スイス 猟師の知られざる生きざま
スイス東部グラウビュンデン州で来月13日、子供を狩猟に同伴させても良いかを問う住民投票が行われる。投票を前に、猟師で森林学者のマリオ・トイスさん(41)が監督を務めた新作のドキュメンタリー映画について語った。作品の狙いは「ほぼ誰も理解していない」ハンターの世界を知ってもらうことだ。
「ユーチューブで1時間、不適切なビデオばかりを見れば、狩猟は動物を殺すための残酷な手段なのだという、たった1つのイメージしか持てなくなってしまう」。スイス東部グラウビュンデン州の渓谷ヴァル・カランカにある山小屋で、トイスさんはそう語る。壁には鹿の角が幾つも飾られている。
「本当の意味で狩猟を理解してもらうためには、私の所に来るのが一番だ。もしも私の行動や生き方、あるいは『なぜ動物を殺せるのか』という大きな疑問に対する答えを本当に知りたければ、文章で説明したり議論したりしてもあまり意味がない。それでは決して理解を深められないからだ。言葉では表現できないが、私と共にここでの生活に足を踏み入れれば、私が狩猟中に経験することを目の当たりにするだろう。どんな時に幸福感や悲しみを覚えるのか、そして生き物を殺す瞬間にあなた自身に何が起こるかを体験できるはずだ」
自分の世界やライフスタイルを一般の人々にも知ってもらうため、トイスさんは狩猟シーズン4回に渡り、スイスの3つの州で3人の人物 ―密猟者から写真家に転身した人、狩場管理人、農夫― と一緒に森や谷の中を歩き回り、幾晩もの寒い夜を過ごしながら撮影を行った。
こうして出来上がったのが、90分のドキュメンタリー映画「Wild – Jäger und Sammler外部リンク(仮訳:野生の中で ―猟師と採集民の生きざま)」だ。同作品には、スイスの山岳地帯の生活や、そこに住む多くの住民にとっていかに狩猟が中心的な役割を果たしているかが映し出されている。
▼映画「Wild – Jäger und Sammler外部リンク」予告編(英語字幕付)
トイスさんは「幸運にも猟師の家に生まれた」。「親が猟師なら、子供が2歳か3歳の頃から(都会の子供たちよりも多く)一緒に外に連れ出すだろう。もうその年で鹿やウサギを食べているはずだ。もちろん、それが何なのかも教えてくれる。もし雪の中に自分が食べた動物の足跡があれば、『これは昨日食べた動物だよ』と」。そして既に4歳で、この環境とライフスタイルが自分の生きる道だと悟ったとトイスさんは話す。
しかし、連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)で森林工学を学んだ後は、ジャーナリストや映画監督として活動していた。そして、6年前に自分がうつを患っていることに気が付いた。
「今の自分が、4歳の時に夢見ていた世界にいないことに気付いた。都会で働き、山や森に行けるのは休みの日だけだった」とトイスさんは振り返る。
そのため、仕事を辞めてフリーランスに転身。当初は熊やオオカミ、オオヤマネコといったスイスの肉食動物に関するドキュメンタリーを制作する予定だったが、プロデューサーのマーティン・シルトさんと話し合った結果、猟師に焦点を当てた方がより感情移入できるドラマチックな作品に仕上がるだろうという結論に至った。
登場人物の3人
ドキュメンタリー映画「Wild」は教訓的でも道徳的でもない。3人の主人公の日常に迫り、これまで多くの人の目に触れることがなかった生活をありのままに描いている。また、画面にはスイスの息を呑むような風景が広がる。作品を見た人はきっと、ドローンが捉えたこの夢のような映像を前に、新たな視点から物事を見つめ直すきっかっけを得られるだろう。
登場人物の1人であるウルス・ビフィガーさんはスイス南西部ヴァリス(ヴァレー)州の出身だ。密猟者としての人生を悔やみ、ライフルをカメラに持ち替えた。今では様々な映画で成功を収めている。
「彼が森の中の痕跡から色々なことを読み取れる能力や、鹿の生態を知り尽くしている点など、本当に感銘を受ける。こんなことが出来る人は、他にはアフリカか北米にしかいないと思う」(トイスさん)
アンドレアス・ケースリンさんは、スイス中央部ニトヴァルデン準州にあるドッセンで狩りをしながら農業を営む。ケースリンさんの子供の1人が、なぜ撃って殺した鹿の口に葉の付いた小枝を入れるのかと尋ねる場面は特に印象的だ。ケースリンさんは溢れる気持ちを抑えながらもこう説明する。「最後の一口」は天国への旅路で空腹にならないよう配慮する、殺した動物への「畏怖 ―尊敬や畏敬の念」の表れだ、と。
