新型コロナ スイス政府のコミュニケーション戦略は成功したか
街の広場に掲示された、感染予防対策を訴える赤とピンクのポスター。夜のニュースに出ずっぱりの大臣たちー。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に際し、連邦政府は自身のコミュニケーション戦略に骨を折ってきた。政府の効果的な情報伝達は、感染の抑制に寄与したのだろうか。
「私たちはできるだけ迅速に、でも必要に応じてゆっくりと行動しなければならない」
4月、連邦内閣がロックダウン(都市封鎖)緩和策を発表した時に、アラン・ベルセ内相が発したこのフレーズ。この言葉が新聞だけではなく、募金用に作られたTシャツにもプリントされたのは、偶然の出来事ではない。
このメッセージは、政府がウイルスの感染拡大当初から国民に呼びかけている、明確で、慎重かつ真剣なトーンを100%体現した好例だ。
フリブール大学のレグラ・ヘングリ・フリッカー教授(マスメディア・コミュニケーション学)は「全国で好意的に受け入れられた」と評価する。
明快さ、一貫性、透明性。これらはいずれも危機コミュニケーションの重要な要素だ、と同教授は話す。「今回のパンデミックのようなときには、信頼が特に重要」。
これまでの統計からも、パンデミック中に政府がコミュニケーションを効果的にコントロールできたことが分かる。最近の世論調査では、60%以上が政府を信頼していると答えた。それに加えて新規感染者の数が減り、政府はロックダウンの段階的緩和に踏み切ることができた。
それでも、パンデミックが始まったころは、国に不利な状況が続き、閣僚の一挙一投足もまた試された。人口の密集するスイスは欧州のパンデミックの震源地の一つ、イタリアと国境を接しており、すぐに欧州で最もウイルスの影響を受けた国の一つになった。
政府が新型コロナウイルスに伴う制限措置を発表した時、それを個人の責任にゆだねた。外出自粛は義務ではなく、あくまでも勧告。政府の戦略を成功させるには、このメッセージをどう伝えるかがカギになる。第二次世界大戦以降最大の国難に直面した今、4つの異なる政党の7人が内閣を構成する連邦国家にとって、それは簡単な仕事ではなかった。
パンデミックへの備え
新型コロナウイルスが新聞の見出しをにぎわす数カ月前、複数の指標に基づき各国を評価したグローバルヘルス・セキュリティ・インデックスによると、どの国もパンデミックへの備えが完全にはできていないという実態が明らかになった。パンデミックの備えを国別に評価したランキングで、スイスは195カ国中13位にランクインした。
対応に関しても、スイスは100点満点中67点と高得点だった。保健庁のインフルエンザ流行への対処計画外部リンク(128ページ)など、スイスには「コミュニケーション計画があり(…)役割・責任について明確な説明がされている」とした。
つまり、2月25日に新型コロナウイルスの第1号感染者が判明した時、危機コミュニケーションの土台はすでにできていたといえる。連邦政府のアンドレ・シモナッツィ報道官はそれより前の時点で新型コロナウイルスに特化したコミュニケーション・タスクフォースを立ち上げ、全部署横断のコミュニケーション調整を行っていた。
最初の症例が報告されるまで、ウイルス関連の情報は保健庁が発信していた。その後、公式な情報の発信者は連邦内閣に移った。感染の急速な拡大を受け、国民は科学的情報だけでなく、スイスがどう対応するかを自国のリーダーから知りたい―。シモナッツィ報道官は、伝達者を変更した理由をそう説明した。
シモナッツィ報道官は「政府の主な目標は最初から、国民を新型コロナウイルスから守ることだった」と説明する。政府は専用のウェブサイトからソーシャルメディアまで、さまざまなプラットフォームを通じてウイルス関連の情報を提供した。
2月28日には、政府は初めて感染症法の条項を適用し、公衆衛生対策を管轄する全26州の権限の一部を吸い上げ、大規模イベント禁止を含む広範囲な制限措置を講じた。
1人が発信
前例のない封じ込め対策に際し、政府はフランスやイタリアなどのような外出禁止令は出さないことに決めた。
ローザンヌ大学のアンドレアス・ラドナー教授(コミュニケーション・世論)は、これは政府が国民に「あなたたちを信頼している」ということを伝える、スイスならではのやり方だったと分析する。
「これで、国民を問題解決の一助に組み込んだ」
フリブール大学のヘングリ・フリッカー教授は、政府の連帯キャンペーン「Wir / Nous / Noi / Nus」(日本語で「私たち」の意味)が特に成功だったとみる。
「1つの重要な側面は『異常な状況』(非常事態)が宣言されたとき(3月16日)の、『私たちは一蓮托生』という感情だ」。特にシモネッタ・ソマルーガ連邦大統領が国民に措置を守るよう訴えるのと同時に、政府の支援を表明した点を挙げる。
やや意外なのは、政府が7人の閣僚全員を発言者にしたこと。さらに公衆衛生、経済、国境管理の専門家を記者会見に登場させ、担当分野の情報を発信させたことだ。
ラドナー教授によれば、これは危険な戦略だった。
「情報伝達管理が重要な危機コミュニケーションにおいて、通常取る手法ではない。発言の矛盾が生じる恐れがあるからだ」と言う。
2月28日から5月20日までの間に、連邦内閣事務局は新型コロナウイルス関連の記者会見を46回開いた。その半分弱は内閣閣僚、残りは政府幹部で、すべてライブ配信された。ラドナー教授によると、この方法は、各専門家と閣僚が「自分たちが知っていること、真実が何であるかを常時周知する」ためだったとみる。
ラドナー教授は「記者会見は実直で、正直に情報を提供していたようにみえる。彼らが練り上げたショーではない」と語った。
