側が目指すダイナミックさやアクチュアリティーを獲得したりするには、不可欠な仕事だ。クリスティーナ・ヴェーグ氏によると、このクラスの美術館には、今どんな議論が起きているかを敏感に捉えた上でそれを後追いするのではなく、リードしていくことが求められる。
80〜90年代にかけ、チューリヒ美術館がこうした役割を果たしていた時期があった。次々とアートの常識を覆した独立系キュレーターのハラルド・ゼーマン氏外部リンクによる大規模展覧会や、美術や現代における重要テーマへの鋭い観察力で定評のあったバイス・クリガー氏の企画展がそうだった。
ところが、フィリップ・カイザー氏の言によれば、この10〜15年というものチューリヒからは「パワーと輝きが失われていた」。しかし、だからこそ「新しいマネジメントにとっては自らの地位確立と共に地元アートシーンの再活性化を図る上で非常に魅力的な出発点」(カイザー氏)とも言える。
スイス人候補者のチャンスは?
新館長選考委員会のメンバーを見る限り、運営能力だけでなくコンテンツに強い人材が求められていることがうかがえる。委員会にはチューリヒ芸術協会(チューリヒ美術館の後援団体)の代表5人及びスイス人アーティストのピピロッティ・リスト氏外部リンクの他、英ロンドンのテート・モダン外部リンク主席学芸員アヒム・ボーヒャルト・ヒューム氏、独フランクフルトでシュテーデル美術館外部リンク、リービークハウス彫刻博物館外部リンク及びシルン美術館外部リンクの館長を務めるフィリップ・デマント氏、ニューヨーク・メトロポリタン美術館外部リンクの近現代美術部門ディレクター、シーナ・ワグスタフ氏らが名を連ねる。
委員の中でも専門家の陣容は「ややアングロサクソン寄り」(ステデリク美術館ライン・ウォルフス館長)だ。こうした条件下でスイス人候補者にチャンスがあるかどうかは今後を待つしかない。しかし、館長クラスだけでなく日常業務に近い美術館スタッフが選考委員に任命されているという事実は、選考においてキュレーション能力が重視されていることを裏付ける。
独立性と地域とのつながり
新館内展示作業の完了と同様、選考結果の発表までにもあとしばらくの我慢が必要だ。本来は来年早々に決まる予定だったが、パンデミックとそれに伴う移動制限の影響を受け延期になった。つまり、主張や願望、希望を受け付ける余地はまだあるということだ。MASI(イタリア語圏スイス美術館)のトビア・ベッツォーラ館長は、チューリヒ美術館の変革期に必要なリーダーは、透明性を重視し積極的に広くコミュニケーションを取り、まとめ役を果たせる人材だと言う。
バイス・クリガー氏が希望するのは「チューリヒの人々を信頼し愛すると同時に、彼らに対し大胆な挑戦もできる人」。そして「開かれた自分に自信があれば、いわゆる国際的アピールのためにサイズダウンしたスケールでどこかの後追いをする必要はない」と付け加える。
フィリップ・カイザー氏も「新館長の仕事の場はチューリヒだ」と、独立性や地域とのつながりの必要性を強調する。「頑固さと個性」を挙げるクリスティーナ・ヴェーグ氏同様、カイザー氏がチューリヒにふさわしい人材として思い描くのも、大胆でキュレーター的な芸術上のビジョンを持った人物だ。もし選考委員会もこうした考えで一致するならば、チューリヒには大いに新風が吹き込むばかりか、再び黄金時代が訪れるかもしれない。
2020年12月12〜13日:新館オープンハウス(新型コロナ感染症対策のため中止)
2021年4月10日:ダンスパーティー。その後4〜5月にプレビューイベント(パフォーマンス有)とガイド付きツアー他を開催
2021年10月9〜10日:全館グランドオープン
(独語からの翻訳・フュレマン直美)
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