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スイスが国民に信頼される理由

強いフランの光と影

金貨
5フラン硬貨の裏面には、1922年までスイスを象徴する女神ヘルヴェティアが描かれていた。現行の硬貨には牧夫の肖像が刻まれるが、当初のデザインでは牧夫が武器の朝星棒を担ぐ姿だった Sincona AG

危機時に国際投資家が好んで買うのがスイスフランだ。安全通貨としての評判は、自国の輸出経済よりも通貨の安定を優先するスイスの政策によって築かれた。

米ドルに関するヒップホップの歌なら、数えきれないほどある。だが2008年の世界金融危機以来、フランもたびたび歌詞に登場するようになった。――コカイン、シャンパン、ベンツの最高級車マイバッハと並ぶ富の象徴として。

R&Bシンガー・ソングライターのライアン・レスリーさんは2012年に「Swiss Francs(仮訳:スイスフラン)」で、丸ごと1曲をこの通貨に捧げた。曲のプロモーションビデオでは、華やかな管楽器の伴奏と軽快なビートに乗せ、ポルシェでチューリヒの湖畔を走る姿が描かれる。そしてグロスミュンスター(大聖堂)をバックにスイスの銀行に眠るフランのラップソングを歌いあげる。これはレスリーさんが思い描く成功の縮図そのものだ。

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フランがここまで華々しくポップカルチャーに登場するのは珍しい。だが、通貨としてのフランの経緯は目を見張るものがある。1914年当時、1ドルは5フラン以上したが、現在は1フラン弱。1ポンドも25フランだったが、今では1.10フランだ。昨年から今年のインフレにもかかわらず、フランは他の多くの通貨と比べ堅調に推移している。

安定した通貨を求める「聖戦」

フランが過大評価される歴史は古い。1848年の導入直後は、硬貨の額面よりも原料の銀の方が高価だったため、溶かされることもよくあった。長らく通貨としてはあまり役に立たず、父・フランスフランから派生した、パッとしないおまけに過ぎなかった。

スイス国立銀行(中央銀行、SNB)の書庫を担当する歴史学者パトリック・ハルプアイゼン氏は、「1880~90年代はスイスに一貫した金融政策がなく、フランは常にやや弱い傾向にあった」と言う。

この一貫した金融政策を1907年に導入したのがSNBだ。以来、同行が造幣の増減を管理し、その決断がフランの動きを大きく左右してきた。

SNB設立当初は、国際金本位制が厳格に遵守されていた。つまり発行される紙幣の価値は、SNBの金庫に保管されている一定量の金の価値と常に等価関係にある必要があった。

スイスが第1次世界大戦を免れた結果、それまで影の存在だったフランがハードカレンシー(安定的で信用性が高く、国際市場で他国通貨と自由に交換可能な通貨)の仲間入りする最初の土台が築かれた。そして安全通貨として、資産の逃避先としての地位を確立していった。

金貨
スイスの20フラン金貨「ブレネリ」は、スイスでは子供への特別な日の贈り物として人気だ。コインにはアルプスの少女「ブレネリ」の横顔が刻まれるが、1897年に鋳造が始まった当初、少女の絵柄は通貨のモチーフにふさわしくないとの批判もあった Keystone / Ho

1929年に株が大暴落すると、世界中の通貨が一夜にしてその価値を失った。まだ金本位制が実施されていたスイスでは、フランが比較的安定していた一方で、輸出経済が苦境に追い込まれた。

1936年の時点で、金本位制を維持する国はフランス、スイス、オランダの3国を残すのみとなった。そんな中、スイス連邦政府は緊急事態条項を発動し、金平価の切り下げを決定した。

ハルプアイゼン氏は、スイスが長い間決断しかねていた理由として、金本位制が体質に染みついていたことが大きいと指摘する。「金という対価なしにどうやって安定した金融政策を行えばよいのか想像がつかなかった。これはSNBに限ったことではない。ただ他国の中銀は、市場の圧力に屈し金本位制から離脱せざるを得なくなっただけだ」

経済的にはプラス効果があるにもかかわらず、離別の痛みに苦しんだのはSNBだけではなかった。フィナンツ・レビューは「国家的な災害」や「経済クーデター」が起きたと報じ、スイス農民の中心的存在であったエルンスト・ラウアーは、哀愁たっぷりにこの出来事を振り返っている。

「母なる女神ヘルヴェティアは(中略)、忠誠と信仰の場である上座を追われた。(中略)ああ!もし(中略)我々の通貨が、全世界の通貨が指針とする確固たる極であり続けられたなら、どれだけ偉大だったことか」

