「我々は今、グロテスクと風刺画の時代に生きている」。スイスを代表する作家フリードリヒ・デュレンマットはこう語った。執筆に収まらなかったデュレンマットの才能が、ヌーシャテルにあるデュレンマットセンターで展示されている。
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「人間の暮らし方と、本来可能な生き方とのギャップはますます滑稽になっている。我々は今、グロテスクと風刺画の時代に生きている」。フリードリヒ・デュレンマットが面白おかしく失望してみせたこの言葉は、やがて1つの作品に結実した。「老貴婦人の訪問」が世界中でヒットし、グロテスクの巨匠と呼ばれるようになった。
だがそれを作家として表現すべきかどうかは、必ずしも自明のことではなかった。作家としてキャリアを歩む前、デュレンマットは父親にこう手紙を書いたことがある。「絵を描いた方がいいのか、文を書いた方がいいのか。どちらもやりたい気持ちはある」
作家になると決めた後も、夜はペンを筆に持ち替えた。それは瞑想にふけるのにちょうどよかった。考えるのではなく目で見ることができる――デュレンマットはこう語っていた。だが日常的に落書きをすることもあった。講義でメモを取る代わりに絵を描いたり、レストランで他の客を絵で喜ばせたりした。
ヌーシャテルのデュレンマットセンターでは、こうして生み出されたスケッチの展示会を5月15日まで開催中だ。
(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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国立の文書館設立の話を持ちかけたのは、スイスの作家およびドイツ文学者として著名なペーター・フォン・マットだった。当時、スイスの作家マックス・フリッシュ(1911~1991年)の遺品管理を任されていた彼は、作家の遺品は公有の財産であるべきだと確信していた。
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