閣僚と専門家は、公共放送で夜に放送される高視聴率のニュース番組にたびたび登場した。3月のパンデミックで、ネットニュースメディアの需要は増加。フランス語圏のル・タンやドイツ語圏のNZZなど、主要日刊紙ウェブサイトの閲覧数も倍増した。
間違いから学ぶ
しかし、ウイルスについて多くが依然不明であることを考えると、矛盾や非一貫性はどうしても避けられない。
ヘングリ・フリッカー教授は「子供たちの(ウイルス媒介者としての)役割、マスクの着用、制限措置の段階的緩和、操業短縮制度―。これらには不確かな部分があった」と指摘する。 「これらの不確かな部分が生じてもなお、政府は以前の発言内容を繰り返した」
8週間の休校を経て学校を再開するという政府の決断は、物議を醸した。政府は子供たちが新型コロナウイルスの主要な媒介者ではないという主張を繰り返したが、その科学的根拠はまだ確立されていない。一部の親は政府の決定に納得しなかった。それでも、政府は子供たちを学校に送り返すという決定を貫き通した。パンデミック対策を率いた保健庁のダニエル・コッホ氏は、子供たちがウイルスを伝染させるリスクは低いという発言を繰り返した。
ラドナー教授は「政府が学校の再開は可能だというならば、本当にそれができると国民に信じさせなければいけない」と話す。「わからない、は長期的に見て良い戦略ではない」
ただ、ヘングリ・フリッカー教授によると、政府は間違いを認め、立場を明確にする姿勢もを示している。例えばカリン・ケラー・ズッター司法警察相は、レストラン・バーの再開発表に関し、内閣がミスを犯したと認めた。これらの店舗は当初の緩和計画に含まれておらず、政府はのちに修正を余儀なくされた。
連邦主義は障害ではない
パンデミックの初期、連邦政府と州の新規感染者数にも食い違いが生じた。
ヘングリ・フリッカー教授は「統一されたデータシステムがなく、コミュニケーションにおいて問題が生じた」と指摘。これは今後の検討課題だと話す。
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シモナッツィ報道官は、カウント手法が複数あることはさておき、連邦内閣事務局は政府と州のメッセージの足並みをそろえるよう試みた、と話す。全員が2015年から毎年、危機コミュニケーションのワークショップに参加しているため、関係者はこの手法をすんなりと取り入れることができた。
ラドナー教授は「連邦主義はチャンスだ」と話す。大半の場合、連邦制は議論、コンセンサス、統一という伝統を活用し、州にとっての解決策を見出してきた。ウイルスの影響は州によって異なり、一部の州は特に深刻だ。
連邦内閣はまた、全国民を称賛し、国の団結に尽力した。病院の医療崩壊が起こらなかったのは国民の規律のおかげ、それによって国は学校・店舗の再開を進めることができた―。これは閣僚が4月、国民に向けて投げかけたメッセージだ。
ただ、州と政府のメッセージは時に衝突した。パンデミックが始まったころ、ウーリ州は65歳以上に外出禁止を命じ、当時感染者数が最も多かったティチーノ州は必需品以外の工場生産を一律閉鎖した。これらの措置はいずれも、政府の新型コロナウイルス対策とは相反するものだ。
しかしラドナー教授は、政府はほかに対処すべき課題を抱えていたと述べた。例えば感染者数が比較的少ない州の住民に、厳しいロックダウンをどのように守らせるかといった問題だ。
政府を信頼できる情報源に
国民からの信頼と協力を確かなものにするため政府が取ったのは、自分たちを信頼に足る情報源にするーという手法だった。
保健庁のコッホ氏は感染症対策班の元班長で、定年後も同庁を代表して記者会見で情報を発信し続けている。マスク着用や子供たちの媒介者としての役割など、スイスの世論を二分するような問題に対する厳しい質問にも、医学の知見を持つ専門家として、落ち着き、慎重な口調で答える。メディアも早々にコッホ氏の称賛に回った。
政府はまた、科学的証拠に基づいた助言・分析を行う政府の科学タスクフォースを立ち上げた。各担当庁の幹部を会見に出し、国境警備やスイス軍の医療支援などの詳細を語らせた。
政府のコミュニケーションチームは、ネット上、メディアから出たうわさや偽の情報をくまなくチェックしていたという。シモナッツィ報道官自身も、内閣がイタリアとの国境封鎖を検討しているという商業紙ハンデルス・ツァイトゥングの報道をツイッターで「誤報だ」と否定した。
しかし、これらすべての努力にもかかわらず、当局が説得に失敗した小さな人口集団がある。チューリヒやベルンなどの都市部で最近、政府の措置に反対するデモを起こした数百人の人達だ。しかし、専門家のセバスチャン・ディエゲス氏はswissinfo.chに対し、陰謀理論を商売道具にするデモ参加者は、政府が何を言おうと何をしようとも、心変わりはしないと指摘する。
ただスイス人の大多数はロックダウン中、政府の外出自粛勧告をきちんと守っていたことが、このデータから分かる。しかし、ヘングリ・フリッカー教授もラドナー教授も、効果的なコミュニケーションが本当に感染抑制につながったかを調べるには、綿密な分析が必要だと口をそろえた。ただ、全体的に見れば、政府のコミュニケーション戦略は良かったという。
ラドナー教授は「これまで非常に複雑な状況が続いたが、政府はうまく対処できた」と語った。
今後のカギは、政府がロックダウン緩和を行う中で国民の関心をいかに維持するか、にかかっているという。「今もなお危険はある(新規感染者の増加等)ことを留意しながら、その一方で状況をきちんと観察していることを示す」のが肝要だという。
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(英語からの翻訳・宇田薫)
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