解説:国際犯罪とウクライナ戦争
ロシアのトップリーダーをウクライナ侵略の罪で裁くために、新たに国際特別法廷あるいは欧州特別法廷を設置する議論が高まっている。侵略犯罪は国際犯罪の1つだが、他にはどんな国際犯罪があるのだろう?特別法廷がウクライナ戦争で果たしうる役割とは?
国際犯罪の種類
国際犯罪とは通常、ジェノサイド(集団虐殺)、戦争犯罪、そして人道に対する罪の3つを指す。もう1つ侵略犯罪があるが、歴史上これを訴因としたのは第二次世界大戦後、連合国が主導したニュルンベルク裁判外部リンク(1945〜46年)しかない。同裁判では敗戦国ナチスドイツの中心人物らが、他国への侵略を計画し実行した罪や戦争犯罪、人道に対する罪で裁かれた。
国際犯罪は、あらゆる犯罪で最も重大とされる。時効が無いため何十年後でも個人が責任を問われ起訴される可能性がある。例えば昨年12月、ドイツの裁判所は、ナチスの強制収容所で上司の指示に従い任務を遂行していた97歳の女性を、1万500人以上の殺人に加担した罪で有罪外部リンクにした。
ニュルンベルク裁判後、特に1990年代以降は、国際犯罪(ただし侵略の罪を除く)を裁くために様々な国際法廷が設けられた。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)、カンボジア特別法廷(ECCC)などがこれに当たる。スイスなどいくつかの国では、「普遍的管轄権」の原則の下、国際犯罪を国内で裁くことができる。例えばスイスの裁判所は2021年6月、リベリアの元反政府勢力指導者アリュー・コシア被告に対し殺人、拷問、レイプなどの戦争犯罪で懲役20年の判決を下した。
また、2002年にオランダのハーグに創設された国際刑事裁判所(ICC)も国際犯罪を管轄とする。17年には「侵略犯罪」もICC規定(ローマ規定。ICCの設立条約)に盛り込まれた。ただし訴追には制約する条件があり、ウクライナのケースでは、ロシアがローマ規程を批准していないため侵略の罪での訴追はできない。
戦争犯罪とは?
戦争犯罪とは、国際人道法(IHL、武力紛争法ともいう)に違反する行為を指す。IHLの柱の1つは、戦争当事者による特定の戦争手段や方法の禁止に焦点を当てたハーグ条約だ。1899年と1907年に制定され、その後一連の関連条約が締結された。もう1つの柱、ジュネーブ条約は、民間人や捕虜など敵対行為に参加していない、またはもはや参加していない者の保護に重点を置く。1864年の締結から複数の改定外部リンクを経て、現在は1949年のジュネーブ4条約と1977年の2追加議定書を主とする。全ての戦争犯罪を成文化した単一の文書は、国際法において存在しない。
ICC規程は、戦争犯罪を「1949年8月12日付ジュネーブ条約の重大な違反」と特に定義外部リンクしており、これには故意の殺害、拷問、レイプ、略奪、不法な国外追放や移送、さらに軍事目標ではない民間人や民間物に対する意図的な攻撃が含まれる。
これまでICCが戦争犯罪で有罪としたのは、コンゴ武装勢力の元指導者、トマ・ルバンガ被告(少年兵を徴用し入隊させた戦争犯罪で懲役14年)やジェルマン・カタンガ被告(戦争犯罪と人道に対する罪の共犯罪で懲役12年)、ボスコ・ンタガンダ被告(戦争犯罪と人道に対する罪で懲役30年)など。さらに2016年にはマリのイスラム主義者アフマド・アル・ファキ・アル・マフディ被告に対し、12年6〜7月にティンブクトゥの宗教・文化施設に対する攻撃を意図的に指示したとして戦争犯罪で9年の禁錮刑を、21年には悪名高い「神の抵抗軍(LRA)」のウガンダ人元司令官ドミニク・オングウェン被告に対し殺人、レイプ、拷問、奴隷化などの戦争犯罪及び人道に対する罪で懲役25年の有罪判決を下した。
人道に対する罪とは何か?
ICC規程は、人道に対する罪外部リンクを「市民に対する攻撃であって、広範または組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う」重大な犯罪と定義する。人道に対する罪の裁判では、ナチスのプロパガンダを担当したユリウス・シュトライヒャー被告(ニュルンベルク国際軍事裁判で死刑判決後、1946年に絞首刑が執行された)、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の元セルビア人勢力指導者ラドバン・カラジッチ被告(2016年、スレブレニツァの大虐殺や戦争犯罪、人道に対する罪でICTYにより終身刑の判決)、ポル・ポト政権で「ブラザーナンバー2」と称されたクメールルージュの理論的指導者ヌオン・チア被告(2014年にECCCにより終身刑、2019年に刑期中死亡)などがよく知られる。
殺人、絶滅させる行為、奴隷化すること、住民の追放または強制移送、拷問、レイプなども、人道に対する罪に含まれる。アパルトヘイト犯罪も該当する。
ジェノサイドとは何か?
