パンデミックの監視・対応システム、先端技術の活用を
昨年の世界保健機関(WHO)の年次総会決議を受けて設置された独立調査パネルは、パンデミック(感染症の世界的大流行)の予防と対応をめぐる制度改革を求めている。ジュネーブ国際開発高等研究所(IHEID)の研究者チームは、科学を改革の中心に据えるべきだと主張する。
WHOの年次総会(WHA)が昨年5月に開催された時、世界は、近年最悪の公衆衛生危機の1つに必死で対応しようとしていた。1年が経った今も、新型コロナウイルスのパンデミックは1日に何十万人もの新規感染者と何万人もの死者を出している。はたして国際社会は、中国・武漢で起きた新型の呼吸器感染症の流行が、医療制度を崩壊させ、何百万の人々を貧困に追いやる世界的な大災害になるのを防げただろうか。この疑問に答えるため、WHAはWHO事務局長に対し、WHOや各国のパンデミックへの公衆衛生上の対応を公平かつ包括的に検証し、将来への提言を行うよう要求した。その結果設置された「パンデミックへの備えと対応に関する独立調査パネル」(IPPPR)は、最終報告書の中で、将来のパンデミックを防ぐために国際的システムを抜本的に変革するよう求めている。言い換えれば、同じことの繰り返しではだめだということだ。
課題は山積みだ。既存の感染症監視・対応システムは、相互運用ができないプロジェクトの寄せ集めだ。これらのシステムは、一部の分野と限られた地域の専門家によって設計されてきた。WHO(本部ジュネーブ)、国際獣疫事務局(OIE、パリ)、食糧農業機関(FAO、ローマ)、国連環境計画(UNEP、ケニア・ナイロビ)といった人間、動物、植物、それらを取り巻く環境の健康を扱う組織の間で情報を共有する国際的枠組みには強力な実施メカニズムが欠けている。政府による国際機関とのデータ共有は限定的で、遅れている。世界の正確な天気予報を支えるリアルタイムのデータフロー網のようなものは存在しない。パンデミックを検知し、適切な時に決定的な方法で対応しようとしても、私たちの集団的能力にはこれらの不備があることが、新型コロナによって無情にも明らかになった。
その一方で、パンデミックはその予防と管理に関して科学とテクノロジーに何ができるかを垣間見せてくれた。新型コロナウイルスやその変異種の次世代シーケンシング(NGS)、ビックデータ解析、プライバシー保護技術、人工知能(AI)は、世界中の国々の公衆衛生上の対応を支援する上で、テクノロジーがいかに重要であるかを示してきた。1つだけ例を挙げるならば、新型コロナウイルスのDNAの塩基配列に関して科学協力とデータ共有がなければ、ワクチンの開発にはもっと時間が掛かっただろう。
私たちはこの経験をもとに世界的なパンデミック監視・対応スキームを早急に構築する必要がある。科学的根拠に基づく、デジタル技術に支えられたスキームであり、備え、監視、対応、復興というパンデミックの一連の段階で機能するスキームだ。新型コロナのパンデミックが世界最後のパンデミックではないだろう。グローバリゼーション、生物多様性の喪失、気候変動はこれからも私たちの間に新たな感染症を引き起こすだろう。だから、普及性と永続性のある包括的な構造が必要だ。
パンデミックの各段階でのニーズと機能を体系的に調べ、求められる最高の対応を実現するために必要なデータとテクノロジーを探り、既存の考え方を疑うべきだ。疫学、公衆衛生学、分子生物学、社会学、行動科学、複雑系、ネットワーク・コンピューター科学、環境科学、医療サービス学、医療経済学にわたる学際的な観点から、パンデミックの様々な段階をつなぐデータ構造と情報源を検討する必要がある。人間・動物・環境をつなぐインターフェースの多様で変わった情報源からデータをリアルタイムでサンプリング・分析するためには、デジタル技術とAIを中心にする必要がある。また、効果的で状況に応じた意思決定に向け政策上の見識をより良く示すためにもその必要がある。
中立性と信頼が、スキームが成功するかどうかの重要な決め手になるだろう。最低限の国際的な支持と市民の信頼を得るためには、国際機関、学界、民間部門、市民社会が連携してこのようなスキームを構築し、さまざまな地域から知識や専門知識を取り入れるべきだと私たちは考えている。世界の強さはその最も弱いつながりで決まるのだから、公衆衛生上の次の危機に直面する時、スキームは資源が限られた国々でも展開可能でなければならない。だから、モジュール式の構造を採用し、国はまず実現可能で緊急性の高いものに優先して投資し、その後、能力と資源が手に入ればスキームを拡大できるようにすべきだ。
健康はみんなの関心事であり、最良の成果は市民やコミュニティが公衆衛生に参加することによって得られることが多いという考えをスキームの開発と運用に反映させるべきだ。よく統治されたデータの生成・共有プロセスを標準化させ、市民に受け入れられ、信頼されるものにできれば、市民科学の力をパンデミックへの備えと対応にもっと上手く活用できる。
ジュネーブに拠点を置く国際デジタルヘルス&AI共同研究外部リンク(I-DAIR)は、独立した世界的プラットフォームだ。グローバルなパンデミック監視・対応スキーム案の研究課題を作成し、構造を開発するために、まず多くの専門分野にわたる科学者を集めた国際的なグループを作り、この取り組みを支援する用意がI-DAIRにはある。科学は国や企業の狭い目標にとらわれずに先頭を行くべきだと私たちは考えている。透明性をもって共同で構築されたスキームは、独立して運営され、そのデータは中立的なデジタル基盤でホストされるべきだ。そして、スキームが生み出す警告や見識は、将来の新たな感染症の流行へのタイムリーな対応を決める上で、現地、地域、世界のアクターにとって信頼のおける情報源になるだろう。
今年また開催されるWHAは、警告と無視の悪循環に陥らないようにする絶好のチャンスだ。独立調査パネルの報告書が予告した政策論議は重要であり、新たなパンデミック条約を含む議論の成果には待つだけの価値があるかもしれない。しかし、将来の政治的意思決定を支える可能性のある監視システムの研究開発課題は待ったなしだ。科学は新たな可能性を提示している。創造的な方法で科学と政治を連携させる想像力が私たちには必要だ。
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。(英語からの翻訳・江藤真理)
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