真のインクルージョン 危機や戦争に立ち向かう民主主義の平和的な「武器」
世界的な独裁国家の台頭、パンデミック、フェイクニュース、プーチン政権によるウクライナでの戦争。こうした脅威に直面したとき、民主主義国家はより打たれ強くなければならないと政治家は口をそろえる。民主主義がより強靭なものとなるためには、更なる公平さ、つまり、あらゆるマイノリティーの人々が包括的に政治プロセスに参加することが必要になってくる。活動家や専門家はそう訴える。swissinfo.chでは「インクルージョン(包摂)」についてシリーズで取り上げる。
「ロシアによるウクライナの戦争は、欧州の全ての民主主義に向けられたものだ」「レジリエンス(復元力)は民主主義の中心にある」。7月にスイス南部ルガーノで開催され、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長やウクライナ議会のルスラン・ステファンチューク議長、スイス国民議会(下院)のイレーヌ・ケリン議長らが参加したウクライナ復興会議では、この2つのフレーズが呪文のように繰り返された。
民主主義において、誰が政治参加でき、誰が政治的権利から排除されるのかという問いは最も基礎となる部分だ。
真の意味でのインクルージョンは、民主主義を内部から強化する、つまり民主主義のレジリエンスを向上させるための取り組みにおいて重要な役割を担っている。ベルン大学で民主主義を研究するマーク・ビュールマン教授はその根拠をこう語る。
世界中で民主主義が危機に瀕している。15年ほど前から、各地で権威主義・独裁主義が顔をのぞかせる。
スイスは安定のとりでだ。政府はほぼ全政党が同等の発言権を持ち、議会に解散総選挙はない。一方で有権者はイニシアチブ(国民発議)やレファレンダム(国民表決)を通じ、他のどの国よりも頻繁にさまざまな案件を自らの手で決められる。
しかしスイスの民主主義の歴史は、誰が発言を許されて、誰が許されないかを物語る。1848年に連邦国家が設立されたとき、国民の23%しか選挙権を持たず、人口の半分に選挙権がなかった時代はスイスの民主主義の歴史上で最も長い。女性が参政権を獲得してからまだ50年しか経っていない。しかし現在もなお、スイスに暮らす多くの人が、自分の意見を表明できない立場にある。
誰が発言権を持ち、誰が持たないかは、政治的に議論が分かれている。スイス国民の大多数は、定住外国人などへの参政権付与をずっと拒否してきた。国民党(SVP/UDC)青年部の政治家で弁護士のデミ・ハブリュッツェル氏が意見書の中で書いているように、「参政権は包摂のためのツールではない」と考えられているためだ。
民主主義国家は、誰がどの程度発言することを許されるのかというデリケートな問題にくりかえし直面する。自由民主主義が世界的な揺るぎなき規範でなくなった今は、民主主義国家は自らの期待に応えなければならない。
swissinfo.chが政治的包摂をテーマにした連載「インクルージョン」に取り組むのにはこうした背景がある。スイスで誰がどれだけ発言権を持つのか、といった観点から、専門家に話を聞き、スイスにおけるマイノリティや部外者のために活動している人々や運動を紹介する。
ちなみに、在外スイス人も長い間排除されていた。投票権が与えられたのは1992年からだ。
「民主主義国家において有権者(投票権を持つ人の輪)が拡大すれば、議論における主張の幅が広がる。女性や移住者、16歳や17歳の人、障がい者などのグループに対して政治的権利へのアクセスを拒否する人は、別の見方を奪っていることになる。それはつまり、民主主義の理論から考えると、『何か』を失っているということだ」
多様性 ―優れた民主主義のための資源
「何か」の根底にあるのは、多様性だ。多様性とは、民主主義における偉大な不文律のようなもので、意識的に市民の違いや多面性に依存し、可能な限り多くの人にとっての良い解決策をともに見出そうとするものだ。
多様性を資源として捉えることは、すでにビジネスシーンではほぼ主流となっている。企業は成功を収めるために、従業員の多様性をうまく活用する。年齢層、教育レベル、経歴、性別、アイデンティティ、価値観、言語、文化といった違いは、戦略や製品、職場の雰囲気を最適化し、ミスやリスクを最小化するのに役立つと考えられている。
