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ニューバーン アメリカ地方都市の限りなく平凡な日常

チアリーダー

米ノースカロライナ州ニューバーン(New Bern)は、これといって特色のない土地だ。スイス人が入植して作られた町だが、その歴史をしのばせるものもほとんど無い。それでも、いや、だからこそ、入植者の末裔(まつえい)で著名写真家、ミヒャエル・フォン・グラッフェンリートさんは、克明に町の日常を記録した。

ニューバーンは1710年にスイスとドイツからの移民により建設された。初代入植者の1人が、イヴェルドンの代官だったベルンの貴族、クリストフ・フォン・グラッフェンリートだ。

ソファに座るピエロ

借金や家族との不和を抱えていた彼は、新大陸で一旗上げることに望みをつないだ。

米国旗

時期的には、ちょうどスイス・ベルン州の当局が、州内の貧民や宗教的反体制派(主にアナバプティスト)など「(社会的に)望ましくない要素」数百人を厄介払いするため、米国の英領植民地内に土地を購入して定住させようと策を練っていた頃だ。

meeting

しかし、町の建設からわずか3年後、先住民に集落を襲われたフォン・グラッフェンリートは、すっかり落ちぶれてベルンに舞い戻った。王のふりをしたおかげで命だけは助かった。息子のクリストフは町に残った。

女性

それから300年経ち、現代のスイスを代表する写真家ミヒャエル・フォン・グラッフェンリートさんは、カメラを通してこの町を知ろうと初めてこの地に向かった。彼は町の創始者の子孫に当たるが、「一族があまりに大きすぎて把握しきれない」ため、直系か遠縁かは定かでないという。

タトゥー入りの腕

フォン・グラッフェンリートさんの名声を築いたのは、臨場感あるドキュメンタリー的パノラマ写真だ。

美容院

カメラを目の前に構えずファインダーも覗かない撮影スタイルで、胸の高さで直感的にシャッターを押す。そのため被写体は、ほとんどの場合、撮られていることに気づかない。「アメリカ人はカメラを向けるとすぐにポーズを取ってくれる。それは避けたかった」とフォン・グラッフェンリートさんは説明する。

壁

アメリカの多くの小さな地方都市と同じく、ニューバーンの日常ものんびりしたものだ。夜8時を過ぎると歴史的旧市街の飲食店はほとんど閉まり、中心部は人通がほぼなくなる。

男性

ベルンのシンボルである黄色と赤の地に描かれた熊にあちこちで出会う。大抵の場合、星条旗と並んでベルンの熊の旗も掲げられている。役所や警察の車のボディーには「Proud to Wear The Bear(熊のシンボルは我々の誇り)」と文字入れされている。

野球のベンチ

写真集のプレスリリースによると、フォン・グラッフェンリートさんの写真は「市民を審判することなく、その日常生活をひたむきに捉えた」もの。

葬式

ニューバーンはアメリカの典型的な小都市らしく、住宅地が点在する広い郊外を持つ。キャラバンパークや低所得者向け住宅、大小の一戸建てに加え、豪邸が建つ。主要幹線道路沿いのショッピングセンターもある。

ゴーカート

3万3千人の人口に100の教会。アメリカのバイブルベルトと呼ばれる地域に位置する同市の人口構成は、白人55%、黒人33%だ。「ニューバーンは2つある。1つには白人が住み、もう1つには黒人が住む」(フォン・グラッフェンリートさん)

銃

「私のプロジェクトはどれも完成に長い時間を要する。犯罪者のように現場に戻るのは、よくあることだ」。そう語るフォン・グラッフェンリートさんは、この15年間、何度もニューバーンに舞い戻った。その間、友人もできたが批判もされた。

家と犬

作品が地元メディアで何度か取り上げられると、フォン・グラッフェンリートさんに対し、ニューバーンにネガティブなイメージを植え付けると非難の声が上がった。

遊ぶ子供たち

ノースカロライナ州は北と南がぶつかり合う場所だ。アメリカを分断する線は、同州、そしてこの小都市の真ん中を貫く。

男性グループ

2020年6月、白人警官による黒人男性ジョージ・フロイド殺害事件を受け、ニューバーンとしては未曾有の大規模デモが行われた。全米に広がった人種差別抗議活動、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動に並行したものだ。この町ではこの時初めて、人種差別が公然と議論された。

フットボール

写真集に収められたパノラマ写真には解説が一切添えられていない。それは、本人のコメントによると「その方が写真だけに集中できる」という意図による。

夕方

「自分はこの退屈な町で何をしているのかとよく自問自答した。しかし、だからこそ、余計にしっかり見なければという思いに駆られた」

バイクと米国旗

フォン・グラッフェンリートさんは、白人の間ではその名前のおかげで歓迎された。しかし、黒人たちとって、こうした歴史上の縁は何の意味も持たなかった。

アジア系家族

ある時、フォン・グラッフェンリートさんは、教会の礼拝で1人のソーシャルワーカーに出会う。広い人脈を持つ人物だ。「私たちはすぐに意気投合した。彼のおかげでもう1つのニューバーンを知ることができた」(スイスの無料広報紙ミグロマガジン掲載記事外部リンクより)

お金を受け取る人

フォン・グラッフェンリートさんが最後にニューバーンを訪れたのは2020年11月。その時のことを彼は「ここでも政治上の二極化は看過できなくなっていた。しかし、黒人たちは、BLM運動によって自信を得たように感じた」と振り返った。

プール

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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