経営陣刷新の「アート・バーゼル」、欧米偏重のアート界を変えられるか
今年6月に開催された「アート・バーゼル」は、新型コロナと経営陣のトップ交代劇という荒波を乗り越え、ようやく「通常通り」に戻った。新CEO就任後初の開催となったが、欧米ギャラリストが優遇される風潮はいまだ根強い。
世界で最も権威のあるアートフェア、アート・バーゼル。その常連が見ても、今年のフェアは一見、昨年と何ら変わりない印象だった。世界36カ国から参加する285ギャラリーが極上のアートでブースを埋め尽くし、多くのアートファンを魅了した。並行して開催された見本市リステ外部リンク(Liste)とヴォルタ外部リンク(Volta)も、従来通り若手ギャラリーやアーティストに手ごろな料金を提供し、市内のアート関連施設は見ごたえのある展覧会で人々の目を楽しませた。
だがその舞台裏では、アート・バーゼルと母体MCHグループ外部リンクの人事に大きな地殻変動が起きていた。昨年12月、アート・バーゼルを10年以上運営したマーク・シュピーグラー氏が退き、新CEOにノア・ホロヴィッツ氏が就任したのだ。ホロヴィッツ氏は過去に6年間「アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ」のディレクターを務めた経験を持つ。2021年にオークションハウスのサザビーズに移籍していた。
シュピーグラー氏がアート・バーゼルに残した功績は大きい。2002年に始まったアート・バーゼル・マイアミ・ビーチを統合し、2013年にはアート・バーゼル香港を立ち上げた。在任中は英国の現代美術雑誌「アート・レビュー(ArtReview)外部リンク」が毎年発表するランキング「パワー100」で、国際的なアート界で最も影響力のある100人の1人に選ばれている。
ギャラリストらはswissinfo.chの取材に対し、役員交代で新風が吹き込むと歓迎した。ホロヴィッツ氏はまだ組織改正には着手しておらず、現時点で同氏の業績に数えられるのは、アート・バーゼル・マイアミ・ビーチのディレクター時代(2015~21年)に考案した、厳選13ギャラリー出展による「カビネット」部門だ。だが「目新しいことはそれだけ」と常連ギャラリー「ペーター・キルヒマン」外部リンク(所在地チューリヒ及びパリ)のオーナー、キルヒマン氏は話す。
ホロヴィッツ氏は昨年11月に後任に指名されて以来、「拡張の可能性を見出す外部リンク」ことを目標の1つに掲げている。拡張とは具体的に何を指すのかについて同氏は「今、世界の様々な地域で新たなアートコレクターのコミュニティが生まれ、文化的なシフトが起こっている。この新しい顧客層にアプローチし、ギャラリーやアーティストと繋げる方法を探るのは、私たちに与えられたチャンス(と同時に責任)だと考えている」とswissinfo.chにEメールで回答した。
この分野でリーダーシップを取るには、経済的にも地理的にも、緻密な戦略が不可欠だ。そのため、改革に着手する以前に、まずは組織内での統制力確立に向け、慎重に足固めを行っている段階だろう。同氏にとってアート・バーゼルは「非常にやりがいのある使命」であり、「様々なテーマについて今後swissinfo.chと対談できるのを楽しみにしている」とした。
ただ、過去2年間に起こった重要な出来事を幾つか振り返ると、アート市場がどこへ向かっているかが見えてくる。恐らく今後も上層部の再編成が進み、グローバルサウス(南半球に多い途上国)の勢力が強まってくることが予想される。
業績悪化、そして復活
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行は、母体MCHグループにも大打撃を与えた。2020年のアート・バーゼルは中止が決定。2021年は開催されたものの、日程が6月から9月に変更され、来場者数も3分の1に減少した(来場者数6万人以下)。さらに一部のギャラリーは参加を見送った(2019年に出展していた290ギャラリー中18ギャラリー)。見学と販売の多くはインターネット、あるいはアート・バーゼルが設置した3つのオンライン・ビューイング・ルームで行われた。ただ、いくらネット販売が定着したとは言え、やはりギャラリストは面と向かって商談し契約を交わす親密さを好む。
