活発な商船業と言うとスイスのような内陸国にはそぐわないように思えるかもしれないが、実は公海を運行する船団がある。1960年代にスイス人船員たちが撮影した映像が発見されたことをきっかけに、海に関連する現代社会の緊急課題を扱う展覧会がチューリヒで開催されることとなった。
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2020/03/30 08:30
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大海原とそれが約束する自由。1950年代後半、法定年齢に達してすぐに船員になるためスイスのアッツモース村を出たエルンスト・クリスティンガーさんが求めていたのはそれだった。
それからの15年間、クリスティンガーさんはスイスの貿易船として最も有名な船の一隻、MSバジレア号に乗って世界を旅した。
エルンストさんと船員仲間は、香港に寄港した際に買った安価なスーパー8mmカメラで海の生活を記録した。エルンストさんの没後、息子のダミアンさんは他の書類や絵葉書や写真とともにこれらの映像を発見した
ダミアン・クリスティンガーさんは、父親になる前のエルンストさんの生活に光を当てるこれらの資料を、愛情を込めて調べた。
内陸国スイスに海運業があったと言うと矛盾のように聞こえるかもしれない。キュレーターとしてこれらの映像を見たダミアンさんは、スイスの歴史のあまりよく知られていない側面に切り込むきっかけになると気づいた。
ダミアンさんはチューリヒのヨハン・ヤコブ美術館のロジャー・ビュルゲル館長と研究者のベティーナ・シューラーさんと組んで、この資料をもとに、より範囲を広げた「船は来ない」展を企画した。この3人の尽力で、海上における今日非常に緊急性の高い問題のいくつかについて考察する展覧会がチューリヒの美術館で実現した。
企画を担当したのはまさに適任の人物だった。ビュルゲル館長は当時のチューリヒのコーヒー博物館(ヤコブ美術館はかつてその名で知られていた)を改修して、芸術と科学と社会研究を織り交ぜながら交易路と世界的な諸問題について考えるための一種の研究所にしようとしていたのだ。
スイス社会から逃れる手段
商船はかつて、エルンストさんのような落ち着かない若者の想像力を掻き立てる存在だったとダミアンさんは説明する。こういった若者たちは、故郷の町や谷の融通の効かない社会を超えた仕事や出世の見込みがほとんどなかったため、別のもっと自由な生活を海に求めた。
しかしこの展覧会は単なる過去の回想ではない。公式の物語への懸念を示すものでもない。とは言っても、アドナン・ソフティックやスイス人・ブラジル人ユニットのディアス&リートヴェーグなどの現代アーティストによる注意深く選ばれた作品や映像とともに展示される元の映像は、過去数百年におけるスイスの貿易国としての重要性を浮き彫りにしている。
例えば、南北アメリカ大陸の奴隷貿易に、スイスの会社や金融業者や貿易商はかつて心から関与していた。スイスの政治的中立性にもかかわらず、スイスの起業家の一部は宗主国によって開かれた商機に大いに乗じて資本を蓄積した。このアルプスの小国が今も世界経済の中で中心的な役割を果たしているのはそのおかげもある。
ヨハン・ヤコブ方式
ダミアン・クリスティンガーさんは、父親が泣いたのを一度だけ見た覚えがあると言う。休暇でギリシャの海辺に着いた時のことだ。海で長い時間を過ごしたエルンストさんは再びその広さを目にし、海への「永遠の愛」を宣言したのだそうだ。
しかし、ドイツのカッセルで開かれた有名な「ドクメンタ7」(2007年)のディレクター(芸術総監督)を務めたビュルゲルさんは、クリスティンガーさんが発掘した映像を感傷的な過去の表現とするのではなく、より幅広い問題を扱うための道具として用いる。
キュレーターたちはそのロマンチックな懐古の情と、移民や危機的状況において海を命綱とする人々など、エルンストさんとは違った風に海を体験する何百万人もの人々の経験を対比させることを目指した。
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「船は来ない」は昔の船員のスーパー8mm映像を扱う中で浮上したある疑問から生まれた。これらの映像の「観光客としての視線」が歴史的、政治的、あるいは美学的な重要性を獲得するのはどのような場合だろうか?