ワンマンCEOが「自分の」会社における意思決定を一人で行うなどのスタイルは、廃れつつある。例えば2001年のスイス航空(Swissair)の経営破綻(はたん)では、経営不振に陥った小さな航空会社を次々と買収するという、当時の社長がとった非常に危険な戦略の影響で、完全に誤った方向に進んでしまったことに主な原因があった。もっとも、業績不振には「9・11」の影響もあったものの、仮に経営陣が幅広く戦略策定に関与していれば、このような事態は起こり得なかっただろう。
多岐にわたる長所
政治の話に戻ろう。多様性を資源として賢く活用することは、民主主義の本来の意味や目的のように思われる。このようなアプローチには次のような利点がある。
・社会統合の手段としての政治参加
・より幅広い議論の場
・活発な公開討論
・意思決定の根拠が増え、より確かな解決策につながる
・多様な人口集団の代表制の向上
・両極化、排除、対立激化を避け、違いを緩和する
・選挙や投票結果に対する正当性の向上
・意思決定に対するサポートの強化
・国家や政治機関に対する信頼性の向上
・社会的結束の強化
・市民の政治的自己イメージの形成
・安定性の向上
・同質性より多様性を広める
・排除・差別ではなく寛容さを広める
・特権ではなく公平さを広める
・危機や攻撃をはねのけるレジリエンスの向上
インクルージョン ー戦争へのアンチテーゼ
プーチン政権によるウクライナでの戦争は、ウラジーミル・プーチン大統領が、ロシア政府内とロシア全土において「議論の持つ可能性」を事実上破壊してしまったことが一因と言えるだろう。同氏は、政治家や活動家、メディアからの批判的な声を、迫害や収容所、罰金や禁止令を用いて封じ込めてきた。
プーチン氏は、命令1つで何万人もの人々を戦争に送り出し、世界の国々を震撼させる独裁者だ。
民主主義の一端に真の「深い」インクルージョンがあるとすれば、その反対側には、全体主義的な支配や独裁、死と破滅が待ち受ける。
スイスの限定的インクルージョン
しかし、「あらゆる民主主義の原則の中で最も民主的」とされるインクルージョンは、多くの民主主義国家で苦境に立たされている。民主主義のモデルとして称賛されることの多いスイスでさえ、例外ではない。
現在、スイスの人口は860万人。そのうちの25%以上は、スイス国籍を持たない移住者だ。そのため、彼らはスイスの民主主義において政治的権利を有していない。
18歳以上の有権者では37%がスイス国籍を持っていない。そのため、政治的に排除されている。
約125年間排除されてきた女性たち
移民以前には、スイス人女性も同様の状況にあった。女性には1971年まで選挙権と被選挙権が与えられていなかった。スイスの民主主義は123年間にわたり男性だけのもので、せいぜい半分の民主主義に過ぎなかった。
1848年に建国されたスイスは、普通選挙権を有する民主主義国家という意味では、完全な民主主義国家となってからまだ50年しか経っていない。
現在でもスイスでは、成年後見制度の庇護に置かれている障がい者や16歳、17歳の若者は除外されている。
家系・血統主義
保守系右派・国民党(SVP/UDC)のトーマス・ブルクヘア国民議会(下院)議員は、2016年の民主主義会議の場で、「スイスの投票権は無償で与えてはならず、行動に対してのみ与えられるものだ。そしてその行動とは帰化だ」と発言している。
「投票権は市民にのみ」という建前は、現在でもスイスの多数派意見に合致している。議会では、左派が移民の投票権導入案を定期的に提出しているが、多数派を占める保守層の反対に遭い、毎回阻止されている。
最近では6月上旬に、5年以上スイスで生活している移民への政治的権利を求めた2つの案が議会に出されたが、国民議会(下院)で否決された。このとき、緑の党(GPS/Les Verts)は国政レベルで、社会民主党(SP/PS)は自治体レベルで、こうしたカテゴリーに属する人への政治的権利を求めていた。
こうした背景には、スイスの市民権獲得は同化の成功に対する報奨でなければならない、という信念が存在する。
完全な包摂があってこその自由と公正
ダイバーシティ・コンサルタントのエステファニア・クエロ氏は、インクルージョンを自由といった民主主義の基本的価値だけではなく、公正にも関連づける若い世代の研究者・活動家だ。ルツェルン大学の博士課程に在籍中の同氏は、特に移民や障がい者を研究対象としている。「特にスイスの民主主義では、社会的に不利な立場の人々が排除されている。彼らにとって、他人の特権や基準は排除を意味する」
