映画界の巨匠ゴダール、映画制作は自分自身との調和の中で
映画界の巨匠ジャンリュック・ゴダール監督とは10年以上の付き合いがあり、最新の3D作品「さらば、愛の言葉よ」の制作に深く関わったスイス人ファブリス・アラーニョさん。ゴダール監督がスイスで名誉賞を受賞するのを機に、監督やプロデューサー、映像編集者、音声技術者を務めるアラーニョさんに、ゴダール監督の素顔について話を聞いた。
swissinfo.ch: ゴダール監督とは10年以上一緒に働かれています。きっかけは何ですか?
すべては留守番電話に入っていたメッセージから始まった。ゴダールのプロデューサー、ルート・ヴァルトブルガーが私に「一緒に仕事をしないか」と聞いてきた。「もちろん!」と私は答えた。するとある日、ゴダールは私の留守番電話に「折り返し電話をしてください」とのメッセージを残した。
そこである日曜日に彼のアトリエに行くことにした。少し不安だった。部屋に入る前からタバコのにおいがしていた。ここには「野生動物」がいるのだと思った。(部屋に入ると)逆光の中に一人いるのが分かった。とても静かだった。すると心の中のざわめきが一瞬にして静まり返った。そこにいたのは、私に微笑みかける普通の人だったからだ。彼は私に、撮影現場の下見に付き合い、エキストラを探すよう聞いてきた。
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swissinfo.ch: ゴダール監督との関係をどう見ますか。
特別な関係ではない。私とゴダールは臆病な方で、意思疎通には独特の方法を使う。普段はどちらも多くはしゃべらない。私は元々おしゃべりではない。
ゴダールが人の本質を見抜けることを私は高く評価している。彼と一緒にいるのは居心地がいい。そのため何の心配もなく色々なことが試せる。技術的な遊びは楽しく、つい没頭してしまう。私は技術士ではなく映画人なのにだ。だがこのことが私を一層自由にさせている。
同じことが俳優にも言える。ゴダールはいつも同じ手法で映画を撮る。それが犬、木、女優であろうと同じだ。なぜなら彼は常にものの本質に迫ろうとするからだ。自分の個性を傷つけられたと感じる俳優もいるが、私から見ればそれは褒められているのだ。少なくとも私はゴダールと同じ見方をしている。もちろんこれは主観的な見方ではあるが、私から言わせれば客観性は存在しない。
swissinfo.ch: 「ゴダール・ソシアリスム」後、ゴダール監督は3D映画を制作しました。なぜですか。
ある日、ゴダールが私に聞いてきたんだ。3Dで実験してみる気はないかと。それだけだ。彼はこうして新プロジェクトを始めるのだ。「ゴダール・ソシアリスム」では初めてクルーズ客船で撮影を行った。その2日前、彼はみんなに来られないことを伝えた。「私が君たちと一緒だと、君たちは私が気に入るようなことしかしないだろう。それでは何の成果も生まれない。自由になってくれ」。こうして我々は撮影を開始した。
swissinfo.ch: それでは自由な裁量があったのですね。
彼が私からこうした自由を奪うことはなかった。そのため彼が私に何かを返す必要もなかった。
swissinfo.ch: 最新作「さらば、愛の言葉よ」では3Dがびっくりするような効果を発揮しており、また詩的でもあります。どうしてこのような新しい作品ができたのですか。
例えば映画「アバター」。公開当時、世間は3Dの話題で持ちきりだった。だが映画自体は平凡でがっかりするものだった。3D映画全体がそうだ。物語を伝える方法は変わらない。ビジュアル効果は最低限あればいい。つまりどういうことか?我々はそこで、3Dでしか存在できないような映画を作ろうとした。この技術を存分に使い、本当に新しい何かを生み出したかった。
ファブリス・アラーニョ(Fabrice Aragno)
1970年ヌーシャテル生まれ。デザイン、建築、演出、舞台照明技術、映画演出を学ぶ。人形劇で数年間働く。
