コロナはスイスの国民投票にどう影響するか
新型コロナウイルスにより、スイスもほかの国と同様「ニューノーマル」に舵を切った。政治も例外ではない。今年9月の国民投票では5件の案件の是非が問われるが、パンデミック(世界的大流行)の影響で、投票システムやキャンペーン、有権者の行動にも変化が表れている。
パンデミック発生後、連邦議会はソーシャルディスタンシング(社会的距離)の確保が難しくなり春期議会を短縮した。連邦政府は危機管理を一手に引き受け、州にその権限が戻ったのはつい最近だ。5月に予定されていた国民投票は延期になった。
国民投票が9月27日に再開されることになり、毎年定期的に行われる民主主義の慣習が復活した。しかし新型コロナウイルスはそのプロセスと結果にどの程度影響を及ぼし続けるのだろうか。
体制は通常通り
国民投票の調整を行う連邦内閣事務局は7月1日、各州に送った国民投票実施要項外部リンクの中で、新型コロナウイルスについて2点だけ、簡潔に触れている。
文面には在外スイス人への投票用紙送達について「パンデミックの影響で、国外発送は到着に時間がかかる可能性がある」ため、早期に完了するよう求めた。投票所の衛生対策とソーシャルディスタンシングへの配慮も要請した。
同事務局のベアト・フーラー氏は6月に州と協議し、この分量の薄いガイドラインができたと述べた。「感染者数が安定し、予防対策が現行レベルで維持できていれば、投票の適切な実施に関し州に重大なリスクや課題はない」と言う。
パンデミックの前でさえ、多くの州では90%が郵送で投票された。このため新型コロナウイルスの予防対策がそれほど大きな影響を及ぼすことはない。
州レベルでは、チューリヒ司法局のアレクサンダー・ロッヒャー氏が、9月のウイルスの状況を予測するには時期尚早で、今後の感染者数の状況次第だと話した。ベルン州は、特別な措置が必要か否かについて、方針はまだ決まっていないという。
グラールス州では、青空議会という特殊な投票方法がパンデミックによりキャンセルになった。青空議会は、有権者が野外広場に集まり、挙手で投票する昔ながらの方法で、最大9千人の有権者が一堂に会する。投票は、投票用紙で行われる。
キャンペーンー日和見的ではない
国民投票のキャンペーンに関して言えば、政治活動は現在かなり静かだ。今は夏休み中で人が出払っており、ベルン市内の通りにも投票関連のポスターはほとんど見られない。
欧州連合(EU)からの移民を制限するイニシアチブ(国民発議)に反対し、「Courage Civil」キャンペーンを展開するベテラン投票ウォッチャーのマーク・バルジガー氏は、これは通常通りだという。議論は8月中旬に熱気を帯び始め、9月上旬にピークを迎えると話す。
メディアの消費量はパンデミック期間中、大幅に増加したが、人々の関心は9月の国民投票ではなく病気と予防対策に集中しているという。
バルジガー氏は、国民がその危険性に気付いていないことの表れかもしれない、と危惧する。特に反移民イニシアチブに関してはなおさらだという。
バルジガー氏は、1992年にスイスが欧州経済共同体(EC)への参加を僅差で否決した歴史的な国民投票や、2014年の大量移民反対イニシアチブでは賛成がわずかに上回り可決されたことを例に挙げる。どちらの場合も、投票日のかなり前にキャンペーン活動とマスコミ報道が増え、投票率は上昇。特に1992年の投票率は顕著だった。
ただ、バルジガー氏らは、通常のキャンペーンアプローチにこだわる。スイスは大規模な政治集会の国ではない。主な手法は今もなお、デジタルプロモーションの1つ、ターゲットを絞った電子メールキャンペーンと鉄道駅など公共の場所に掲示されるポスターだ。それらは新型コロナウイルスの影響を何ら受けない。
バルジガー氏は、新型コロナウイルスを人の関心を引く「フック」に使う予定はないという。パンデミックとメディア報道の欠如は「どちらの側がより恩恵を受けた、ということはない」。それが主要な問題である必要もないという。今年6月、移民反対イニシアチブに反対するキャンペーンを再開した連邦政府も、スイスとEUの経済的連携の重要性に議論の焦点を当てている。
イニシアチブ賛成派の中でも現時点では、議論に新型コロナウイルスを持ち込む人は少ない。
イニシアチブの主な支持団体である国民党は、人口過剰を防止したいというお決まりの議論に終始している。パンデミックは、イニシアチブに関する党の「15の主要な論点外部リンク」のどこにも登場しない。
イニシアチブを支持するもう1つの主要団体「独立・中立スイスのためのキャンペーン」は、ウェブサイト上で新型コロナウイルスについて1つだけ言及している。同団体は「コロナウイルス危機」(原文ママ)は、EUと結んだ人の移動の自由に関する協定がいかに「間違ったアプローチ」であるかを明確に示したと結論付けている。
有権者―パンデミックの影響は?
