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没落の記録 ~ スイス産業史をたどる記録写真をオンライン公開

チューリヒの産業史家ハンス・ペーター・ベルチさん(1955~2022)は生前、スイス産業界が消滅していく様子を写真に収め続けた。その数は17万5千枚に上る。これらの写真はデジタル化され、現在オンライン上で無料提供されている。

ベルチさんの記録写真の中で最も古い日付は1963年1月13日。ガスタービン機関車とトロリーバスの衝突事故を、ヴィンタートゥールの自室の窓から撮った。これが言わばライフワークの始まりだった。テーマは鉄道と産業だ。

連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)に譲渡された記録写真は約26万枚。うち17万5千枚が今年10月から公開され、作品の自由な利用を作者が許可するクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)を採用しているため、どんな目的にも利用できる。写真は1965年から2021年までの56年間にわたって撮影されたもので、近代スイス産業史としては最大かつ完全公開のアーカイブ。ETHZによると、まもなく新たな写真も追加される。

このデータ・ストックのデジタル化では、ETHZ図書館を手伝う4人の学生が4年間作業に当たった。フォトライブラリーの責任者であるニコル・グラフさんによると、次の段階では人工知能(AI)を利用してこのストックを整理していく。あるプログラムを使って写真の中の対象物を分析し、アルファベット順にリスト化したタグを自動生成する(Autotag)。このソフトでは、例えばそろばんとフットマッサージ器のロールを区別できなかったりもするが、現状ではそれもやむを得ないということだ。

ベルチさんがカメラを手に歩き回るようになったのは13歳のとき。当初は蒸気機関車や電気機関車、路面電車(トラム)、トロリーバス、そして近隣の産業施設を撮っていた。スイス連邦鉄道(SBB/CFF)の目録用として、スイス全土に散らばる駅を一つ残らず撮影したこともある。初めての大型案件だ。

こうしてほぼ果てしない数の写真が集まっていく。古い鉄道写真を見ると、ほとんどが冬に撮影されている。その理由はごく簡単。寒い季節の方が蒸気機関車の蒸気が見えやすいからだ。

ベル=エッシャー・ヴィス機械工場内のホール、クリエンス 1994年
ベル・エッシャー・ヴィス機械工場内のホール、クリエンス 1994年 ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Bärtschi, Hans-Peter

没落の記録者

ベルチさんは2014年、この遺産を連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)図書館のフォトライブラリーに寄贈した。責任者のニコル・グラフさんは、「彼にとってすべてが始まった場所に写真が戻ることになり、とても感慨深いそうだった」と当時を振り返る。ETHZは1976年にベルチさんが建築家の資格を取得し、1980年に学位論文を執筆した場所だ。

意図せずしてスイス産業の没落を記録することになったベルチさんは、この没落を死ぬまで心苦しく思うとともに、憤りを感じてもいた。ベルチさんにとってスイス産業の没落は、単なるグローバル化の余波ではなく、金融業界が幅を利かせる一方の経済界が利得に走った結末でもあったからだ。そんなベルチさんは、スイス産業の終焉をスイス航空(現在のスイス インターナショナルエアラインズ)の「グラウンディング(飛行停止)」に例えた。2001年秋に突如として明らかになったスイス航空の崩壊は、数カ月の間に起こった急展開ではなく、30年という年月をかけてゆっくりと進展していたため、誰も気づくことがなかった。

トロリーバス
トロリーバス。ベルチさんの子供部屋から。1968年、ヴィンタートゥール ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Bärtschi, Hans-Peter

ベルチさんの目は否応なく過去に注がれることになったが、スイスという国が革新をうまく取り入れてきたこともしっかりと認識していた。その一例が時計産業の変身ぶりだ。手作業で作る宝飾時計に始まった時計産業は、今やスウォッチなどの安価な時計からオメガ・ムーンウォッチといった高級品まで幅広い製品を揃える。また機関車や電車の製造業も、大手鉄道車両メーカーのシュタッドラー・レールの先導で再び活況を呈するようになった。

ベルチさんは生前120カ国を訪れており、何度も足を運んだ国も数多い。そのため、記録写真の中では外国旅行が重要な位置を占めている。そこでも焦点はやはり産業の記録であり、主要テーマも同じく鉄道だ。

