民間軍事会社に国際法を守らせるには?
世界の戦場では正規兵に代わる存在として、民間軍事安保会社(PMSC)が派遣される例が増えている。スイスはこれらの企業に国際法を順守させるため、行動規範の啓蒙(けいもう)に取り組んでいる。
今年1月、ノルウェーに亡命したロシアのPMSC「ワグネル」の戦闘員の証言から、同社による囚人採用の実態外部リンクや戦争犯罪が疑われる行為外部リンクについて、さまざまな事実が明らかにされた。その一部始終をジュネーブ国際地区にあるオフィスビルの中から追っていたのが、「民間警備会社のための国際行動規範(ICoC)」の推進に取り組む団体ICoCAの代表ジェイミー・ウィリアムソン氏だ。
ロシアのオリガルヒ(新興財閥)が経営する外部リンク私設軍隊ワグネルは、ウクライナやアフリカの一部外部リンクでロシアの地位強化の一翼を担う。戦争や治安の民営化が広がる世の中の流れを示す分かりやすい一例だ。
民間軍事業界については正確な雇用者数や資金に関するデータが乏しく、専門家の間でもしばしば見解が分かれる。米市場調査会社ヴァンテージマーケットリサーチの調べによると、2021年現在の市場規模は2420億ドル(約31兆8千億円)で、28年までの年平均成長率は7.2%(軍事作戦込みの試算)。ジュネーブのシンクタンク「軍隊の民主的統制のためのジュネーブ・センター(DCAF)」の推計によると、17年の総警備員数は1100万人、民間軍事会社の雇用者数は7万7千人だった。ただ、この推計はDCAFは登録された民間軍事会社と警備員の数のみを対象としている。17年以降は増加傾向にあるという。
ワグネルが戦争犯罪に関与したとの疑惑が報じられたが、そうした事態を未然に防ぐことこそがウィリアムソン氏の仕事だ。ICoC誕生のきっかけは2007年。米国によるイラク戦争が終わった首都バグダッドの中央広場で、イラクの民間人14人が民間軍事会社ブラックウォーターの社員らに殺害されるという事件が起こった。これを受けてスイスが音頭を取り、2010年に各国政府と民間軍事業界、市民団体が人権と人道法の尊重を促進するための諸共通原則に署名した。規範の順守を監視するICoCAは13年、非営利団体としてスイスで登録された。
ICoCの適用範囲についてウィリアムソン氏は「ワグネルは全体のほんの一部分だ」とし、「治安ビジネスはあらゆる場所に進出している。民間業者による人権侵害のリスクがある限り、全てがICoCの対象となる」と説明する。警備を業者に委託する難民施設や採掘現場、紛争地帯で訓練や輸送、弾薬管理といった業務を軍が外注しているケースなども対象だという。
このように成長著しく秘密主義的な業界で基準厳格化を図るのは、無駄な努力にも見える。PMSCの大半は非武装だが、透明性の向上を自社の評判やセキュリティ上のリスクと捉える企業は多い。市場全体でICoCAがカバーする範囲は狭い。ホームページには、報告やモニタリング、評価などの要件を満たし、ICoCに準拠した運営を掲げる企業およそ117社が掲載されている。だが外部審査を受け「認定済み会員」の資格を持つのは、この内わずか54社だ。
その1つに、アフガニスタンとイラクで活動するコンステリス・グループの子会社がある。2017年に認定を受けた。旧ブラックウォーターの流れを汲む同グループは、幾度かのイメージチェンジを経て、現在ではミシェル・クイン事業開発担当グローバル・バイスプレジデントがICoCAの理事に名を連ねる。ウィリアムソン氏は「審査の結果、彼らがブラックウォーターからは別物に生まれ変わったことがはっきり証明された」と説明する。
予防をメインに
原則的にICoCAは、影響力を持つ相手ならば積極的に関わる方針だ。ワグネル・グループもその1つ。赤十字国際委員会(ICRC)のスタッフとして複数の紛争地域で働いた経験を持つウィリアムソン氏は「ワグネルが会員になることは事実上不可能だろう」としながらも「それでも不祥事を起こした企業との協働は必要。それこそが再犯を防ぎ、説明責任を確立する最も大事なポイントだ」と説明する。
一方で同氏は、ウクライナではワグネル社員らがプーチン大統領の側に立って戦闘に参加していることから、深入りするのは適当でないとする。「ウクライナのようなケースは新しい。ワグネルは私企業でありながら、ロシア軍の民間部門として国家と明確に結びついている。そのため議論や解決策は政治色が強まり、政府レベルに移った」。法律上、ウクライナのワグネル戦闘員は傭兵ではない。
