UNRWA前事務局長、国連による名誉回復に希望
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の事務局長だったピエール・クレヘンビュール氏は2019年、職権乱用疑惑などで告発され、辞職した。同氏はスイス政府の立場が最近変化したことを指摘し、事件の早期解決に期待を寄せる。
2013年11月に国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の事務局長に任命されたピエール・クレヘンビュール氏は、国連機関の中で最も高い地位にいるスイス人の1人だった。また、イスラエル・パレスチナ紛争への重い政治的責任と10年来ますます混沌とする中東情勢を考えれば、最も圧力にさらされた人の1人でもある。
ドナルド・トランプ氏の米大統領就任とともに、クレヘンビュール氏のトラブルは始まった。米国が18年に資金拠出を停止し、UNRWAを事実上脱退した。しかし、クレヘンビュール氏は3億ドル(約329億円、18年当時)の資金不足を約40カ国から取り付けた追加的支援で埋め合わせることに成功した。
ところが、同氏は19年、UNRWAの職員から職権乱用、縁故主義、同僚の女性職員との「不適切な関係」、差別の疑いで告発された。フランス語圏のスイス公共放送(RTS)が昨年12月に放送し反響を呼んだルポルタージュ外部リンクによると、告発を受けて実施された国連の内部監査は同氏に対する告発を概ね退けると結論付けた。それでも、クレヘンビュール氏はほとんど支持を得られず、スイス外務省にも見放され、同年11月に辞職した。同氏にとって希望の光は、スイスのイグナツィオ・カシス外相が先月初め、フランス語圏の日刊紙ル・タンで「透明性を確保するため、スイスは国連に資料の公開を求めた」と述べたことだ。
swissinfo.ch:あなたが中傷合戦の標的にされたことと、18年に米国の拠出停止で生じた資金不足を乗り越えたことには関連があるのでは?
ピエール・クレヘンビュール:きっとそうだ。しかし、政治的・財政的攻撃とUNRWA内部の訴えに関する最初の報告書との関係を示す証拠が私には無い。しかし、報告書の内容が19年夏に新聞社にリークされると、報告書は政争の具にされた。18年の財政的攻撃から19年の政治的・個人的攻撃へと変化した。財政危機を乗り越えた私自身もUNRWAも許されなかったのだと確信している。
swissinfo.ch:カシス外相は18年にヨルダンのUNRWAの難民キャンプを訪問した時、あなたに懸念事項を伝えたか?中でも米国とイスラエルが繰り返し引き合いに出す「UNRWAが解決策ではなく問題の一部と化している」という発言はあったか?
クレヘンビュール:カシス外相がイスラエル・パレスチナ紛争について、これまでの外相とは異なる立場だと分かっていた。欧州諸国では、このような態度の変化は普通のことだ。
訪問自体はとても上手く行った。スイス代表団もUNRWAチームも良い訪問だったと感じていた。私たちの二者会談で、カシス外相は数多くの質問をし、本当に関心があることを示した。だから、帰国後に行われたインタビューでこの(UNRWAが解決策ではなく問題の一部と化している)表現を読み、非常に驚いた。会談では出なかった表現だったからだ。複数の大臣が私に話したように、スイスの方針の変化と考えられる外相の発言は、イスラエル・パレスチナ紛争に対して一貫した姿勢を取る中東も驚かせた。
しかし、カシス外相の発言を受けて連邦政府がスイスの立場を明確にしたので、スイスの中東政策外部リンクとUNRWAへの支援の継続性を強調できた。
swissinfo.ch:スイスの報道番組「タン・プレザン」が昨年12月に国連の最終報告書の内容を暴露してから、あなたが被害者となった事件に進展はあったか?
クレヘンビュール:18、19年に起きた出来事への全般的な認識が変わった。番組のおかげで、この危機的な時期やその背景、国連による調査結果がかなり明らかになった。また、メディアや市民から大きな反響があった。
さらに、連邦政府が今では、国連による事件の解明と決着を支持している。この事件の主眼はそこにある。現実的な目的に向けた連邦政府の関与を歓迎する。現実的な目的とは、私に対する複数の重大な告発について国連の調査では重要なことは何も見つからなかったという結論を含むすべての手続きに関して国連事務総長が最終書簡を出すことだ。これはスイスではなく、国連が第一にするべきことだ。
アントニオ・グテーレス国連事務総長は19年11月、汚職、不正行為、管理不行き届き、女性職員との不倫関係に関する告発はすべて退けられたと私に電話で話した。これは肝心なことだった。つまり、高い圧力の下にあり、3万人の職員を抱える組織を運営する時、間違いはつきものだということだ。
swissinfo.ch:国連事務総長がこの事件を終わらせるために、連邦政府のゴーサインは不可欠だったのか?