MCHグループの財務状況は、既にパンデミック以前から赤字だった。2020年3月、MCHは同年の損失が最大1億7千万フラン(約274億円)になるとの予測を発表し、上半期外部リンクには約2440万フランの損失を計上した。
また同年12月には、「メディア王」ルパート・マードック氏の次男であり、同家が掌握する巨大企業グループの後継者のジェームズ・マードック氏が介入。4400万フラン出資し、今後数年間で最大8千万フラン投資すると約束した。
マードック氏が率いる投資会社「ルパ・システムズ」は、2番目の大株主であるバーゼル・シュタット準州をわずか0.5%上回る38.52%の株式を獲得し、MCHの筆頭株主外部リンクに躍り出た。MCHグループの取締役会メンバー3人はマードック氏に席を明け渡し、アートNPO団体LUMA財団の取締役2人も退任した。
この資本注入により、MCHは1億1400万フランの社債発行が可能となった。こうしてアート・バーゼルは昨年10月「Paris+」の初開催を実現し、晴れてパリ進出を果たした。
Paris+外部リンクは本家のフェアと比較すると規模は小さく、参加ギャラリー数も160に留まるものの、有力出展者が名を連ねる。同フェアは大成功を収め、長年フランスの最高峰フェアとして君臨してきたFIAC外部リンクは苦杯を喫する形となった。ニューヨーク・タイムズ紙外部リンクの美術担当記者スコット・レイバーン氏によると、批評家らはParis+が芸術の都「パリの魅力を犠牲にして」アートのビジネス色を強めたと嘆いているという。
昨年MCHグループの業績は改善し、来場者数や出展ギャラリーの数もようやく盛り返した。だが種々の規制が緩和されても、新型コロナの爪痕は今も残る。
※上の映像は、ベネズエラ人アーティスト、カルロス・クルス・ディエス(1923年カラカス生、2019年パリ没)による「Environnement Chromointerferent」(1974/2018年)。アート・バーゼルの「アンリミテッド」部門にて。同部門は大型の彫刻や絵画、映像美術、大型インスタレーション、ライブ・パフォーマンスなど、ブースという従来の枠には入りきらない作品を対象とした企画会場
コロナが残した爪痕
今年のアート・バーゼルは、晴れて2019年来4年ぶりの「通常通り」の開催となった。インフレ率の上昇や国際貿易に対する規制強化、さらにはウクライナ戦争をよそに、売上高は既に昨年の時点でコロナ以前の水準に戻っており、表向きにはアート市場はパンデミックを克服したと言える。
だがフェアに先立ち発表されたアート・バーゼルとUBS銀行によるアート市場レポート外部リンクを見ると、市場を牽引したのは主にハイエンド・ギャラリー(売上高14億円以上)だったことが分かる。一方、中小ギャラリーは、アジア、特に待望の中国人コレクターが戻りつつあるが、今なお苦戦を強いられている。
売上高を公表しているギャラリーは皆無に等しいが、アート・バーゼルがフェア最終日に集計した報告書によると、今年数値を公表したギャラリーの売上高だけで合計2億2千万ドルを記録。今年の総売上高は、推算でパンデミック前の平均値10億ドルの大台に乗る見込みだ。
有力ディーラーは、フェアで数千万ドルのアートを売りさばく。メガギャラリー「ハウザー&ワース」は今年、フランス系米国人アーティストのルイーズ・ブルジョワ作「Spider IV」を2250万ドルで販売し、フェア最高額を記録した。ただ、これはどちらかと言うと特殊なケースだ。今回、最も高額で展示された作品は、ヘリー・ナーマド・ギャラリー(所在地ニューヨーク及びロンドン)から6千万ドルで出品されたマーク・ロスコ作「Untitled (Yellow, Orange, Yellow, Light Orange)」(1955年)だったが、開催期間中には買い手がつかなかった。
フェアでswissinfo.chの取材に応じた中小ギャラリストらは、パンデミックの影響を特に強く受けたのは自分たちであり、今も生き残りをかけて奮闘中だと口を揃えた。この傾向は並行開催のヴォルタとリステでさらに顕著だった。リステでは、これまでロシアのギャラリーに割り当てられていた枠で、ウクライナのギャラリー「ヴォロシン外部リンク」と「The Naked Room外部リンク」の作品が紹介されていた。
