スイス国民投票の二重の壁 「州の過半数」条件とは
スイスでは有権者自ら憲法改正を提案するイニシアチブ(国民発議)を立ち上げる権利がある。可決されるには有権者の過半数の同意を得なければならないが、それだけでは足りない。「州の過半数」という2つ目の条件があるからだ。
スイスでは有権者自ら憲法改正を提案するイニシアチブ(国民発議)を立ち上げる権利がある。可決されるには有権者の過半数の同意を得なければならないが、それだけでは足りない。「州票の過半数」という2つ目の条件があるからだ。
わずか3万7500票差。11月29日の国民投票で問われた「責任ある企業イニシアチブ」は賛成が50.7%と、僅差ながら反対を上回った。だが結果としてイニシアチブは否決された。州単位でみると賛成が8.5州と、反対の14.5州を下回り、「州の過半数」を取れなかったためだ。
「州の過半数」が取れずに否決されるのは、歴史的に極めて稀な例と言える。1891年にイニシアチブが導入されて以来481件の案件が提起されてきたが、有権者の過半数を得ながら州の過半数が取れなかったために否決されたイニシアチブはたった2件しかない。1955年の「借家人と消費者保護に関するイニシアチブ」と、今回の「責任ある企業イニシアチブ」だ。
歴史的に稀ながら、「州の過半数」条件はスイス連邦国家の歴史と仕組みを多く物語る。
「州の過半数」とは?
スイスで憲法改正のイニシアチブが成立するには有権者と州の「二重の過半数」が必要だ。各州の賛否は、州内の有権者の多数決で決まる。つまり州民の過半数が反対した州の数が、州民の過半数が賛成した州の数を上回ると、例え国全体では賛成票が反対票を上回っていてもイニシアチブは否決される。
責任ある企業イニシアチブでは、ジュラ州(賛成69%)やヌーシャテル州(65%)、ジュネーブ州(64%)などフランス語圏や、チューリヒ州やベルン州、バーゼル・シュタット準州など人口の多い州で賛成票が多く、有権者票全体を押し上げた。だがその他の州では反対票が多く、州の賛成が過半数に届かなかった。
「州の過半数」条件はなぜ設けられたのか。その主な役割を挙げる。
①少数派の声を守る
スイス連邦憲法の起草者らが「二重の過半数」を要件に定めたのは、政治的・経済的に力の強い州から弱い州を守る意図があった。
近代スイスは少数のカトリック保守派と、現在の急進民主党(FDP/PLR)の前身である強大なリベラル・急進派との間の内戦の末に誕生した。この「分離同盟戦争」終結後に州が統一され、新しい連邦国家の誕生に繋がった。
内戦の敗者となったカトリックの州は、多数派を占める急進派がスイスの民主制を作り上げていくのに不満を覚えていた。
②連邦の結束
全部で26ある州の立場を数える際は、20州が等しく1票を持つ。6つの準州(バーゼル・シュタット、バーゼル・ラント、ニトヴァルデン、オプヴァルデン、アッペンツェル・アウサーローデン、アッペンツェル・インナーローデン)は0.5票だ。
これは「1票の格差」の面では大きな歪みをもたらしている。例えばアッペンツェル・インナーローデン準州の州民の1票は、チューリヒ州民の1票の40倍の重みを持つ。
だが大きな州の大きな声に対して小さな州の小さな声を誇張することは、異なる文化や言語、宗教、地域を抱える多様なスイスが1つにまとまるための重要な繋ぎ役となっている。
③防波堤
スイスには憲法裁判所が存在しない。では、異質な政治運動に瞬間風速的に弾みがついて非現実的・極端なイニシアチブが成立し、国がひっくり返るリスクをどう防ぐべきか?この意味で、州の過半数はハンドブレーキとしての役割を果たす。イニシアチブを提起する人は、州の過半数が賛成する場合にのみ成功することを頭に入れておかなければならない。
つまり州の過半数は、スイスを安定した国にするための大きな要素の1つと言える。
諸外国の例
- 米国:米国の大統領選挙では、有権者の過半数が示す結果と選挙人の過半数が示す結果が異なる「番狂わせ」が起こることがある。2016年選挙で優勢とされていたヒラリー・クリントン氏がドナルド・トランプ氏に敗北したのが分かりやすい例。これまでに計5回起きた。
- ドイツ:州の代表が選出される連邦参議院が州のバランス調整に貢献している。
- オーストラリア:国民投票ではスイスと同じ「二重の過半数」が必要になる。事実上の2大政党制のため、10回に1回の投票でこの仕組みが威力を発揮する。
- フィリピン: 直接民主制の専門家ブルーノ・カウフマン氏によると、憲法改正のためのイニシアチブ提起に必要な署名集めでは、▽有権者の12%の署名▽243選挙区それぞれの3%の署名、の2点を満たす必要がある。「大衆の意思の危険」に対する防波堤としての役割を担う。
全てを代表する閣僚
スイスのカリン・ケラー・ズッター司法相は、責任ある企業イニシアチブの結果に対するコメントの中で、「州の過半数」条件の存在を称え、少数派を守ることの重要性を強調した。連邦閣僚は全ての州と議会、政党の代表者として、少数意見を尊重する責務がある。
批判
一方、イニシアチブの発起人らは不満を唱える。2世紀も前に作られた古臭いルールのためにイニシアチブが否決されてしまったからだ。左派や市民社会、政治学者らも、「政治的発展を妨げる」などと批判する。
こうした批判が全く的外れというわけではない。今日のスイスは、1848年の建国当時とはほとんど共通点がない。170年以上経った今、21世紀にふさわしい政治モデルに適応させるべきか、そうだとすればどのように適応させるかを議論することは大切だ。そもそも民主主義とは議論することだからだ。
改革案
改革案は何年も前から出されている。主な提案としては、次のものがある。
- 可決要件を州の過半数ではなく3分の2に引き上げる
- 有権者の55%以上が賛成した場合、州の過半数条件を免除する
- 州の票に重みをつける。例えば大きな州は3票、中規模の州は2票、小さな州は1票、など
- 州の過半数条件は撤廃
今回のイニシアチブ否決を受け、こうした改革案が盛り返すかもしれない。だが改革にも州の過半数条件が課されるため、改革が実現することはなさそうだ。大半の州は、権力を失うような憲法改正案に同意しないからだ。
(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)
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