クレヘンビュール:国連は自らの意志で行動できた。国連によると、私が19年11月に辞職したことで手続きが中断した。調査の結論は出ていたのだから、幕引きをすることもできる。
手続きの遅れを考えなければ、米国の政権交代はこの事件を決着させるうえでより好ましい環境を作ると思う。
swissinfo.ch:米国の政権交代は中東情勢に確実に影響を及ぼす。UNRWAについても同様か?
クレヘンビュール:そう望んでいる。米国は65年間、UNRWA最大の拠出国だった。米国が長期にわたってUNRWAに関与した理由の1つは、パレスチナ難民とイスラエルの両方を支援するためだ。米国は両方に非常に寛容で、時には批判的だった。スイスには(米国のこれらの姿勢を)完全には理解できない人もいた。トランプ前政権が(イスラエルの首都と認定した)エルサレムに米国大使館を移転させたり、UNRWAへの資金拠出を停止したりして断とうとしたのは、この変遷の過程だ。UNRWAは存亡の危機に陥った。だが、私たちはこの種の強要には屈服しないと決め、40以上の国から追加資金を集めることができた。
バイデン新政権はUNRWAに復帰する意向をすでに表明している。古くからのパートナーシップが再始動することになるだろう。
swissinfo.ch:(米国出身のUNRWA副事務局長のように)あなたは外交畑ではない最初の事務局長だった。このような難しいポストにとって弱みにはならなかったのか?
クレヘンビュール:私が13年に立候補した時、スイスは「留意する」だけのはずだった。しかし、ウエリ・マウラー連邦大統領の潘基文(パン・ギムン)国連事務総長宛ての書簡で、スイスは正式に私の立候補への支持を決めた。スイス外務省は他の国々に積極的に働き掛け、私の立候補への支持を取り付けた。
こうして私は出身国の支持を得ることの意味を知ることができた。当時のサンドラ・ミッチェル副事務局長候補も同じように出身国(米国)の支持を得た。私たちは職業外交官ではなく、人道支援機関の出身だ。しかし、私たちの出身国の支援はどちらも強力だった。採用にあたって潘国連事務総長の主な懸念は、ドナー国を動員して、拠出金を増やす能力が私にあるかどうかだった。財政難はすでにUNRWAの急所であり、組織の財政的安定を確保する手段を見つけなければならなかった。
そして、エマニュエル・マクロン仏大統領が18年に私に話したように、トランプ前政権は多国間システムへの敵対的政策の一環として(UNRWAとの関係を)断絶した。
swissinfo.ch:長期的にUNRWAで最も重要なプログラムは何か?
クレヘンビュール:UNRWAの主要業務は、約140の診療所から成るネットワークを通じて、プライマリ・ヘルス・ケアを提供することだ。また、貧困ラインを下回る暮らしに陥った人々が生活し、生き残るための食料や現金を配布する。
しかし、私が一番驚いたのはUNRWAの教育分野の活動だ。赤十字国際委員会での22年にわたる業務では経験の無い分野だ。
人道支援機関は緊急支援に集中しすぎて、被災者の中期的な自立を支援していないと批判されることが多い。
UNRWAがふんだんに提供する教育と職業教育は素晴らしい活動だ。オーストラリア、スウェーデン、スイスなど私が講演しに行った場所にはいつも、UNRWAの学校で勉強し、仕事で自己実現できたことを話に来てくれる人がいた。パレスチナ人の離散によって受けた苦しみを話す人もいた。しかし、地域のパレスチナ難民は、多くのことを諦めても「教育は諦められない」と口を揃える。
戦争状態にあることも多い非常に困難な環境で必死に勉強する生徒たちの勇気に私は深く心打たれた。生徒たちの決意と自律は、私自身がスイスで学校教育を受けた時にはほとんど無縁だったものだ。
(仏語からの翻訳・江藤真理)
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