だがワグネルがその他の国で手掛けている業務の多くは、他のPMSCも提供しているものだ。「平和維持軍への協力や現地の警察や軍隊の訓練などは、多くの欧米企業が何十年も前から行ってきたことだ」(ウィリアムソン氏)。ICoCAはそうした業者らと個々に接触し、何が合法・違法か、活動の許容範囲について理解を深めてもらうべく尽力している。民間人の被害を防ぐことが目的だが、社員がどの時点で一線を越えて戦闘員となり、民間人の地位を失うかについても説明を行う。
「全ては未然の防止が目的だ。一旦発砲や民間人への危害が発生してからでは手遅れだからだ」(ウィリアムソン氏)
顧客にできること
PMSCの活動に目を光らせ規制する上では、各国政府も重要な役割を果たす必要がある。2008年、複数の政府が「モントルー文書」外部リンクを採択し、自国の領土内でPMSCが守るべき最低基準を確保する責任を担うことを改めて確認した。同文書も、民間軍事会社による国際法の順守状況を改善するために、スイス政府とICRCが提唱したものだ。
これに従い各国当局は、PMSCの顧客として企業が守るべき基準を設定する。米国はリスクの高い環境での外交警備を委託する場合、業者にICoCAの認定取得を義務付けている。また、英国を始め複数の国では、調達文書にICoC順守を盛り込んでいる。しかし、ウィリアムソン氏によると、業務内容に軍事作戦の色合いが濃くなればなるほど情報の機密性が高まるため、当局にとっては監督そのものが困難になる。
国内法の改正
スイスは2013年に「外国での民間安全サービスに関する連邦法(PSSA)」を改正し、外国で敵対行為に参加する企業の国内での営業を禁止外部リンクした。イラクとアフガニスタンの戦争で活動する業界大手、英イージス・ディフェンスサービスがバーゼルに本社を移転したことが発端だった。
法改正を後押しした大きな要因の1つは、スイスの中立の維持だ。同法は、スイスに拠点を置く企業が深刻な人権侵害に関わる業務を提供することを明確に禁じ、スイス企業が海外で治安サービスを提供しようとする場合には、当局に事前通知することやICoCに従うことを義務付けている。
傭兵の使用に関する国連作業部会は2019年、スイスを視察外部リンクした際、国際社会におけるスイスの取り組みを評価する一方で、国内で提供される警備サービスに関する規制については「民間警備員の数が警察官を上回っている現状で、業界内で統一された基準が無い点が特に懸念される」と批判した。
政府の他に、多国籍企業もPMSCの行状改善に影響力を持つ。ウィリアムソン氏は「鍵は人権デューデリジェンスだ」と強調する。多国籍企業はPMSCの雇い主として、順守すべき基準について発言権を持つ。英国の石油・ガス大手BPは数年来、ICoCAにオブザーバーとして参加している。商品取引大手グレンコアや建材製造のグローバル企業ホルシムも新たにそこに加わった。確立されたプロトコルを手段に、PMSCによる権利侵害及びその影響が多国籍企業に波及するのを防ぐのが狙いだ。
説明責任の不在
国連の傭兵問題専門家らはICoCを評価しつつも、まだなすべきことがあるとし、国連人権理事会にあてた最近の報告書外部リンクの中で「世界中のPMSCに対する規制を一律化し、人権保護を適切に確保するための」国際条約の必要性を唱えた。国連作業部会のソーチャ・マクラウド氏はswissinfo.chへのメールで、傭兵が残虐行為の責任を問われることはほとんどないと述べ、その原因として、PMSCを取り巻く秘密主義や複雑な事業構造、そして規制の穴を挙げた。
バグダッドの殺害事件で米国の裁判所外部リンクから有罪判決を受けたブラックウォーターの警備員4人に対しては、その後ドナルド・トランプ前米大統領によって恩赦外部リンクが出された。ワグネル・グループに対する最初の裁判は2022年にロシアの裁判所で却下外部リンクされ、現在は欧州人権裁判所で係属中外部リンクだ。
マクラウド氏は「傭兵派遣を巡り近年起こった最大の変化の1つは、その規模だ。現在、複数の武力紛争に何千人という傭兵が派遣されているが、これは従来に比べ大幅な増加だ」と説明する。
ICoCAのウィリアムソン氏も、PMSCは既に揺るぎない地位を確立したとみる。「ワグネルのような会社は今後も増えるだろう。正規軍だけだった世界にはもう後戻りできない」
編集:Virginie Mangin、英語からの翻訳:フュレマン直美
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