ローザンヌ美術大学(ECAL))の卒業作品で短編映画「Dimanche(日曜日)」を制作。1999年カンヌ国際映画祭に出品。その後短編映画やドキュメンタリー映画を多数制作。学生時代の同級生と共にプロダクション会社Azul設立。
2002年からジャンリュック・ゴダールとともに働く。制作に携わったゴダール作品には「アワーミュージック」(04年)、「ゴダール・ソシアリスム」(10年)、「さらば、愛の言葉よ」(14年)などがある。
14年カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。
3D技術は、映画産業が我々に教えようとすることとは真逆で、とても簡単。右目用に画像一つ、左目用にも画像を用意する。両方の画像を重ねることで、3D効果が得られる。我々はカメラ、ビデオカメラ、スマートフォンなどを使用した。写真で遊んでみたり、重ねてみたり、特殊効果を試してみたりすることがとても好きだった。どの目で見て、どの目をつむるかで二つの異なる映像がみられるのだ。
私は直感的に仕事をした。自分がしていることが本当に映画に使われるかどうかは考えなかった。もちろん、特定のシーンが(他の人に)気に入られたら満足する。だが正直言うと、特殊効果はゴダールが手掛けて、つまり彼が映像に触ることでようやく生まれる。彼には平凡な映像から芸術作品を作るという、信じられないような才能がある。
swissinfo.ch: 物語の展開の仕方は平凡に見えます。「既婚女性が未婚男性に出会う。彼らは愛し合う。けんかする。犬が町と田舎の間をさまよう……」。こうして物語は始まりますが、どうやってこれを映像化できるのでしょうか。
ゴダールの映画は棒付きキャンディに少し似ている。アイデアがその都度クリスタルとなり、映画に形を与える。「さらば、愛の言葉よ」で使われる引用文全てがすでに彼の頭の中にあった。
ロクシーは彼の飼い犬で、2年前に生まれた。ゴダールは、犬と散歩するようになってから人に話しかけられるようになったと感じた。そこで、犬がカップルの関係を支えるというアイデアが浮かんだのだ。
swissinfo.ch: ゴダールの作品はとても繊細で、観客には解釈の幅があります。商業的な映画制作への対抗軸を作ろうとしているのでしょうか。
個人的に、解釈についてではなく感情について話したいと思う。なぜ我々はいつもすべてを解釈しなければならないのだろうか?映像以外に、それが何を意味するのかという記述があるわけではない。ゴダールの映画もそうだ。誰もがその作品について様々な角度から話すことができる。芸術作品と同じだ。
現代映画ではいつも同じような物語で、同じようなフォーマットで物語が語られる。ゴダールの映画は複雑だ。それは認めよう。だが(従来の映画と比べ)自由で、非平凡的な映画を作ってみることもできる。大事なのは観客の目を開かせることだ。
ゴダールは対抗軸を作ろうとしているわけではない。他者に対抗して仕事をしているのではなく、自分自身との調和の中で作品を作っている。そのため、10人中9人の監督が自由に作品を作れないことに、彼は悲しんでいるだろう。
映画は死んだという人もいるが、そうではいない。我々はスタート地点に立っているだけだ。探究できることはまだたくさんある。誰かが踏んだ足跡から外れさえすればいいのだ。
ジャンリュック・ゴダール監督(1930~)はヌーベルヴァーグのリーダー的代表格とされる。連邦内務省文化局は彼のこれまでの功績を称え、2015年スイス映画賞で名誉賞を授与する。賞金は3万フラン(約365万円)。
授与の理由として、ゴダール監督は想像力ある映画人であり、映画制作における卓越した職人であること、またそのアバンギャルドな作品は世界中の映画監督に長年にわたり影響を与えてきたことが挙げられている。
ジュネーブで13日に行われるスイス映画賞授賞式で、アラン・ベルセ内相がゴダール監督にトロフィーを手渡す予定。
(独語からの翻訳・編集 鹿島田芙美)
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