ウイルスが(まだ)投票キャンペーンの主要な要素ではないとしても、それが有権者の気分や行動に影響を与えないとは言い切れない。
政治アナリストのネナド・ストハノビッチ外部リンク氏は、新しい「不安感」により、総額60億フランの戦闘機購入計画が9月の国民投票で可決される可能性が高まるか否かを注視する。またロックダウン(都市封鎖)は、国境の実際的、またシンボル的な意味での重要性を人々に気づかせた、と言う。同氏は「したがって、『移民』イニシアチブの(可決される)可能性は、当初の5月よりも9月の方が高くなると容易に想像できる」と分析する。
ただ、今年の春に国境開放を突如撤回したことで、移動の自由の利点が強調された可能性がある、と指摘する。このため多くの有権者の間で、国民党の主張する「移民反対」を後退とみる向きが出てくるかもしれない、という。今のような微妙な時期では、経済を害する施策に警戒感を感じる可能性も捨てきれないという。
チューリヒ大学のステファニー・ヴァルター教授は、この2番目の仮説を支持する。
同教授は自身の「崩壊する大規模政治」プロジェクトの一環で、新型コロナウイルスの前と最中にスイスの人口を調査。その結果、同イニシアチブへの支持がパンデミックの間に減少したことが分かった。2019年11月時点では賛成40.3%、反対59.7%だったが、2020年5月までで賛成32.4、反対62.4%に変化した。
ヴァルター教授は、新型コロナウイルスがこの結果に直接影響したかどうかは不明だと話す。だが、このデータはスイス国民が政府に満足していること(82.1%がそう言っている)と、政府のパンデミック対応を支持していることを示しているという。ロックダウンの影響にも関わらず、経済への満足度も高い(62.1%)。このため欧州の問題になれば、有権者が大きな変化に警戒するだろうと同教授は予想する。
ヴァルター教授は「今回の危機で、人々は現状維持を好むこと、自分たちが今持っているものに満足していることが協調された」と指摘する。パンデミック中に行われた調査結果から、無力感や恐れと言った負の感情よりもむしろ、国民の満足・感謝といった肯定的な感情がさらに高まったことが分かった。
ヴァルター教授は、欧州の問題に対しては、スイス国民は「これまで非常にうまく機能してきた現状維持につながる橋を、みすみす焼き払いたいとは思わない」と予測する。
バルジガー氏も同意見だ。同氏のチームが公表したポスターには陰気くさい崩壊寸前の橋が描かれ、「欧州への橋を壊す?答えはNOだ」というスローガンが添えられている。
反移民キャンペーンへの反対運動を展開するバルジガー氏にとっては、スイスの有権者がこの国のプラグマティズム(実用主義)を強固にし、さらにパンデミック時の「変化を嫌う感情」が盛り上がることが頼みの綱だという。「新型コロナウイルスのせいで、実験する時間はない」
(英語からの翻訳・宇田薫)
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