幼少の頃から踏切番小屋に陣取って列車を眺めていたベルチさん。列車は「密かな一人遊びの道具となり、また遠い異国へのあこがれを意味するものとなった」と記している。成人後は、スイスのみならず世界中の消えゆく蒸気機関車について調べるようになった。そして、アフガニスタン国境を走るパキスタンの狭軌蒸気機関車やウラルの重工業地域へと走る鉄道、東アフリカの植民地鉄道などを、間近で目にした最後の証人の1人として写真に収めた。

かつての紡績工場
1986年、チューリヒ近郊のアータールにある、かつての紡績工場のホール ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Bärtschi, Hans-Peter

さらに、数々の産業史プロジェクトで数多くの鑑定も行った。その専門知識はレーティッシュ鉄道アルブラ線のユネスコ世界遺産登録の際にも必要とされた。1991年に設立したスイス技術・産業史協会SGTIの見解は今日、産業史分野になくてはならないものになっている。

ベルチさんのこだわりは、時に何かにとりつかれているのではないかとさえ思えるほどだった。収集品は写真だけにとどまらず、印刷物や物品にまで及ぶ。スイス連邦鉄道の列車に掛けられていた札のほか、手の込んだ駅舎や産業施設の模型も無数にある。そしてもちろん、列車の模型。今でもベルチさんの家の中を走り回るこれらの列車は、毎週1回、埃が積もらないようにと妻がスイッチを入れている。

総計10トン以上に上る膨大な量の物品を管理してくれるパートナーを探したが、見つけられなかった。別の解決策を探った結果、独自の基金「産業文化基金」を設立することになり、ヴィンタートゥール近郊の町ツィンツィコンにアーカイブ用の部屋を購入して、そこにすべてを収め入れた。これもまた、基金の所有者であるベルチさんと妻のシルヴィア・ベルチ・バウマンさんが他界した後も末長く世に残したいコレクションだ。

共産党員から鉄道愛好者へ

1970年代から80年代にかけ、学生だったベルチさんはすでに外国旅行へ出かけるようになっており、アルバニアやルーマニア、ユーゴスラビア、中国など、当時の共産国家や東欧圏へも旅をした。その背景には興味深い経歴がある。ベルチさんは1973年から87年まで、共産党の分派である毛沢東主義のKPS/ML(マルクス・レーニン主義スイス共産党)の党員だった。

この一時期については、2008年に出版された自伝的な1冊「Der Osten war rot(仮訳:東は赤かった)」に記されている。今この書籍を読むと、民族学の研究発表を読んでいるかのような印象を受けるが、一方ではまた皮肉にあふれてもいる。KPS/MLの模範となっていたのは中国、つまり毛沢東で、それに対し当時のソ連は最大の敵だった。

チューリッヒ、シュリーレン、ガス工場、1980年
チューリヒのシュリーレンにあるガス工場。1980年 ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Bärtschi, Hans-Peter

せいぜい80人程度しかいなかったと思われる党員たちは、上層部の顔はおろか名前さえ知らなかった。そんな中で知られていた幹部の1人は「小粒レーニン」と呼ばれ、別の1人には「小粒スターリン」というあだ名がつけられていた。ロシアの独裁者スターリンに対してはある種、感服の念が持たれており、「スターリンの7割は優れ、3割が劣っていた」などと言われていた。KPS/MLは党員の私生活も監視していたため、ベルチさんは外国旅行に出るたびに党幹部の承諾を得なければならなかった。

しかし、時が経つにつれてKPS/MLのセクト的な性格が目につき始め、距離を置くようになる。かつて反権威主義的なボーイスカウト部を作ったこともあったベルチさんが、そもそも厳しく組織され、権威主義的だった党のために尽力したこと自体が驚きだが、なぜ20年近くも在籍したのかについては自伝でも触れられていない。

ベルチさんが党を居心地よく感じ、そこで確かに尊敬もされていたであろうことは、自分自身も誇りにしていた出自とも関係がある。ベルチさんは労働者層の生まれだった。父親は醸造所の運転手として働き、母親は自宅で縫物の内職をしていた。そして1957年、一家はヴィンタートゥールに引っ越す。当時、工業地区の真ん中に位置していた一角だ。一家の住まいのすぐそばには、大手機械メーカー、スルザーの工場施設やスイス機関車・機械工場SLM、市営のガス製造所、操車場などが立ち並んでいた。

アウグスト・ヴァイレンの発電所。1912年
アウグスト・ヴァイレンの発電所。1912年 ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv / Bärtschi, Hans-Peter

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