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スイス現代美術家ディーター・ロート 規格破りな芸術人生

スイス現代美術家ディーター・ロートが死去してから四半世紀。大量の作品群を後世に残したロートは、創作にあたり芸術の神髄とも言える自由な精神や妥協なき姿勢を貫いた。

ディーター・ロートがバーゼルのアトリエで心臓発作を起こしてこの世を去ったのは1998年6月5日のことだった。享年68歳。不休の芸術家の飽くなき探求を止められたのは、まさに死のみだった。

ロートが残した功績は、その大量の作品群だけではない。真の遺産は、今日のアートシーンとは全く趣を異にするロートの人生観と芸術に対する姿勢にある。

狂ったような生産性と絶対的な傍若無人さを兼ね備えた多才な芸術家、ロート。一切の聖域はなく、まして芸術の規範など論外だった。道を阻む物は全て、再解釈、再構成、反転し逆手に取り、駄洒落に変えるチャンスに使った。同氏の本名はカール・ディートリッヒ・ロート(Roth)だが、スペルを「Rot」に変えたペンネームを使うこともあった。自分の名前でさえ、英語の「rot(腐る)」とドイツ語の「rot(赤)」にもじって楽しんでいたのだ。

ロートが残した膨大な作品群を全てカテゴリー化するのはほぼ不可能だ。1970年代半ばにドイツの出版者ハンスイェルク・マイヤーに説得されてまとめた作品集を例に取ると、ロートはこれらを「ブックワークス」と称したが、作品集は本という媒体を用途に応じて様々な方法で再解釈しており、ほとんど「読む」ための本ではなかった。

こうして完成した全26巻に及ぶアーティストブック「Gesammelte Werke(仮訳:作品集)」は、彼の作品のほんの一部に過ぎない。ロートが残した彫刻、版画、絵画、絵葉書、映画、詩などを全て目録化するのは至難の業だ。

放浪の末、芸術の道へ

1930年、ロートはドイツのハノーファーで生まれた。第2次世界大戦(1939~45年)勃発後の数年は、夏の間だけスイスで過ごした。スイス人の父親とドイツ人の母親を持つロートは、二重国籍のおかげで中立国スイスへと戦火を逃れられたのだ。

1943年以降は通年スイスで亡命生活を送るようになり、ロートはユダヤ人や共産主義者の芸術家も保護していた家族の下へ身を寄せた。この環境が若きロートに影響を与えたことは確かだ。元は広告業に従事していたロートは、型破りかつ様々なスタイルが浮かんでは消える現代アバンギャルドを扱っていたが、既に1950年代にはこの仕事を辞めている。

以来、住む場所を転々とするうちに、ロートは20世紀後半の西洋アートシーンの震源地へと引き寄せられていく。ヨーゼフ・ボイス、ダニエル・スペーリ、ジグマー・ポルケなどの1960年代に活躍したドイツの怒れる若手アーティストらや、世界的なフルクサス、ポップアーティスト、ネオ・ダダイストなど、当時話題になったほとんどの芸術家らと親交があったが、ロートは基本的には一匹狼で、自ら運動に関わったりグループに参加したりすることは一切なかった。

1960年代当初、ロートはサイン入り限定版の版画を「ドクメンタ外部リンク」で販売し、美術品収集の民主化の火付け役となった。独カッセルで開催されるドクメンタは、今や欧州をはじめ世界各国で最も重要な現代美術の国際展だ。当時勢いを増していた中産階級は、ドクメンタで手頃に入手できるアートの買い手として大きく貢献した。こうして生まれた商業的な流れは、今では世界中の美術展や美術館、ギャラリーの重要な収入源となっている(ドクメンタ自体は1972年の全面リニューアル後、一切の商業活動を終了した)。

ロートの独創性は止まる所を知らなかった。ふやかした本を腸詰めにして文学をソーセージに変身させたり、ヨーグルトやチョコレート、バナナ、チーズなどの有機素材を使い、その腐敗によって発生するカビやハエの死骸を使った「生分解性アート」という独自の手法を考案したりした。また詩集「Scheisse. Neue Gedichte von Dieter Rot(仮訳:糞。ディーター・ロートの新しい詩集)」では、わざとドイツ語が苦手な米国人の学生にタイピング作業を任せ、誤字脱字は全て無修正のまま出版している。

ロートは「マルチプル作品」(同一作品のシリーズで、通常は販売目的に作られた署名入りの限定版)の考案者ではないが、同時代の最も過激な作家の中でも異彩を放っていた。チョコレートやケーキを用いた小さな彫像を制作したロートは(当然サンプルは残っていないが)、かのリンツ&シュプルングリのゴールドバニーの鋳型を使い、チョコレートの代わりにウサギの糞でウサギを象(かたど)ったことさえある。

ボイスやオノ・ヨーコといった同輩アーティストに匹敵する名声こそ得られなかったものの、ロートの作品は今もなおアート市場で流通している。版画やマルチプル作品の多くは400~1万ドル(約5万7千円~142万円)と手が届きそうだが、作品によっては10万ドル単位の値が付くこともあり、高級品を扱うオークションハウスやギャラリーを中心に出回っている。

現在ロートのインスタレーションが展示されている唯一の場所は、スイスの高級リゾート地サン・モリッツにあるギャラリー「ハウザー&ワース」だ。長年コラボレーターを務めた息子ビョルンさんの協力で設置された「ロート・バー外部リンク」は、ロート自身よりも長生きし、今も進化と成長を続けている。

語り継がれる不滅の逸話

ロートの無数の作品群に勝るとも劣らないのが、同氏が残した無形の遺産だ。ロートのファンや友人、かつてのコラボレーターや同僚、アーティスト仲間から成るコミュニティは、2000年に「ディーター・ロート・アカデミー外部リンク」を設立し、同氏の精神を今も受け継いでいる。

アカデミーは晩年のロートの信念に則り、特定の場所やカリキュラムに縛られずに活動する。オフィスのような物理的な拠点はなく、バーゼル、ハンガリー、中国、ドイツなど、世界の様々な場所で不定期的に会議を開いている。

ウェブサイトには論文や原文、翻訳、そして他では入手できない資料が満載だ。「会議」の最後に必ず、参加者がロートにまつわる思い出や逸話、ジョークを語るのが通例となっている点も興味深い。

今やアーティストは、数千億円規模のアート市場の歯車に過ぎない。芸術学校へ行きさえすれば肩書きが与えられ、アートまで科学的な研究や手法を取り入れるご時世だ。そんな今、型破りな探求と無遠慮な生き様を心のままに貫いたロートは、酔狂でありながらも、ふとした気づきを与えてくれる対極を成す存在と言える。

アーカイブ情報提供:Caroline Honegger、編集:Virginie Mangin、英語からの翻訳:シュミット一恵

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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