1919年4月12日、ドイツの総合的造形学校バウハウスが創立した。バウハウスは絵画、彫刻、建築などに革新的な教育方法をもたらし、スイス人アーティストにも大きな影響を与えた。今年は創立100周年にちなみ、スイスの博物館やギャラリーで記念展が開かれる。
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機能性、シンプルさ、そして革新性。バウハウス(ドイツ語で「建物の家」を意味する)は14年間しか続かなかったが、学校の理念はいたるところに今も残る。作り付けのキッチン、白い壁、管状のパイプ椅子、平らな屋根の建物、そしてスイスを象徴する鉄道時計などがそうだ。
バウハウス
現代美術と建築を初めて統合した有名な造形芸術学校、バウハウスの開校期間はわずか14年間と短い(1919~33年)。設立者はヴァルター・グロピウス。同校は近代のデザインと建築を創造するある種の実験室のようなものだった。芸術家や手工業者が共に生活し、働き、一つ屋根の下に平等に暮らすという発想は、当時とても画期的だった。家屋に始まり家具、照明器具、壁紙に至るまで、設計、製作、建築は全て共同で行われた。装飾の多い古風なデザインに対抗するシンプルな造形がバウハウスの特徴。
1926年、グロピウスはバウハウスをデッサウに移転。リオネル・ファイニンガー、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーといった芸術家が教師を務めた。建築家やデザイナーは、デッサウから世界中に新しい現代美術を発信していった。バウハウス様式の建造物は世界中の至る所で見られる。マルセル・ブロイヤーの作品「ワシリー・チェア」のように、今でもバウハウスが生み出した家具はモダンなインテリアとして定着している。
第一次世界大戦後の荒廃の中、感覚としての自由と、急進的な実験がドイツのアートシーンに広がった。バウハウスは建築家ヴァルター・グロピウスがいわゆる非政治的な学校としてワイマールに創設。機能的で安価、大量生産が可能かつ芸術的な個性を失わない消費財を生み出すことを目指した。
バウハウスはドイツのデッサウ外部リンク、ベルリンに移ったが、1933年にナチスの弾圧に遭い廃校になった。廃校こそしたが、教鞭をとった指導陣と生徒は世界中に広がり、その多くが米国に移住した。バウハウスの理念は絵画、建築、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、工業デザイン、そしてタイポグラフィなど多方面に永続的な影響をもたらすことになった。
スイスの記念展
今年スイスで開催されるバウハウス関連の記念展は以下の通り。
ヴィンタートゥール美術館(チューリヒ州)の「マックス・ビルとチューリッヒのコンクリート・アート外部リンク」(4月13日 ~2020年1月2日)では、ヴィンタートゥール生まれの博識者ビルが愛したコンクリート・アート(具体芸術)とその表現形式「幾何学的抽象」にスポットを当てる。
チューリヒのホイザー&ヴィルスギャラリーは6月9日 から 9月14日まで、マックス・ビルにちなんだ記念展「max bill. bauhaus constellation外部リンク」を開く。「ダイナミックな会話」をテーマに、ビルがバウハウス時代に出会ったジョセフ・アルバース、リオネル・ファイニンガー、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレー、ラズロモホリー・ナギ、クルト・シュヴィッター、オスカー・シュレンマー、ソフィー・トイバー・アルプらそうそうたるアーティストたちとの軌跡を掘り起こす。
ベルン美術館で8月30日から2020年2月2日まで開かれる「ヨハネス・イッテン:人生としてのアート外部リンク」では、バウハウスの「予備講座」を教えたイッテンに焦点を当てる。予備講座はバウハウスの全生徒が受講する1年間の基礎訓練。スイス人アーティストであり、理論家でもあったイッテンの日記、スケッチブック、代表作品を展示する。
ベルンのパウル・クレー・センターでは「bauhaus imaginista外部リンク」(9月20日~20年1月12日)が開かれ、クレーの教えと生徒たちを紹介する。
チューリヒの建築博物館は、バウハウスで学んだローマン・クレメンスの個展外部リンクを開催(10月31日 ~2020年1月12日)。ステージセット、建築、デザイン、絵画などマルチに活躍したクレメンスの作品を展示する。
ル・コルビュジエ、アレクサンダー・シャウィンスキー、バウハウスの二代目ディレクター、ハンネス・マイヤーなど、バウハウスにゆかりの深いスイス人アーティストについては、今後スイスインフォで紹介する予定だ。
(英語からの翻訳・宇田薫)
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バーゼル出身のスイス人建築家ハンネス・マイヤーは1928年から1930年まで、世界に名をはせた独デッサウの造形学校「バウハウス」二代目学長を務めた。しかし、同じく同校の学長を務めたヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエほど有名になることはなかった。そんなマイヤーと彼のビジョンにスポットを当てた展覧会が現在、デッサウで開催中だ。
旧東ドイツにある小さな街デッサウは、かつてアバンギャルドのメッカだった。そこに1926年に建設されたバウハウス校舎は、今では世界遺産に指定され、世界中からファンが押し寄せる。光あふれるシンプルな建造スタイルから、照明器具、ドアノブなどのインテリアに至るまで、ここにはバウハウス様式の原形が残されている。
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ベルンのパウル・クレー・センターがオープンしてから10年。国際的なネットワークの支えもあり、同センターはようやくかつての悩みから開放された。同センターでは現在、開館10周年を記念し、同時代を生きた画家パウル・クレーとヴァシリー・カンディンスキーの展覧会を開催。世界的に見ても、これまでになく充実した内容となっている。
「2、3年に一度だけではなく、少なくとも1年に一度は集客力の高い展覧会を開催したい」と話すのは、パウル・クレー・センターのペーター・フィッシャー館長だ。「大きなインフラ設備が整っているのだから、それを生かさなければならない」
それと共にフィッシャーさんは、3年半前にディレクターに就任した当初から問題視していた二つの点を明らかにした。それは、たとえ画家パウル・クレーが近代を代表する画家であったとしても、一つのテーマに特化した美術館としてやっていくには、同センターは規模が大き過ぎ、またその運営にも費用が多く掛かるということだ。
「来館者数は、まだ低迷している」とフィッシャーさん。目指す来館者数は20万人だ。2014年の来館者数は16万6千人で、15年はさらに多くの来館者数を見込んでいるという。同センターが抱えていた悩みはもう過去のものになりつつある。
フィッシャーさんは「この10年間でパウル・クレー・センターの特徴が強化できたと考えている。同センターは新しい取り組みだったため、他から何かを採用することはできなかった」と話し、「開館当初から、専門分野において世界各国の美術館と協力するだけでなく、学会においても色々な貢献をすることで、同センターは国際的なポジションを得ることができた。国外で開催された、多くのパウル・クレー関連の展覧会にも関わってきた」と過去を振り返る。
そうした国際的なポジションの確立、他の美術館との交流や協力関係が、今ようやく実を結び始めた。一年ほど前にはロンドンのテート・モダン美術館で、また15年春には独ライプツィヒで行われたクレーの展覧会に協力。両展覧会は大きな反響を呼んだ。
日本では一般教養のクレー
パウル・クレー・センターは、日本の美術館とも深く結びついている。今夏には宇都宮市と神戸市で、同館所蔵のクレー作品を展示予定だ。「クレーは日本で広く受け入れられている。クレーは日本人にとても愛され、またよく知られており、モネやゴッホ、ピカソと同レベルの画家として位置づけられている」とフィッシャーさん。そのためか、同センターの外国人来館者数の3分の1、また夏のシーズン中はその半分を日本人が占めるという。
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