スイス人ファッション写真家ペーター・クナップ氏は1960年代を鋭い目で切り取り、時代の先駆者となった。
このコンテンツが公開されたのは、
チューリヒ州のヴィンタートゥール写真美術館に着くと、入り口の大きな窓越しにペーター・クナップ氏の姿が見えた。カウンターらしき台の向こう側で、積み上げられた展覧会カタログにサインしている。丁寧に手際よく、瞳にどこか誇らしさを携えて。
カタログの写真も、この美術館に展示されている写真も、91歳の同氏が一時代前に撮ったものだ。主に1960年代のパリで、モード誌エルのアートディレクター兼フォトグラファーとして働いていた頃にさかのぼる。会場とカタログの後半は、他の有名ファッション誌や雑誌の依頼で撮影した写真も並ぶ。カタログ最後の写真は1991年、ロレアルのために撮影したものだ。
1960年代の熱気
1960年代の熱気−−それを形作ったのが誰なのかは、言うまでもない。クナップ氏は様変わりする1960〜70年代を写真で表現した。自身のアイデアと写真でモードの世界に一大ムーブメントを巻き起こしたのだ。モデルたちはオートクチュール(注文服)を脱いでプレタポルテ(既製服)、あるいは大量生産された衣服にすら身を包んだ。このファッションの民主化と並行し、クナップ氏はモデルたちに日常の自然さを追求した。服が主役のスタジオ撮影はもはや行わなかった。じっと立つモデルをスタイリストが取り囲み、服を着せ替えるのではなく、モデルたちを連れ、スタジオの外へ、戸外へ、そして街へ出た。モデルたちは普段の生活と同じように、あるいはまるで映画のワンシーンのように動き回った。
美術館の壁に展示された現像写真、レイアウト、大判サイズの写真を眺めると、躍動する世界が見えてくる。そこにはファッションや様式を軽やかに飛び越えるダイナミズムがある。当時はまだ生まれていなかった現代の若者たちにもインパクトを与えるタイムレスな世界だ。
デッサンの精神
この展覧会は歴史的な面白さにとどまらない。クナップ氏もカメラのように目に見えるあらゆるものに対して鋭い感覚を持ち、まるであるがままの世界を画像で捉えるという考えにとりつかれているようだ。その目を通して、世界が見える。写真は、同氏にとって多くのメディアうちの1つに過ぎない。
クナップ氏は早くも13歳で風景画と油絵に情熱を見出した。学校の成績が優秀だったほうびに、画家の指導を受けた。
「1951年、美術工芸学校を卒業してすぐパリに行った。エコール・デ・ボザールで学び、画家になるために。ところがチューリヒで学んだ知識が役立ち、グラフィックデザインの道にも進むことになった。入学直後から、親しくなったアーティストや画廊の依頼を引き受けるようになった」。同氏は1958年に開催されたブリュッセル万博のために複数のパビリオンをデザインしている。
写真を撮り続けながら、創作の原点であるデッサンをやめることはなかった。17歳の時にレオナルド・ダ・ヴィンチの本を買い、書名こそ忘れてしまったがその中の一文を座右の銘にしている。「着想は、それが描かれるまでは着想ではない」
ヴィンタートゥールでの展覧会は、以前同氏が写真財団に寄贈した写真を中心に構成されている。ファッション写真家だったエル時代とその後の1965年から1985年までの作品を中心に、絵画、オリジナル・プリント、レイアウト・スケッチ、資料を含む寄贈品は段ボール箱15箱に及ぶ。
展示を巡っている途中、同氏は大きく引き延ばされた1枚の写真の前で立ち止まった。1965年に発行されたエルの見開きページの複写で、すぐそれと気づいたことからも特に誇らしく思う作品なのだろう。「私はこの写真で時代の最先端に飛び出した。当時はまだ自動巻き上げ機能の付いた写真機がなかったので、(シネカメラの)パイヤール16mmフィルムカメラを使った。モデルの自然な動きを連続写真に分解しようと考えたんだ。モデルには階段を3度下りてもらって短いシークエンスを撮影したが、それだけで数百枚の写真になった。そうなると一つ一つの画像を現場でチェックするのは不可能だ。そこで、どの写真を使うかをライトボックスに載せたフィルムを見ながら決めた」
