グランドホテル・ロカルノ―すべてが始まった場所
ロカルノ映画祭の歴史を刻んできたホテル、アルベルゴ・ロカルノが閉鎖されてから15年。その門が一時的に開かれた。同映画祭の元アーティスティックディレクターで、現在はシネマテーク・スイスのディレクターを務めるフレデリック・メール氏と共に、映画祭と歩んできたこのホテルの過去を振り返った。
アルベルゴ・ロカルノ、通称グランドホテルは1876年に開業した。1925年に第一次世界大戦後の西欧の平和を保障するロカルノ条約を巡る協議がここで行われ、条約は後に正式調印された。
第二次世界大戦後、ムッソリーニ率いるファシスト政権と密接な関係があったとされるヴェネツィア映画祭に対抗する目的で、スイスのイタリア語圏で新たな映画祭の設立が計画された。
だが、これはロカルノが新しい映画祭の開催地となる好機だった。45年の第1回はルガーノで開催され、続く第2回もルガーノで開催される予定だったが、メイン会場にスクリーンを設置するために木を数本伐採しなければならなくなった。これには地元住民が反対し、伐採計画は住民投票で否決された。そこで、スクリーンがロカルノのグランドホテルの庭園に移された。そこは私有地だったため、映画祭という新たな目的に合わせて調整が可能だった。
輝かしい時代
当時、グランドホテルの庭園には観客1200人分の椅子が用意され、スクリーンの近くには赤のVIP席(特等席)が置かれた。
夜の上映場所が町の広場ピアッツァ・グランデに変更された71年以降も、このホテルは老若男女を問わず様々な映画ファンが集う人気スポットだった。
昼間の会場は活気に満ちていた。船のデッキに階級があるように、最上階はもっぱらゲストや業界関係者、時には著名人に利用された。中央階は記者会見などの専門的なイベントが行われ、庭園やショップ、テラスがある1階はスターと地元の人々が和やかに交わる自然な出会いの場だった。
スイミングプールも集いの場として人気だった。その日最後の上映が終わると、そこでは夜遅くまでパーティーが行われた。プールサイドで取材が行われることもあった。例えば、現在はシネマテーク・スイスのディレクターのフレデリック・メール氏がラジオ・ジャーナリストだった当時、フランスの映画監督ジャン・ルーシュがプールに興じていたところを取材したという。
名誉からの転落
2005年、グランドホテルは永久に閉鎖された。グランドホテルの魅力、存在感、壮大さに匹敵する別の会場は簡単に見つかるものではなかった。
ピアッツァ・グランデは建築的にグランドホテルと似たような雰囲気が味わえる。だが、このホテルのように独特な雰囲気を持ち、ジャンルをまたいで様々な人々が交わる場は、今のところ再現できていない。
かつてホテルのエントランスを囲んだアーケードには、有名人の華やかな写真が飾られ、荘厳な雰囲気を醸し出していた。ドイツの女優マレーネ・ディートリッヒやオーストリアの映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグなどを迎えてきたエントランスは現在、フェンスで囲まれ、左側にはマクドナルド、右側には衣料品店が並ぶ。グランドホテルを巡っては買収交渉が破談したり、改修計画が白紙になったりと色々な経緯があったが、建物自体は長年存続してきた。だが今は庭園は植物が生い茂り、テラスはコケに覆われ、地元のネコたちのお気に入りの遊び場になっている。
不透明な未来
クレディ・スイスが最近、ホテルの改装費および営業再開に必要な金額を試算したところ、8千万~1億フラン(約97~120億円)というかなりの金額がはじき出された。
この建物は歴史的建造物に指定されてはいないが、それでも内部には今も一定の価値がある物品が存在する。数年前、調度品がオークションにかけられ、階段に吊るされた巨大なムラーノ製のシャンデリアを除き、ほぼすべてが地元で引き取られた。
このシャンデリアは、いくつもの小さなシャンデリアとセットで吊るされているもので、単独では転売できない。長年、欧州最大級のシャンデリアと考えられてきたその大きさを考えると、グランドホテルのホールからすぐに離れることはないだろう。
映画祭期間中だけでもグランドホテルを再開しようとする試みは何度もあった。しかし、今は板で覆われた窓の内側を見られる人はほとんどいない。1回限りの記者会見や映画撮影などが開かれたときだけ、ごく一部の人がかつての荘厳な内装を目にできる。
グランドホテルの門の内側は今でも好奇心の対象だ。都市探索好きには魅力的な場外部リンクであり、アーティストにとってはインスピレーションの源でもある。2019年にはロカルノ・フィルムメーカーズ・アカデミーに参加したジュリオ・ペッティーノ氏がこのホテルをテーマに短編映画「Grand Hotel」を撮影した。
映画祭の記憶が刻まれた、寂れたホテル正面は、数十メートル先の街の賑わいをよそに、今も真っすぐ立っている。
(英語からの翻訳・鹿島田芙美)
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