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スイス空軍のより大きな翼をかけた闘い

Reuters

スイスは現在、新しい戦闘機の購入を計画している。この計画をめぐって広がった論争は、まだ当分終わりそうにない。この国の軍隊の歴史を振り返ると、航空機購入の際には必ずと言っていいほどあつれきが生じ、激しい議論が沸騰している。

 スイス政府がまもなく発表する国防予算案には、スウェーデン製戦闘機グリペン22機の購入費31億フラン(約2600億円)も含まれている。来年、連邦議会で討議が予定されているが、連邦国防省(VBS/DDPS)はすでに激しい砲火にさらされている。

 平和団体や左翼政党がウエリ・マウラー国防相に向けて火を吹いているのは想像に難くない。しかし、彼らだけではなく、議会の専門委員会、多種のロビーグループ、空軍パイロット、一部のマスコミ、そして中道政党の党首らからも、評価方法や3機の候補の中からグリペンを選んだことに対して批判の声が上がっている。スウェーデンのサーブ(Saab)社との交渉方法や公の情報政策が疑問視されているのだ。

 グリペンをめぐり、あちこちで激論が交わされている今、忘れてはならないことがある。それは、100年からなるスイス空軍航空機購入の歴史は、最初から挫折とスキャンダルに揉まれていたということだ。

 「航空機購入をめぐる論争は、スイス特有というわけではない」と言うのは、スイスの軍用機の歴史について1冊の本を書いたローマン・シュルマンさんだ。「戦闘機の入手となると、ほぼ間違いなく劇的な展開になった。政界やマスコミ、一般市民の間で、大きな議論が巻き起こった」。こう語るシュルマンさんは、左寄りの週刊新聞「ヴォッヘンツァイトゥング(Wochenzeitung)」の記者でもある。

ビッグ・マネー

 このように大きな関心が寄せられる主な理由は、まずかかる費用が莫大なこと。そしてもう一つ、これが感情に訴えるテーマであることだ。世間は、軍用機が持つ技術的な可能性に魅了されているのだ。

 シュルマンさんはまた、経済的要素や財政的要素、そして購入計画における政治的な前後関係も大切な要因となってきたと言う。

 本の執筆や調査を進めるにしたがって、シュルマンさんは政治家が意思決定をするとき、お金がどれほど大きな位置を占めてきたかを知り、驚いた。それも、左寄りの政党に限られるわけではなかった。「金銭面が常に最優先されてきた。現在計画中のグリペン購入も例外ではない」とシュルマンさん。

 ローザンヌ大学で歴史を教えていたハンス・ウルリヒ・ヨースト元教授は、航空機購入の歴史を「しばらくの間、世間に息つく暇を与えない人気の高い学術サスペンス」とまとめる。元空軍パイロットでもあるヨーストさんは、政治指導部と軍指導部の間に見られた混乱について指摘する。特に目立ったのは1960年代だ。「表舞台に出てきたトップ関係者の世間知らずな甘い考え、専門知識の欠如、混乱した考え方には特に驚かされる」

 70年代には、このような意見の相違が、アメリカ製コルセア戦闘機購入のキャンセルを招いた。

困難なスタート

 スイスが航空機購入を初めて計画したのは1913年。しかし、始まりからすでにつまずいた。公のキャンペーンが奏功し、第1次世界大戦が始まる前夜に10機の航空機を購入するだけの資金を集めることができたのに、旅費とテストフライトだけで計画が霧散してしまったのだ。

 スイスが初めて航空機を購入したのは1929年だった。このとき、国民の感情はさまざまに揺れた。費用面で懸念はあったが、労働組合は、ライセンスを得ればフランスの航空機をスイスで組み立てられ、雇用が増えると算段した。

 その後の第2次世界大戦中、ドイツのナチスからメッサーシュミット戦闘機を購入したことも論争の的となった。

 さらに自国で戦闘機を製造するという試みも生まれたが、この計画は1950年代にあっさりと打ち切られた。それは、同じ中立国であるスウェーデンのように独自の軍用航空機産業を構築するという夢の終わりでもあった。

