裁判所は民意の敵?法治国家のジレンマ
法治国家では裁判所が選挙や住民投票の結果に口を挟むことがある。米国では選挙後に、ドイツでは投票の前段階にみられるが、スイスでは(まだ)あまりない。裁判所が民意にどう関わるかは国によって異なるが、どの国でも司法が民意の「安定」に一定の役割を果たしていると言える。
ドナルド・トランプ米大統領は2020年大統領選で再選が果たせないことが分かると、弁護士団を従え、3千以上の選挙区や州の投票結果を巡り法的に争う構えをみせた。すでに選挙当日の11月4日の夜、同氏は「すべての合法的な票は数えられなければならない」と主張した。
民主的な連邦裁判官のいる米国
「(その発言は)基本的には間違っていない」と、米保守系NGO「シチズンズ・イン・チャージ外部リンク」のポール・ジェイコブ理事長は言う。同NGOも米連邦裁判所に数回出廷した経験がある。ジェイコブ氏は「米国では(選挙結果を巡る問題には)まず裁判所が関与する」と強調。また「連邦裁判官は地方裁判所よりも選挙権と投票権を擁護する傾向がある」と指摘する。同氏はその主な理由として、州裁判官には連邦裁判官とは異なり、定期的な再任選挙があることを挙げる。「そのため(州裁判官は)政局に左右されやすく、民意と司法の関係が不均衡になりやすい」
「トランプ氏はツイートでも発言したように、裁判所が今回の選挙に対処してくれると見込んでいた」と語るのは、ロサンゼルス・ロヨラロースクールのジャスティン・ルウィット教授(選挙法)だ。「だがトランプ氏は法服を着た人たちからこう言われるだろう。『申し訳ないが、我々は法律を遵守する』と」。
一方、住民投票の結果が訴訟を経て裁判所から無効判決を受けることは度々ある。米国には連邦レベルでの直接参政権はないが、州レベルでの直接参政権は大半の州にある外部リンク。「カリフォルニアでは裁判所が住民投票結果のほぼ3分の1を事後に覆している」と政治学者のアンナ・クリストマン氏は共著(注1)で述べている。同氏はこのテーマについてチューリヒ大学で博士号を取得。2017年からドイツ連邦議会の市民参加小委員会で緑の党代表委員を務める。
歴史的経験を重んじるドイツの司法
ドイツでも民意と裁判所の対立について度々議論されている。だが対立が起こる状況は米国とは全く異なる。「ここドイツでは基本的に、住民投票が行われる前から裁判所が積極的に介入する。これは特に両世界大戦間におけるドイツの歴史的経験が関係している」と、政治学が専門のテオ・シラー・独マールブルク大学元教授は言う。このテーマに関する新しい共著(注2)で興味深い考察を記した同氏は、「参政権の擁護に関して、ドイツの裁判所はちぐはぐな判決を出している」と指摘する。
基礎自治体や州レベルでの住民発議外部リンクの多くは、署名集め開始以前に裁判所から停止命令を受けている。「財政問題に関する提案や、参政権の強化案は特に許可されにくい」とシラー氏は言う。ただ、インフラや教育などに関する提案は裁判所から認められやすく、(直接)民主的な意見形成プロセスが実現される傾向にある。独NGO「もっとデモクラシーを外部リンク」の最近の研究によると、第2次世界大戦後、裁判所から許可された州レベルの直接民主的な手続きは500件近くに上る。ちなみにドイツでも米国同様、連邦レベルの直接参政権はまだ導入されていない。
シラー氏によれば、選挙や住民投票後に裁判所が介入する米国に比べ、ドイツのように裁判所が事前に住民の要求を審査することのメリットは大きい。「ドイツでは署名が集められ、投票も行われたなら、投票結果には法的拘束力が生じる。そのため事後に無効にはできない」
国民が立法者のスイス
このように民主主義における裁判所の役割はドイツと米国では大きく異なる。しかし連邦レベルの立法に市民が関われない点で両国は似ている。一方、この点に関してスイスは全く対照的だ。「スイスでは全ての憲法改正に国民と州の支持が必須だが、憲法裁判所は設置されていない」と、バーゼル大学のナジャ・ブラウン・ビンダー教授(公法学)は強調する。
実際、スイスの現代史において、ローザンヌにある連邦最高裁判所から事後に無効と判断された国民投票結果は1つしかない。それは「結婚罰(婚姻関係の有無で課税額が異なる制度)」を巡る16年の国民投票結果だ。最高裁は連邦議会と連邦政府は国民投票広報と呼ばれる有権者への冊子に誤情報を記載したとして発議委員会の異議を認め、19年春に投票結果を無効とした。
また、州レベルの住民発議や連邦レベルの国民発議が投票前に無効とされたケースもわずかしかない(州レベルでは裁判所が、連邦レベルでは連邦議会が4件の無効を決定)。
しかしスイスには民意との兼ね合いがはるかに難しい司法上の問題がある。それはスイスが批准した欧州人権条約など、国内法に優先する人権の実施だ。過去記事で報じたように、欧州人権裁判所は度々、スイスの男女平等の状況に疑問を投げかけている。
共通点は権力間の対立
米国やドイツにとって、スイスは連邦レベルでの直接参政権の導入に関して参考になる国だ。しかしスイスでも米国とドイツのように司法の影響力が強まっている。投票結果が事後に無効にされたり、欧州人権裁判所の影響力が増したりしている。
さらに国民発議の内容が国際法に適合しているかどうかを積極的に事前審査することを求めた案も出ている。「そうした事前審査はスイスの民主主義にとってメリットがあるだろう」とシラー氏は確信する。なぜなら「そうすれば実現可能な発議だけが国民投票にかけられるからだ」。
米国、ドイツ、スイスのように、裁判所がどのように民意と関わるかは国によって異なる。しかし裁判所と国民とが、自らの主張を貫こうと互いにぶつかり合っている点はどの国もよく似ている。
(注1)Anna Christmann (2012) Direct Democracy and the Rule of Law – Assessing a Tense Relationship. In Wilfried Marxer (Eds.) Direct Democracy and Minorities. Wiesbaden: Springer VS, pp.47-63.
(注2)Theo Schiller (2021) Direkte Demokratie. In Rüdiger Voigt (Hrsg.) Aufbruch zur Demokratie: Die Weimarer Reichsverfassung als Bauplan für eine demokratische Republik. Baden-Baden: Nomos, S.599-612.
(独語からの翻訳・鹿島田芙美)
JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。