独語からの翻訳:井口富美子
*展覧会 “Mon temps”外部リンク はヴィンタートゥール写真美術館で2月12日まで開催中
続きを読む
おすすめの記事
アートは仕事:ジャン・フレデリック・シュニーダー ベルンで回顧展
このコンテンツが公開されたのは、
一切プロジェクトを行わないことが自分のプロジェクト。1969年にそう述べたスイス人アーティスト、ジャン・フレデリック・シュニーダーのキャリアは極めてユニークだ。現在、その歩みを辿る展覧会が2つ、ベルンで同時開催されている。
もっと読む アートは仕事:ジャン・フレデリック・シュニーダー ベルンで回顧展
おすすめの記事
デビッド・リンチ その魂に迫る写真展
このコンテンツが公開されたのは、
過去2回開催され成功を収めたオルテン国際写真祭の発起人たちが、自然博物館だった建物を改装して写真美術館をオープンさせた。オープニングイベントは、カルト的人気を誇る米国の映画監督でアーティストのデビッド・リンチ氏の展覧会と、インパクトもたっぷりだ。
もっと読む デビッド・リンチ その魂に迫る写真展
おすすめの記事
変わりゆく国境を撮るスイス人写真家
このコンテンツが公開されたのは、
複数の国と国境を接する小国で暮らすスイス人にとって、国境は馴染みのある存在だ。新型コロナウイルスの感染拡大で閉鎖された間は、一層注目を集めた。スイス人写真家のロジャー・エーベルハルトさんは、さまざまな国境の風景を写真に収めるプロジェクトを3年以上に渡って行った。その結果、特に今の世の中を反映した写真集が出来上がった。
もっと読む 変わりゆく国境を撮るスイス人写真家
おすすめの記事
写真とイラストで震災後の福島で「生きる姿」を伝えるスイス人
このコンテンツが公開されたのは、
福島で震災が起きてまもなく6年。震災後の福島の様子を伝えようとするスイス人がいる。ジュネーブに住むマチュー・ベルトさんとジャン・パトリック・ディ・シルベストロさん。津波被害のあった海岸地区に未だに残る荒廃した光景や、福島第一原発事故により避難指示のあった町村へ帰還した人々の「生きる姿」を、イラストと写真を交えた「波の後―福島周辺」と題する本に映し出して海外に伝える。
福島では政府が提案していた避難指示が次第に解除され、帰還困難区域における復興政策が推し進められる。そんな中、イラストレーターのベルトさんは福島第一原発から15キロ圏内の立ち入り禁止区域に入り、「普通なら誰も行かない場所」での光景を白黒で、質朴な線で「事態の重大さ」を表現する。そして、一緒に報道の旅をした写真家のディ・シルベストロさんは、震災の跡をたどり、写真家にとって「誇張することのない現実」をカラー写真で紹介する。2人は『波の後―福島周辺』で、廃墟と化した町並みと共に避難解除によって帰還した住民がそこで「生きる姿」を紹介する。
まず目を奪われるのは、2014年3月に南相馬市小高区で撮った津波の威力を見せつけられる写真。津波によって三角形の防波堤のコンクリートが内陸3キロメートルのところまで打ち上げられている。この地域では、「ただ冷たい突風が吹いていて、壊れた家を吹き抜ける風の音が響き、たまにカラスの鳴き声があった。それ以外には何も無かった」と振り返って話す。そして、この放射能で汚染された地域で、ボランティア活動でゴミを拾う高齢者の方々に出会った。「荒廃した土地で一生懸命に掃除をするハノイさんという80代の女性に会った。『この土地で再び耕作することができるよう、後世代のために』と言って、何千年もかかるであろう無意味とも言える努力をしていた」とディ・シルベストロさんは語る。「しかし、この女性には普遍の笑顔があり、尊厳を感じた」とベルトさんが付け加える。
