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H・R・ギーガーと幻の映画「DUNE」

H.R. Giger
自身のスタジオでホドロフスキー版「DUNE」のために描いたイラストの前に座すH・R・ギーガー Copyright © ©sony Pictures/everett Collection / Everett Collection

映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーによる幻のSF映画大作「DUNE」。映画化は実現しなかったが、1月に同作の絵コンテ集が220万ポンド(約3億4千万円)で落札され、再び世界の注目を浴びた。映画「エイリアン」の造形デザインで知られるスイス人アーティストH・R・ギーガー(1940〜2014年)は、ホドロフスキーが同プロジェクトのために集めようとした「魂の戦士」の1人だった。

ある匿名投資グループが1月、チリ出身の映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーが幻のSF映画「DUNE」に向け制作した絵コンテ集を落札した。同グループは、絵コンテ集の購入者が映像化の版権を得るものと勘違いして落札。絵コンテ集を分割しNFT(非代替性トークン)として販売、またはアイデアをストリーミングサービスに売却した後に、絵コンテ集を焼却しようと計画していた。  

米国の小説家フランク・ハーバートの SF小説「デューン 砂の惑星」(1965年)を原作とする、ホドロフスキーの未完映画は映画界の伝説だ。ホドロフスキーの監督した風変わりな西部劇カルト映画「エル・トポ」は「ロッキー・ホラー・ショー」や「ピンク・フラミンゴ」と並び70年代米国で映画館の深夜上映に熱心なファンを集めた「ミッドナイトムービー」の1本として知られる。

有名なファンの1人がジョン・レノンで、ホドロフスキーの映画「ホーリー・マウンテン」の制作資金を援助している。同作では、アステカの王に扮したトカゲが粉々に爆破されたり、銃槍から鳥が羽ばたいたりと、冒とく的な場面が繰り広げられる。

今年93歳を迎えたホドロフスキーは、70年代半ばに「デューン 砂の惑星」の初の映画版製作を決意。ドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」では、ホドロフスキーが世界中を旅し、映画のために「魂の戦士」と「天才」を探す姿を映し出す。

ホドロフスキーは英バンドのピンク・フロイド、歌手ミック・ジャガーやスペイン人アーティストのサルバトール・ダリにアプローチした。ホドロフスキーはダリのために1分10万ドルを支払う他、ダリ作「燃えるキリン」を作中に登場させるつもりでいた。

パリで、ダリはホドロフスキーにギーガーのドローイングを見せ、ホドロフスキーは一目でとりこになった。ホドロフスキーは、悪役ハルコンネン家の惑星の描写にはギーガーの「病んだアート」が絶対に必要だと、ギーガー本人に伝えた。ギーガーは同プロジェクトで、ある種の「悪の建築家」になり、ギーガーのドローイングは映画の背景のモデルとして使われる予定だった。ホドロフスキーはギーガーに完全な裁量を与え、ギーガーは絵コンテ集の一部となる、エアブラシによるドローイング数枚を制作した。

ハルコンネンの城のドローイングについて、ギーガーは「ハルコンネンの頭部は巨大な城塞で、城を空陸からの攻撃から守っている。頭の前部は機械仕掛けで下降し、死と破壊を噴出する、要塞化された骸骨が現れる」と語っている。

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結局、映画が作られることはなかった。プレゼンテーションで映画の長さが12時間になり得ると言い出していた誇大妄想的なホドロフスキーは、ハリウッドの手に余る存在だった。ファンたちは、84年のデビッド・リンチ作品まで、このSF古典の映画化を待つことになる。

ホドロフスキー版「DUNE」の絵コンテ集は、数えきれない映画に影響を与えてきた。この「挫折した作品」の1つの功績は、ギーガーを映画の世界に導いたことだ。この後でギーガーは、同じくホドロフスキー版「DUNE」プロジェクトに携わったダン・オバノンと共に、「エイリアン」で世界的な名声を得ることになった。

(英語からの翻訳・アイヒャー農頭美穂)

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