ピルミナ・カミナダさんは、スイス東部・グラウビュンデン州のヴァル・ウァストグ渓谷で、スイス初の女性の狩場管理人として働く。この職場は世界で最も美しいオフィスの1つに違いない。カミナダさんはトイスさんと同様、スイスに約5万人いるロマンシュ語話者の1人だ。映画では、子供たちが遊ぶ目の前でカミナダさんが(死んだ)鹿の首を切り落とすという衝撃的なシーンが描かれる。(映画制作にあたり、何頭かの動物が致死的な傷を負った)
マリオ・トイス監督によるドキュメンタリー映画Wild – Jäger und Sammler(仮訳:野生の中で – 猟師と採集民の生きざま)外部リンクは、今年1月にソロトゥルン映画祭で初上映された。7月と8月にはスイス国内のオープンエア・シネマで、10月21日からは(屋内の)映画館で公開予定。
本作品はロマンシュ語圏のスイス公共放送(RTR)とドイツ語圏のスイス公共放送(SRF)の支援で制作。RTRとSRFはswissinfo.chと同じくスイス公共放送協会(SRG SSR)の子会社。
倫理的な問題
トイスさんが猟師としての遺伝子を父親から受け継いだ一方で、妹は獣医になった。麻酔をかけた猫の歯を磨くシーンでは、動物や食肉に関してよくある矛盾が浮き彫りになる。
「視聴者の世界観を壊すつもりはないが、物事を考え直すきっかけになればと思う」とトイスさんは言う。「もし、映画を見る前と同じ考え方で映画館を後にしたいのなら ―動物を殺すのは単に狂った愚か者で、自分の犬を人間と同じように扱うのは当然だと思うなら― それはもちろん可能だ。しかし私は、もし観客が自分を見つめ直すことに対してオープンであるなら、改めて考え直すきっかけを与えるのに十分な題材を取り入れたかった」
狩猟に反対する主な道徳的な理由の1つは、感覚を持つ動物、つまり痛みを感じる動物を殺すのは残酷だという意見だ。トイスさんは、この点をどう正当化するのだろう?
「この質問は難しい質問だ。猟師が他の誰もしていないことを行っていることを意味する。『食用のために動物を殺すべきか』という哲学的な根本問題に関して言えば、答えは簡単だ。もちろん殺さない方が崇高に決まっている」とトイスさんは言う。
「だが映画にもあるように、猟師は生き物を殺したいという欲望からではなく、動物や植物などのあらゆる生命を育む環境に魅了されながら成長していく。ところが今の人は『それでも生き物を殺したではないか』という事にしか興味がない。それは、私が仕留めた獲物を後で食べるつもりだからだ。でもなぜそれが問題なのか?スーパーでトレーに入って売られている肉も、結局は屠殺(とさつ)された動物だ。恐らく唯一の問題は、私の行為が他の食物にも起こったことを無意識のうちに思い起こさせることかもしれない」
ベジタリアンやビーガン(完全菜食主義者)は、自分で殺した動物の肉だろうと、スーパーの棚に並ぶ肉だろうと、いかなる肉も食べるべきではないと言うかもしれない。しかしビーガンで動物愛護運動の先駆者として活動するオーストラリアの道徳哲学者、ピーター・シンガーさんは、鹿狩りが正当化されるケースもあると話す。
スーパーで工場式畜産のハムや鶏肉を買っても何とも思わないのに、狩猟ばかりを目の敵にする人は多いが、シンガーさんは著書『実践の倫理』の中で、狩猟は工場式畜産よりも妥当な方法だと述べている」
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住民投票
今回映画に収録した生活様式は半世紀前からほとんど変わっていないが、50年後は分からないとトイスさんは言う。
「こういったスキルを持つ人は、今後更に減ると思う。農夫のケースリンさんのような人さえ、50年後にはいないかもしれない。このようなライフスタイルを選ぶ人は稀だろう」
来月13日に行われるグラウビュンデンの住民投票では、「12歳以下の子供が狩猟に同行すること禁じ、学校では狩猟を奨励してはならない」というイニシアチブの是非が問われる。可決されれば、猟師が消えゆく方向へまた一歩踏み出すことになる。
狩猟団体(及び州政府)は当然ながら、この法案を否決するよう有権者に求めている。「私はもちろん反対だ」とトイスさん。「親が自分の子供にどのような文化を伝えるかを定めるいかなる法律にも反対だ」
自分が父親から受け継ぎ、子供たちにも伝えていきたいライフスタイルの将来を憂慮するケースリンさんは、映画の中でこう語る。「狩りや山と共に生きていく術を身につけることは、私たちにとって必要なことだ。これは文化の一部であり、スイスの一部であり、人生の一部でもあるからだ」
▼狩猟について自身の思いを語るトイスさん(英語)
(英語からの翻訳・シュミット一恵)
※13日に行われた住民投票の結果、12歳以下の子供を狩猟に同伴させることを禁止するイニシアチブは反対79%で否決されました
JTI基準に準拠
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