さらに2人は、「たとえ健康被害への危険性が高くても、将来への希望を持って、悲劇の後に再編成しようとする人々の日常生活」を描写する。当時、小高町で唯一開いていたという店での写真は、90歳近い女性が、客のいない店を清掃している。「店を閉じていてもしょうがないでしょ。生活が人生をもたらすのよ」と語ったのが印象的だったともディ・シルベストロさんは話す。
陸前高田でのイラストは、父親が赤ちゃんを抱きかかえ、母親が子供の手を引いて道路を渡ろうとする家族で、一見すると普通の日常の風景。だが、ベルトさんによると、背景にある海辺のカフェは震災の津波で完全に損壊したが、再び同じ場所に同じように再建されたもので、若い家族のシーンからは「生を感じて」描いたのだという。「イラストなので、角度を変えて時間をかけて何枚も撮る写真とは違って、さっとその場で感じたものを瞬時に描くことができた」
この報道をするため、何日間も「低放射能といわれる時期」を避難地区で過ごしたという2人。「危険でないとは言えない思う」と明かす。「低放射能を浴びるということで、今は健康被害がないかもしれない。でも、次世代への影響は分からない。分からないからこそ、危険だと思っている」と言う。
「この本は、人類がこれから先に抱えていく『課題の始まりの一つ』をちょっと報告するだけーー」
1969年にはスイスでもヴォー州リュサンの原子炉研究所で放射物質漏れが起きたことを忘れないで欲しい、と写真家は願いを込める。
『波の後―福島周辺』(Notari社出版)
ジュネーブ在住のマチュー・ベルトさんとジャン・パトリック・ディ・シルベストロさんが、震災後のフクシマの様子を白黒のイラストとカラー写真で伝える。ディ・シルベストロさんは、2013年3月から定期的に被災地を訪れているが、撮影は2014年3月にベルトさんと一緒に報道の旅をした時のもの。この本は、3月1日よりスイス仏語圏の書店で販売されているが、4月29、30日にジュネーブで開催されるブックフェアで紹介される。来月からはフランスを始め、カナダやベルギーの書店でも販売される予定。*3月11日には「波の後―福島周辺」に掲載されている写真とイラストの一部をギャラリーで、10カ国語にてご紹介します。
もっと読む 写真とイラストで震災後の福島で「生きる姿」を伝えるスイス人
おすすめの記事
日本のアール・ブリュットが放つ「独自の世界」とは
このコンテンツが公開されたのは、
チューリヒのヴィジオネール美術館で開催中の「アール・ブリュット・ジャパン」展が今週末、好評のうちに幕を閉じる。ここ近年、美術界で再評価されつつあるアール・ブリュットだが、ヨーロッパでは特に、日本のアール・ブリュット作品に注目が集まっている。その「日本」ならではの魅力とは一体何なのか。
「どーん!」。入り口の左手にある獅子像の作品を見た瞬間、真っ先にその言葉が頭に浮かんだ。顔の回りには立派なたてがみがびっしりと生え、二つの目はランランと光り、左右に大きくぱっくりと開いた口からは、鋭い牙が飛び出している。縦横サイズはおよそ30センチ。そのような小ぶりの作品にも関わらず、随分とずっしりした印象を受ける。その隣に置かれているのは、真っ白な人形の作品。顔の部分だけに色がついており、困ったギザギザ眉毛と真っ赤な唇が印象的だ。何も語り掛けていないようでいて、色んなことを語り掛けてくるような大きな目につい見入ってしまう。
ここ、アール・ブリュット作品を専門に扱うヴィジオネール美術館では、今年4月から「アール・ブリュット・ジャパン」展を開催している。反響は大きく、「他の展覧会とは比べものにならないほど来館者数が多く、驚いている」と館長のレア・フーラーさんは話す。
もっと読む 日本のアール・ブリュットが放つ「独自の世界」とは
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。