全て「略奪された美術品」?非西欧圏の芸術がたどった道のり
リートベルク美術館は自身の歴史と向き合い、同館の非西欧圏の美術コレクションにフォーカスした展覧会を企画した。展示作品はどこで手に入れたのか?売買したのは誰なのか?何が起きて、所有者が変わったのか?キュレーターのエスター・ティザ氏に聞いた。
swissinfo.ch:芸術や文化に対する欧州の見方には長い間、植民地主義的なごう慢さがありました。西洋の美術商はいつ頃、非西欧圏の美術の価値に気付いたのですか?
エスター・ティザ:19世紀末に、最初は一部の民俗学者が、非西洋文化のオブジェの儀式や日常での使われ方だけでなく、その美学や造形様式にも興味を持ち始めました。同じ頃、西欧圏外の文化に特化したアート市場が出現します。
例えばフランスの植民地当局は、1930年代初頭にコートジボワールのアビジャンで見本市を開催しましたが、そこでは新技術に加えて美術品も展示されました。これらの見本市では多くの美術品が売却・輸出され、現地のアートシーンの促進につながったと考えられます。
こうして非西欧圏の美術品は宗主国の大都市へ、そしてパブロ・ピカソ、ポール・エリュアール、マックス・エルンストのアトリエにたどり着いたのです。画廊では非西欧圏の美術が同時代の近代美術の作品と一緒に展示され、例えばピカソの作品がカメルーンの仮面の横に並べられました。
swissinfo.ch:非西欧圏からやって来たオブジェが、博物館や美術館に所蔵されるようになった経緯は?
ティザ:最初は個人コレクションだったケースが多いです。例えばリートベルク美術館は、1952年にエデュアルト・フォン・デア・ハイトのコレクションを元に設立され、後に他の個人コレクションも収蔵しました。当館は最初から、非西欧圏の創作物のための美術館という位置付けでした。
美術館は、芸術を民衆のものとし、個人所有だったものを関心のある人々に見せる公の場です。同時に、美術館という機関の発展のタイミングは植民地時代に重なりますが、帝国主義と植民地主義という非対称な権力関係の現れでもあります。それは、原産国における外交、調査、美術品売買といった異なる背景を持つコレクションでも同様です。
swissinfo.ch:そうした背景が理由となり、非西欧圏の美術のコレクションは今日ではしばしば批判を受け、作品の返還が議論されています。その中で現在、あなたが重要視するものは?
ティザ:作品返還の議論において確実に最優先事項となるのは、武力紛争の中で略奪されたオブジェです。ベニン王国のブロンズ彫刻のケース(現在のナイジェリアに存在したベニン王国から略奪されたブロンズ彫刻を含む美術品の返還に対する、欧州諸国・機関の対応が近年話題とされる)で問題となるのは、1897年の英国の軍事行動、すなわち帝国による同国の征服です。同様の現象が世界各地で起こりました。例えば第2次アヘン戦争の最中の1860年、清朝離宮・円明園から略奪された多くのオブジェが、中国から欧州に渡りました。
考古学の分野では盗掘、すなわち非公式の発掘という現象が、今日まで世界中で起きています。しかし、植民地を背景とする権力の非対称性の中でさえ、全てを一括りに略奪品と見なすことはできません。取得に至った背景や理由は様々だからです。
swissinfo.ch:例えば、どんな背景が考えられますか?
ティザ:物々交換や外交上の贈与品、売却によって得られたものです。動いていたのは植民地体制だけではありません。
1950年代にチューリヒがアフリカからの美術品の重要な中継地点になった理由の1つに、原産国でそれらのオブジェが手放されたことがあります。その理由は様々です。植民地主義は、宗教的な側面も含め、多くのアフリカの国々で社会に変化をもたらしました。このコンテクストの中で、コートジボワールでは文字通りのイコノクラスム(聖画像破壊)が起きました。マッサという祭司が国中を周り、人々に儀式用の品々を手放すよう促したのです。
カトリック布教団はそれらを調査・目録化し、価値を査定しました。そして一部をアビジャンの植民地政府に渡し、残りは売却しました。売却先の中には、当時のリートベルク美術館館長エルジー・ロイツィンガーに作品を売却したチューリヒの美術商エミール・シュトラーも含まれます。
swissinfo.ch:つまり、それらのオブジェは救われたということですか?
ティザ:いいえ。こうした成り行きを決して美術品の「救済」と考えたり、正当化したりするべきではありません。それはあまりに一面的な見方でしょう。社会的、政治的、宗教的な変化に伴い、そうしたオブジェも異なって解釈されるようになりました。
略奪ではない取得の例として、外交的な贈り物もあります。植民地にされた地域の元々の支配者たちは、贈り物を通して同盟関係を築こうともしました。それは新たな権力者と良い関係を結ぶ手段の1つでした。例えば、バーゼル伝道会のコレクションの多くは贈り物ですが、その中には無論、圧力を受けて贈与または売却されたものもあります。
swissinfo.ch:どのような圧力が?