「ジェノサイド」という言葉を1944年に初めて用いたのは、ポーランド人弁護士、ラファエル・レムキンだった。後にジェノサイドを国際犯罪として認めさせ、体系化させるための活動に尽力した。1948年に締結されたジェノサイド条約外部リンクは、ジェノサイドを「国家的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部に対し、その集団自体を破壊する意図で行われる」特定の行為と定義し、特定の集団構成員を殺害することや重大な心身の危害を与えること、集団全体または一部の物理的破滅をもたらすような生活条件を故意に課すこと、集団内での出生防止を意図した措置を課すこと、子供を他の集団に強制的に移送する行為などを含む。
時に「全ての犯罪の母」とも呼ばれるジェノサイドは、政治色の濃い用語でもある。少なくとも原則的には、国際社会がその発生を防いだり罰したりする義務があることが示唆されているからだ。しかし、ジェノサイドを法廷で証明するのは困難だ。特にハードルが高いのが意図の証明だ。これまでに裁判所がジェノサイドと法的に認定したのは、ルワンダ(ツチ族大虐殺、1994年)、ボスニア(スレブレニツァの虐殺、1995年)、カンボジア(1975〜79年のポル・ポト政権下)での3例にとどまる。
司法はウクライナ戦争にどう取り組んできたか
昨年2月24日のロシアのウクライナ侵攻から続く戦争を受け、国際社会とウクライナの双方は、かつてない勢いで法的対抗措置外部リンクを繰り広げている。ウクライナでは既に複数の裁判が行われ外部リンク、有罪判決が下された。ICCも捜査を開始し、スイスを含む15カ国以上が専門チームを立ち上げ、将来の自国の裁判あるいは国際法廷の可能性に向けて特に難民を対象に証拠収集を行っている。国連人権理事会で昨年3月に設置が決定した「ウクライナに関する独立調査委員会」では、ウクライナにおける人権および国際人道法侵害の疑いを調査し「将来の訴訟手続き」に向け証拠保全を進めている。
しかし、ウラジーミル・プーチン大統領やセルゲイ・ラブロフ外相といったロシアのトップリーダーを訴追するには、おそらく数年、数十年がかかるだろう。ジュネーブの反不正行為NGOトライアル・インターナショナルのディレクター、フィリップ・グラン氏は昨年10月、仏語圏のスイス公共放送(RTS)の取材に対し「ロシアの侵略に関する限り、そのプロセスは確実に何十年も続くだろう」と回答。「いずれにせよ、証拠と記録を保全し、被害者の意識を高めつつ事件の記録作成に着手せねばならない」と述べた。
裁判の大きなネックとなるのが容疑者の拘束だ。政権トップの場合は免責特権による保護もある。プーチン氏訴追の可能性は、ロシア国内で権力追放や特権剥奪(はくだつ)に至らない限りはほぼ皆無だろう。セルビアのミロシェビッチ元大統領は1990年代のボスニア紛争における戦争犯罪と大量虐殺の罪で起訴され裁判中に獄中死したが、ICTYがその身柄を拘束できたのは同氏の失脚後だった。同様にリベリアのチャールズ・テイラー元大統領も、自国からの追放と亡命後に法廷に引き渡され、リベリアの隣国シエラレオネにおける戦争犯罪と人道に対する罪をほう助したとして2012年、国連の支援を受けたシエラレオネ特別法廷により禁固50年の有罪判決を受けた。ICCは、スーダンのバシル元大統領をダルフールでの戦争犯罪、人道に対する罪、大量虐殺の罪で09年及び10年に起訴したが、その身柄はまだ確保できていない。同氏は19年、政権から追放され汚職の罪で有罪判決を受けたが、スーダンの軍指導部はICCに対する約束にもかかわらず、同氏引き渡しには依然消極的とされる外部リンク。
ロシア特別法廷設置を巡る賛否
ウクライナ戦争が勃発して以来、一部弁護士らはロシアの指導者を侵略の罪で裁くための特別法廷設置を求めてきた。他の犯罪全ての大元である侵略の罪を管轄する裁判所が存在しない、というのがその理由だ。ウクライナを始め主に東欧など数カ国も同案を推進しているほか、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長も昨年11月に支持を表明外部リンクした。しかし、こうした法廷がどのような形式を取り、どのような権限を持つのかなど、未知数の部分や課題外部リンクは多い。
ロシアの指導者を侵略の罪で裁くための特別法廷設置については、国際社会の合意に基づかなければ合法性を欠き、一方的な司法行為と取られかねないとの意見もある。しかし、国際社会が合意に至る可能性は低い。設置案が国連安全保障理事会に提出された場合、ロシアと中国が拒否権を行使するのはほぼ確実だ。また、イラクやアフガニスタンの侵略における米英のキーパーソンの訴追にも道を開きかねないことから、一部西側諸国も踏みとどまりそうだ。
戦争犯罪や人道に対する罪に対する捜査や訴追が非常に複雑であるのに対し、ウクライナ侵攻でロシア指導者の責任を証明するのは一見容易に見える。実際、旧ユーゴスラビアとルワンダの特別法廷で主任検察官を務めたスイス人、カルラ・デル・ポンテ氏は、それらは既に証明済みだと主張している。しかし、一部には、特別法廷がロシア指導者らの身柄を確保できない場合、欠席裁判に巨額を費やした挙げ句に信用し得る結果も得られないとの懸念がある。
編集:Imogen Foulkes、英語からの翻訳:フュレマン直美
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