ギャラリストのマキシム・ヴォロシン氏(所在地キーウ)は、ロシアの対ウクライナ戦争が始まった直後、同ギャラリーのアーティストに大きな関心が集まったと話す。「人々やバイヤーは非常に同情的で、人道的支援のための募金活動では10万ドルほどの収益を上げた」という。だが、もてはやされたのも束の間、「現在の業績は戦争が始まる前のレベルに逆戻りした」と語った。
今後の行き先は不透明だが、高額なブース使用料(1平方メートル当たり815~960ドル)を支払ってでも、アート・バーゼルは外せないと考える中堅ギャラリーは多い。年に1度のフェアは、知名度を上げ、世界市場と再びつながる絶好のチャンスだ。
今年アート・バーゼルに初出展したギャラリストのデボラ・シャモーニ氏外部リンク(所在地ミュンヘン)は、「投資は報われる」とswissinfo.chに語った。チューリヒのギャラリストであるキルヒマン氏も、「フェアは採算を合わせるためだけではない」と話す。「アート・バーゼルは、顔なじみのコレクターと再会し、新たなコレクターと出会う社交の場だ。ここで得た人脈は、すぐには売り上げに結びつかないかもしれないが、将来的には必ず実を結ぶ」
費用と労力をかけてでもバーゼルへ
これは「アート先進国」以外のギャラリストが、わざわざ遠方からバーゼルに足を運ぶ理由の1つでもある。
ルイーザ・ストリーナ外部リンク氏(ギャラリー所在地サンパウロ)は、1990年にアート・バーゼルに参加した最初のラテンアメリカ人ギャラリストだ。30年以上経った今も、アート・バーゼルがその労力と費用に見合うかと問われれば、答えはただ1つだと即答する。冗談で「ブース使用料なら、下げてもらっても構わないが」と笑った。
高額なブース使用料に加え、旅費や作品の輸送費と保険料、さらには接待に伴う飲食代も少なからず発生する。欧州域外からの参加者の場合、必要経費は総額20万~50万ドルを下らないという。
こうした背景から、アート・バーゼルがアート販売の主流を色濃く反映し、グローバルサウスからのエントリーがごく少数に限られているのも不思議ではない。アジア(日本、中国、韓国を除く)、アフリカ、ラテンアメリカのギャラリーは、ここ10年で急増したとは言え、まだごく少数派だ。アフリカ大陸からは、欧州にオフィスを構える南アフリカの老舗2大ギャラリー、「グッドマン外部リンク」と「スティーブンソン外部リンク」が参加した。
アート・バーゼルで存在感を増している国もある。ブラジルからは今年、過去最多の11ギャラリーが参加し、バーゼルでは比較的新顔のインドからは4ギャラリーが出展した。
小規模かつ遠方のギャラリーにとって、バーゼル出展はハードルが高い。ギャラリー「Chemould Prescott Road」(所在地ムンバイ)のディレクター、シャイリーン・ガンジー氏は、出展を4回も断られたと語る。そのため、当時ディレクターだったシュピーグラー氏をまずインドに招き、同氏の思い描く地図にインドも加えてもらうために現地のアートシーンを紹介したという。「シュピーグラー氏はとても感銘を受けていた。これが他のギャラリーへ門戸を開くきっかけになったと思っている」とガンジー氏は振り返る。
新たな認識
この不均衡はホロヴィッツ氏も十分承知している。「市場の様々なセクターの成長が不均衡であること、そして富が特に上層部に集中していることは、私たちも認識している」とした上で、「健全なアート界の生態系に不可欠な要素である」中小ギャラリーの育成と支援に力を入れたいとswissinfo.chに語った。
事実、アート・バーゼルは既に2019年からブースのサイズに応じた価格設定を導入しており、小型ブースは大型ブースよりも1平方メートル当たりの料金が低く設定されている。ホロヴィッツ氏はまた、今回のアート・バーゼルのブースや展示会には21件の新規エントリーがあったと強調した。
アート・バーゼルが頂点に上り詰めた理由の1つは、アート市場の動向を鋭く映し出し、素早く対応する能力にある。システムの不均衡を正すことはアート・バーゼルの使命ではないが、その傾向に歯止めをかける力があるのは確かだ。オブザーバーである私たちには、その兆候を読み取る大きなチャンスが毎年4回与えられている。次回開催のパリ(10月)そしてマイアミ(12月)からも目が離せない。
編集:Virginie Mangin/ds、英語からの翻訳:シュミット一恵
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