 当時スイス政府は、スイス東部の町アルテンライン(Altenrhein)の民間企業に出した「P-16」戦闘機約100機の注文を撤回した。多くの軍用機ファンをがっかりさせたこの決定の誘因となったのは、ボーデン湖に試験機2機が墜落するという事故だった。

 「これにより、軍用機の製造は小国スイスにとって高くつき過ぎることが明白になった」とシュルマンさんは言う。

危機

 しかし、これまでの最も大きな打撃は、何と言っても1960年代初めにあったフランスのミラージュ戦闘機購入をめぐる争いだ。予算を大幅に超過したため、注文の機数をかなり減らすことになり、最終的には国防相が引責辞任に追い込まれた。

 「ミラージュ・スキャンダルは軍史を超えた出来事だ。攻撃可能な軍というコンセプトが、現実的な判断に屈することになった」とシュルマンさんは分析する。

 このスキャンダルはまた、調達方法を改善するきっかけにもなった。シュルマンさんは、評価のプロセスがよりプロフェッショナルに、またより透明になったと言う。

 ヨーストさんも評価方法に関しては同じ意見だが、政治や経済の干渉、特に国営軍事産業の役割にも言及する。

 スイス軍用機の歴史の中にも例外はある。その一つは、イギリス製ホーカーハンター戦闘機160機の購入だ。評価中に特に騒がれたこともなく、比較的安価で購入することができた。

 「頑丈な航空機で、スイスの条件下でかなりよく実力を発揮した」とヨーストさんは言う。

平然と

 現在の論争の中で、マウラー国防相はグリペンを選択したことにより批判を浴びているが、動じる様子は全く見せていない。8月、ベルン州トゥーン(Thun)の戦車師団を視察した際の記者会見では、グリペンは軍の要求をすべて満たす戦闘機だと述べ、我慢強くこの購入を援護し続けている。

 「実用的なスイスらしい結論だ。納税者のお金を効果的に投入できる」と言うマウラー国防相。スイスの航空史を振り返り、評価の際には常にそれなりの時間がかかっているという事実を元に、自らを慰めているかのようだ。

 シュルマンさんの目には、これまでの18カ月間の論争は今後の展開の予兆として映っている。

 「このテーマが新聞の大見出しを飾るたびに議論が沸騰し、大げさな報道は最終的に国民投票が行われるまでずっと続くだろう。しかし、ミラージュ・スキャンダルや1990年代の『F/A 18』購入、あるいは『P16』のときほど騒がれることはなさそうだ」

設立は1914年。数人のパイロットが主に民間機で飛行。

独立した軍事部隊になったのは1936年。

当初、第1次世界大戦前や大戦中は、隣国のフランスやドイツから航空機を購入。

最初の戦闘機はヴェノムとヴァンパイアで、戦後イギリスから購入。1960年代にはホーカーハンターで飛行。

冷戦時代の真っただ中に独自の戦闘機「P-16」の製造を試みたが、実現には至らなかった。

F-5タイガーと「F/A-18ホーネット」からなる現在の飛行機隊は、アメリカのライセンスを得てスイスで組み立てられた。

スイス空軍は現在「F/A 18ホーネット」33機と「F-5タイガー」54機を所有。

F-5タイガーに代わって、「JAS39グリペン」22機を投入予定。

空軍はまた、ピラトゥス社の訓練機の他、ユーロコプター社のヘリコプター、無人偵察機、特別輸送機なども40機以上を所有。

購入機として、スウェーデンのグリペンの他、フランスのダッソー(Dassault)社のラファール機、欧州の航空防衛大手、欧州航空宇宙防衛会社(EADS)のユーロファイターも候補に挙がっていた。

反戦主義団体「軍隊なきスイスのためのグループ(GSoA/GSsA)」は戦闘機購入に対しモラトリアム(一時停止)を求めたが、国民投票で否決された。

中道左派の各政党は、戦闘機購入に必要な31億フラン(約2600億円)が議会で承認された場合、これを国民投票にかけて阻止する意向を発表した。

(英語からの翻訳 小山千早)

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