ティザ:西洋の商人が何度も赴き、しつこく交渉したのです。こうしたケースが後世に伝えられることはほとんどありませんでした。
swissinfo.ch:こうした譲渡の経緯を知ることは、なぜ難しいのでしょう。
ティザ:1つには、アフリカ社会の大半が口頭伝承の文化を持つため、そうした取引が文字ではなく口頭で伝えられたことが挙げられます。私たちはアフリカの歴史の再構築のためにオーラルヒストリーによる取り組みも試みていますが、植民地の役人や西洋のコレクターの非常に一方的な記録にしかたどり着けないこともしばしばです。
更に、私は調査のため、こうしたコレクターや美術商の資料入手にも取り組んでいます。しかし、そこでも常に、何を記録に残したかったのか、実際に略奪について書き記すのは、日記、あるいは友人への手紙なのか、といった疑問が浮かんできます。盗掘に参加した人物は、売却時に本当の入手場所を明かしたりはしないものです。
リートベルク美術館は、1991年に美術商のエルンスト・ウィニツキから購入した、ベニン王国産の象牙彫刻を所蔵しています。この象牙彫刻には、かろうじて「1897年の象牙」というメモが付いているだけでした。すなわち、ベニン王国で略奪が起きた年です。それが、この象牙彫刻が略奪品だと示すものとは限りません。むしろこのメモが伝えようとしているのは、この作品は模造品ではなく本物で、1897年以前のものであることから、1950年代に作られた観光客向けの芸術品ではない、ということです。
swissinfo.ch:つまり、美術品の入手を巡る問題よりも、本物であることが重要だったのですね。
ティザ:近年、歴史の解釈は変わりました。「Wege der Kunst(仮訳:美術品がたどって来た道)」展で紹介したように、博物館や美術館の作品収集活動の実践や倫理の発展を示す背景に偶然出会うこともあります。その例が当館の古アメリカコレクションのレリーフの1つで、後に違法に輸出されたものと判明しました。
1960年代初頭の購入の際、アムステルダムとニューヨークの専門家に対し、作品が本当に本物かどうかの照会が行なわれました。問題とされたのは作品の真贋(しんがん)で、チューリヒに渡った経緯ではなかったのです。それは70年にユネスコ条約(文化財の不法な輸入、輸出および所有権譲渡の禁止および防止の手段に関する条約)が採択される前までは普通のことでした。今日では、博物館や美術館は異なるアプローチを取っています。
swissinfo.ch:当時、美術品の返還請求はまだ行われていなかったのですか?
ティザ:そうした声は上がっていました。ナイジェリアでは、まだ植民地だった1930年代に既に、英国に対する最初の返還請求が行われました。60年代の独立運動の中でようやく始められたわけではありません。
swissinfo.ch:近年、作品返還の議論が再燃している理由は?
ティザ:博物館や美術館はもう長い間、変化の中にあります。何がどのように展示されるべきか?博物館や美術館は、解釈を巡りどんな特権があるのか?そうした問題が、以前よりもずっと強く自問されるようになりました。我々は、グローバル化されながらも、ある意味で分断された世界に暮らしています。そこで、新たな協働の形にたどり着く必要があります。リートベルク美術館はずっと前から、そこに重点を置いてきました。
美術品の出所と不正な入手のコンテクストに対する問いかけは、ナチスの美術品略奪の調査がきっかけとなっている部分が大きいです。それに加え、非西欧圏由来の文化財の来歴調査は特に、産出国との対話にも重点を置いています。それは所蔵品の将来について議論する前に、既に作品調査の時点から始まっています。
swissinfo.ch:具体的にはどんな取り組みがありますか?
ティザ:スイス・ベニン・イニシアチブでは、立ち上げ時からベニンシティ出身の研究者がチームに参加しました。その研究者はナイジェリアの資料の通読・整理を行い、また同国の歴史を知り尽くしており、そして何より、例えば鋳物工や彫刻家のギルドといった芸術の作り手の、口頭伝承による歴史についての議論をプロジェクトにもたらしてくれました。芸術や文化の作り手との出会いは、美術品略奪が引き起こしたトラウマについて、これまで以上に強く考えさせられます。
現在、スイスの博物館や美術館にも、ベニン王国所出と推定される作品約100点が所蔵される。これまで返還請求は行われていないが、スイスの8つの博物館と美術館は「スイス・ベニン・イニシアチブ」として提携を結んだ。現在のナイジェリアにあったベニン王国所出の所蔵品の出所のより正確な調査を目的とする。ナイジェリアの研究者や機関との意見交換も行っている。
リートベルク美術館は、各国の発掘現場や芸術家、キュレーターとのコラボレーションも行っています。また、徹底的な来歴調査に取り組んでおり、返還の照会があった場合にもゼロから始める必要はありません。もっとも、リートベルク美術館は、まだ返還の問い合わせを受けたことはありませんが。
swissinfo.ch:完全に解明できないものは返還するという、グルリット・モデルも選択肢に入りますか?
その点に関しては、本当に個別に検討すべきです。私は一律の解決策は当てはめないようにしています。言い訳ではありません。空白箇所があるならば、そこに目を向け、解決策を探さなければなりません。しかし、初めから対話を求めることが重要です。オープンで透明性が高い環境であれば、作品返還や共同調査、返還条件についての議論が可能になります。こうした作業は建設的かつ生産的に行えるはずで、必ずしも対立的に進められる必要はないと考えています。
「Wege der Kunst外部リンク(仮訳:美術品がたどって来た道)」展は、チューリヒのリートベルク美術館で2023年6月25日まで開催中。
独語からの翻訳:アイヒャー農頭美穂
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