前景 アラン・セクーラ(アメリカ、1951〜2013年)の作品「The Docker’s Museum」の一部をなす写真(Johann Jacobs Museum Zurich)
Johann Jacobs Museum Zurich
フランスの画家テオドール・ジェリコー(1791〜1824年)の作品「メデューズ号の筏」(ルーヴル美術館)の前に集まって写真を撮る観光客。1816年にセネガル沖で起こった大惨事をもとにした本作品は、1819年に発表されるや激しい賛否両論を呼んだ。「ジェリコーの絵画のインスピレーション源となったのは人間の運命というよりも、むしろ政治的大失敗、より正確にはフランスの王政復古で権力の座に返り咲き、積極的に奴隷貿易などに関与した腐敗した上流階級の失敗だった」(Keystone / Christophe Petit Tesson)
Keystone / Christophe Petit Tesson
ドイツ人画家ディルク・シュミット(1965年生まれ)は主に歴史的な想像力に関心を持っている。シュミットのこの絵画作品「無題(サロン・カレ 1819/ルーヴル 2001/02)」は、ジェリコーの「メデューズ号の筏」への人々の反応を遊び心たっぷりに扱っている。(キャンバスに油彩、連作「SIEV-X事件 – 難民政策強化の事例、2001/2002」の三連祭壇画の中央画。画家の厚意により掲載)
Johann Jacobs Museum Zurich
1960年代にMSバジレア号の船員たちが撮影したスーパー8mmフィルムの映像からの一コマ。船員たちは船上での単調な日々の作業だけでなく、中国の文化大革命の際の軍事パレードや、今日のエリトリアにあるマッサワ港でのエチオピアの故ハイレ・セラシエ1世によるロシアの戦艦訪問などの歴史的な瞬間も目撃していた(Johann Jacobs Museum)
Johann Jacobs Museum
マルチメディア・アーティストのヒラ・ナビ(1987年生まれ)は、画像と語りを通じて記憶と歴史、目撃と証言の関係を問いながら、研究と視覚芸術作品制作の間を横断する。ドキュメンタリー・フィクション映像作品「地の端で消滅するものすべて」は船舶解体場と、パキスタン南西部ガダニで過酷な労働条件のもとで働く移民労働者の研究である(Hira Nabi)
Hira Nabi
アドナン・ソフティックが暗示する「ビビー・チャレンジ」は、1990年代にユーゴスラビア内戦から逃れてきた難民の住居としてドイツ政府がハンブルクで使用した、クルーズ船とコンテナ船を足して2で割ったような船のこと。ソフティックはこの船で生活していた。インスタレーション作品では、船上の特殊な生活ぶりが音声と画像で再構築されている。(アドナン・ソフティック、「ビビー・チャレンジ」、プラスティック、2018年)
Adnan Softić
ディルク・シュミット「外国人嫌い – 難破の場面、10月19日の朝インド洋で溺死した353人の亡命希望者に捧げる」 、ポリ塩化ビニルシートにアクリル、油彩、連作「SIEV-X事件 – 難民政策強化の事例、2001/2002」より。画家の厚意により掲載
Dierk Schmidt
展覧会では、殺人や略奪や貧困から逃れて未知の避難所を目指し、勇敢に海を渡る何百人もの難民や、インドやパキスタンの港の巨大な船舶解体場で船を金属スクラップに解体する危険な仕事に従事する労働者に注目する。
展覧会のタイトルである「船は来ない」は、船の訪れを希望の前触れとするイメージに水をさしている。ビュルゲルさんによると本展覧会のテーマはむしろ、「どのような結果になるかわからない船旅」なのだそうだ。「ただし、わからない結果が必ずしも悲劇的というわけではない」。
展覧会以外にも
展覧会と並行して、美術館では一連の講演会も催されている。
講演会のテーマは海と関連した人間の想像力だ。そこからは、あらゆる海獣や、海が引き起こす畏怖の念や恐怖を表す比喩や表現が生まれる。地図のデザインからは図形や記号に隠された現実の物語が読み取れる。
イタリア人写真家・映画監督のアルミン・リンケさんは、例えば国際海洋法の発展といった重要な問題の退屈さや単調さを考察する。法律家や立法家は、海そのもの(およびその他の非人間的存在)に法的代理人が必要かどうかという問題に直面した。また、深海採鉱をめぐる法的、環境的、経済的問題にも注目する。
イタリア、フィレンツェのドイツ美術史研究所の上級研究員ハンナ・バーデルさんは、現代アーティストが今日の移民の苦境をどのように扱っているかを考察しつつ、別の作品においては、海の純然たる大きさと人間の不可視性および声のなさが対比されていると述べている。
新型コロナウイルス危機のため、展覧会および予定されていた講演会はすべて、追って通知があるまで中止となった。しかし主催者によると、本展は予定されていた5月の終了日より会期が延長される可能性があるため、ヨハン・ヤコブ美術館のウェブサイト外部リンク をチェックしてほしいとのこと。
(英語からの翻訳・西田英恵)
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