クロエ氏は、新しいグループを受け入れるためには、特権を持つ人々が自分たちの資源を進んで共有する必要がある、と話す。
スイス人ジャーナリストで作家でもあるロジャー・ドゥ・ヴェック氏も、「個人の特権を守る自由よりも、すべての人の自由を優先していかなければならない」と、政治参加におけるインクルージョンを自由の概念と直接結びつけている。
代表が少ないというマイナス
オペレーション・リベロ共同代表のサニヤ・アメティ氏は、スイスの民主主義ではインクルージョンが限定的なものにとどまっていることの代償として、少数派の代表が少ないという点を挙げる。旧ユーゴスラビア紛争の直前、9歳で家族とともにボスニアからスイスに逃れてきた同氏は、「スイスでは、国を信頼していない人が多い。彼らの声がどこにも代表されていないからだ」と語る。
「民主主義のパラドックス」
スイスでは外国人の政治的権利が認められている地域もある。しかし、こうした地域は少なく、スイスの全26州のうち2州、全2148地方自治体のうちおよそ380の自治体にとどまる。
ベルン大学のアドリアン・ファッター政治学教授は、投票権を持つ市民の大多数が、18歳未満への投票権の拡大などに反対する傾向があり、民主主義の拡大が遅々として進んでいない現状について、「スイスの民主主義のパラドックス」だと話す。簡単に言えば、直接民主制が民主主義の足かせになっているということだ。
相反する姿を見せるアメリカ
近代において最初の民主主義のモデルとなった米国もまた、矛盾した姿を示している。米国は、自国の領土で生まれた人全員に米国籍を与えるという典型的な移民国家だ。
しかし他方で、特にドナルド・トランプ前大統領を支持する共和党の州知事らは、投票権を持つ何百万人もの米国市民に対し、法律を持ち出して合法的に選挙から締め出すという、いわゆる「有権者の抑圧」を行ったり、多数の人が参加をためらうような高いハードルを設定したりしている。
前回の2020年に行われた大統領選では、重罪の前科がある人の投票権を認めないという州法により、500万人以上が投票できないという事態が発生した。受刑者の投票権を制限している州もあり、その数は全米で210万人に上る。
有権者の抑圧には、例えば大学などで行われる投票に対して手続きのハードルを高めたことや、トランプ氏を筆頭に、不在者投票を「選挙違反の入り口」として信用を失墜させたことも含まれる。
こうした手法は、共和党内でも批判を呼んでいた。バージニア州で活動する共和党政治戦略家のデイン・ウォーターズ氏は、前回の大統領選に先立ち、swissinfo.chに「こうした法律は国民のためではなく、議会を支配する政党のために成立している」と語った。
改めて注目を集める台湾
しかし、台湾からの良いニュースもある。(政府と市民が)共同で包括的に統治を行うという考えのもと行われる「共同ガバナンス(CoGov)」。その導入における中心人物となったオードリー・タンIT担当相は、2021年末に開催されたスイスの民主主義やデジタル技術の専門家とのイベントで、「私たちは人々のために働くのではなく、人々と共に働く」と語った。
タン氏は、「私たちはパンデミックをロックダウンなしで、またインフォデミック(不確かな情報の拡散)を検閲なしで食い止めた。人々の協力がなければ成し得なかったことだ」と評価している。
Co-Govのアプローチには、10代や小学生も関わり、誰でも個人的な問題や社会的な問題を参加型プラットフォームで提起し、改善するための提案を行うことができる。このプラットフォーム上で、5千人の支持を集めると、提案者を含むすべてのステークホルダーと当局が1つのテーブルに集まり、同じ目線から解決策を検討することになる。
英誌エコノミストの民主主義指数で、パンデミック期間中の2020年と2021年に台湾は順位を23位も上げた。8位という順位はスイスをも上回っている。タン氏も賞賛する直接民主制のスイスは、昨年の12位から10位へと順位を上げた。
独語からの翻訳:平野ゆうや
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。