1959~74年までSNB総裁を務めたフリッツ・ロイトヴィラーは、通貨の安定化と金本位制への取り組みを、後に「聖戦」と表現している。1945年以降に主流となった固定相場制による通貨制度ではドルが基軸通貨となったが、ドルはまだ金と結び付けられていた。スイスはここでも、1960年代末まで頑なにガイドラインを遵守し続けている。これは通貨の「フェアプレー」の一環だとロイトヴィラーがみなしたためだ。

通貨のムチ

やがて1960年代末には固定相場制の維持がほぼ不可能となり、ドルがぐらつき始めた。フランへの資金流入も歯止めが利かなくなったため、SNBはついに1973年、変動相場制へと切り替えた。

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こうしてフランは固定された「錨(いかり)」を失った。スイスはドイツと共に通貨主義の政策を打ち出すと、今後貨幣の増刷が見込まれると発表した。こうしてインフレ対策が安定化の新たな焦点となり、フランの価値は二の次となったが、経済危機のさなか、この決断は瞬く間に大幅なフラン高を招いた。その結果、1970年代の石油危機によるスイス経済の崩壊は、他のどの国よりも深刻なものとなった。

輸出産業は前例のないほど衰退し、特に繊維産業が苦境に立たされた。25万人の外国人労働者「ゲストワーカー」が帰国を余儀なくされたため、失業率だけは辛うじて大幅な上昇を免れた。

1978年には介入が行われ、SNBは為替レートの上限を定めるペッグ制でフラン買いに対抗した。1フランは0.8ドイツマルク以上にさせないとの目標ラインを定めたことで、フランは長年にわたり鎮静化された。

スイスは1990年代初めにも同じような局面を経験している。この期間の解釈については、経済学者の間で今も意見が分かれる。ここでもSNBは長い間、フラン上昇を野放しにしていた。1996年になってようやく市場に目標値を設定したが、またしても輸出経済がその犠牲となった。

スイス人の勤勉さをモチーフにした1911年の紙幣
スイス人の勤勉さをモチーフにした1911年の紙幣 Keystone

2008年の世界金融危機を受け、フランのレートは再び上昇。そしてSNBは2011年にフランをユーロに連動させた対ユーロ通貨固定制度(通貨ペッグ制度)を導入した。だが2015年にこのペッグ制が再び撤廃されると、フランの価値はまたもや急上昇した。幸い、その時の産業界への打撃はさほどではなかった。フラン高はスイス経済の効率性を上げる「通貨のムチ」だとして、支持者らは同措置を歓迎した。

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このコンテンツが公開されたのは、 1999年に欧州単一通貨(ユーロ)が発足して以来、スイスフランは対ユーロで60%超上昇。輸出業界では過剰なフラン高への対抗が長らく議論の的だったが、ここ数カ月で優先事項は根本的に変化した。

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一方、スイス労働組合総連合のチーフエコノミストであるダニエル・ランパート氏の見解は異なる。「フラン高は、いつの世にも手痛い雇用喪失をもたらしてきた」とし、1970年代は時計産業が、1990年代は電気・鉄道産業が、そして現在は食品・機械産業がその影響を受けていると指摘する。「犠牲になるのは、いつもスイスを象徴する産業だ。トブラローネの製造拠点が東欧に移り、ロゴからマッターホルンが消えた。強いフラン自体が問題なのではなく、フラン高が多くの雇用を奪っているのだ」

2007~19年までSNB銀行評議会の委員を務めていた同氏は、SNBがフランのペッグ制に消極的だった背景には、ユーロ圏に対する根強い不信感もあったと考える。「ユーロ圏、特にイタリア、スペイン、フランスといった国々は、情勢が不安定で政治的な性質も異なると考えられていた。つまりスイスの保守的な姿勢も関係していた」

国民がフランに対して抱いている誇りについては、フランは安全通貨としてさほど重要ではないと切り返す。「フランは特にスイス人にとって大きな意味があるが、外国人投資家は、単に資産がドルやユーロだけに偏らないよう、フランにも分散しているだけだ。あるいは有事にフランが強くなることを狙って投資している。私たちの通貨は、国際的に見るとそれほど中心的な存在ではない」。そしていかに評判が高かろうと、ラップ歌手がフラン硬貨のネックレスを首にぶらさげることはなさそうだ。

安定した国、安定したお金、安定した生活――。国際的に見ても、スイスではたくさんのことが滞りなく機能している。

SWI swissinfo.chは同シリーズで、民主主義が機能するための基盤である「制度への信頼」にフォーカス。スイスの制度はどのように信頼を築き、それを維持しているのか。さまざまな側面から掘り下げる。

独語からの翻訳・シュミット一恵

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