企業責任論 経済界と市民社会を分断
多様な市民社会グループが連合して、スイスに拠点を置く企業が外国でビジネスを行う際の新たなルール作りを求めている。29日の国民投票で「責任ある企業イニシアチブ(国民発議)」の是非が有権者に問われる。
今回の国民投票は、主に左派が支持するスイスの非政府組織(NGO)が10年以上にわたり行ってきた人権・環境保護キャンペーンの集大成だ。
ビジネスの倫理基準や不適切と申し立てられた業務にスポットライトを当てることになるだけに、スイスの多国籍企業やスイス経済に悪影響を及ぼす可能性があるとみられている。
同日に国民投票に掛けられる「軍需企業への融資禁止イニシアチブ」でも同様の問題が提起されている。
何が問題なのか?
いわゆる「責任ある企業」イニシアチブの主な目的は、スイス企業の人権や環境を脅かす外国での事業活動について、企業に責任を負わることだ。
児童労働や環境への有害物質の排出といった権利侵害は法的措置を執る根拠となる可能性がある。
デューデリジェンス(査定)義務の一環として、人や環境への潜在的なリスクを特定するために、スイス企業はすべての事業活動を見直さなければならない。また、悪影響について効果的な対策を講じ、実施内容を定期的に報告しなければならない。
このイニシアチブの大きな争点の1つは、業務によって引き起こされた損害について、どの程度の責任をスイス拠点の企業に負わせることができるかだ。
特に、スイス中の中小企業が、同国に拠点を置く多国籍企業と同じ法律の対象となるかどうかについては、意見が分かれている。
また、スイス拠点の企業によって管理されているが所有はされていない外国企業がイニシアチブの措置をどう実施するかが問題になっている。同様に議論を呼んでいるのは、いわゆる立証責任の転換の問題だ。権利侵害で告発された企業が免責されるためには、適切な措置を講じたことを企業自体が確かな方法で証明しなければならないという原則だ。
専門家によると、企業責任イニシアチブが可決された場合、イニシアチブを実施するための法律の詳細は連邦議会に委ねられ、これらの点が政治的議論の中心になるとみられる。
その一方で、イニシアチブが否決された場合、企業責任を骨抜きにした政府・議会の改正案が発効する。
賛成派と反対派、それぞれの主張は?
賛成派は、劣悪な労働条件から環境保護の不作為にいたるまで、スイスに拠点を置く企業―特に商品取引分野の企業―の外国における数々の不正行為を前に、行動を起こさずにはいられないと話す。
2011年に国連で採択されたビジネスと人権に関する指導原則外部リンクを順守する倫理的義務をスイス企業は負っているとも指摘する。
拘束力のない協定や国民の意識を高めるキャンペーンでは十分ではないとの考えだ。
スイス経済を支える中小企業が新たな責任規定によって大きな打撃を受けるのではないかという疑いもはねつける。
他方、反対派は、スイス経済がコロナ危機によって深刻な打撃を受けている今、イニシアチブの要求は過剰であり、スイス企業の競争力を弱めると主張する。
訴訟の波を懸念した多国籍企業が拠点をスイスから外国に移転すると決定する可能性があり、スイスで雇用が失われる恐れがあると警告する。
また、イニシアチブを支持すれば、企業がビジネスを行う新興経済国や発展途上国のインフラへの投資を減らすことになりかねないと主張する。
企業の法的責任を除外する連邦議会の対案は、環境保護を促進し、人権侵害と闘うための現実的な代替案になるだろうとの考えだ。
なぜ有権者に発言権があるのか?
イニシアチブの発起人らは16年、この問題を全国規模の国民投票に掛けるため、18カ月以内に(有権者10万人分の署名が必要なところ)12万人分の署名を集めて連邦内閣事務局に提出した。
イニシアチブを立ち上げる4年前には、NGOは連合して拘束力のない請願書を提出し、スイスに拠点を置く企業が世界中で行う事業について人権と環境基準を尊重することを確保するようスイス当局に求めた。
しかし、NGO連合によると、スイス当局への請願書も連邦議会での提案も大した影響は及ぼさなかった。
代替案を起草するための努力を含め、連邦議会での手続きは長引き、19年になってやっと国民投票の日取りが決まった。
29日の国民投票でイニシアチブが可決されるためには、投票者の過半数と26州の過半数の賛成が必要だ。
スイス直接民主制の下では、有権者によるイニシアチブの承認が、連邦憲法の改正へと導き、その後の一連の法改正が連邦議会によって決定されるよう促す。
誰が賛成し、誰が反対しているのか?
60の市民社会グループによって立ち上げられた企業責任イニシアチブは、左派と経済界を含む右派との典型的な対立を生んだ。
中道派は態度が分かれているが、いくつかの政党や著名な政治家はイニシアチブ賛成派に味方している。
経済界も一枚岩ではない。大企業を代表する経済連合(エコノミースイス)とその他の団体との間で意見が分かれている。
この運動に関与する市民社会グループは、人権団体、婦人協会、労働組合、キリスト教団体と多岐にわたる。
連邦政府と連邦議会は、有権者に対し、イニシアチブを否決するよう勧告する。
スイスは諸外国と比べてどうか?
連邦政府によると、イニシアチブが可決されれば、スイスは諸外国と比べて最も厳しい責任規定を持つことになる。
しかし、イニシアチブによって、スイスは同様の法律を持つ他の欧州諸国に仲間入りできると賛成派は話す。
フランス、イタリア、英国は企業責任と法的義務に関する法律をすでに導入している。他の国々でもこのような取り組みが検討されている。欧州連合(EU)では、来年までに規制を合理化するための努力が続けられているところだ。
なぜ企業責任イニシアチブは世間から注目されているのか?
スイスでは10年以上前から企業責任の問題がニュースになってきた。そのため、29日の国民投票はスイス経済界にとって非常に重要だと考えられている。
政治学者らは、13年の国民投票で圧倒的多数で可決された「高額報酬制度反対イニシアチブ」をはじめとするビジネスの行き過ぎを抑制する過去の試みと企業責任イニシアチブとを比較してきた。
運動家らは早い段階から、学者、中道派の政治家、起業家など関心の高いグループに狙いをつけ、キャンペーンに取り込もうとした。
最終的に、130以上の市民社会グループが参加する連合がイニシアチブを支持している。スイスの主要な2つのキリスト教会であるローマ・カトリックとプロテスタントの代表がスイス政治に積極的にかかわるのは異例のことだ。
また、個人宅の外に掲げられたイニシアチブ支持を示す旗によって、通常では考えられないほど、キャンペーンが広く知られるようになっている。
スイスには政治資金に関する透明性がないため、正確な数字は入手できないが、反対派はこのイニシアチブに対抗するために約800万フラン(約9億1320万円)をつぎ込んでいると報じられている。他方、イニシアチブの運動家らは、大きなスポンサーはいないが、ボランティアと何千人もの少額寄付者の支援があると話す。
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