「スイスでは、指揮を執るのではなく調整を図る」
スイスの連邦官房長官を務めるヴァルター・トゥルンヘア氏が、対欧州政策における連邦内閣の戦略的展望とリーダーシップについて語る。国家政策では、難題であるデジタル化を取り上げた。
NZZ: 連邦官房長官は内閣の仕事を特別な角度から洞察できる立場にいます。外から見ていると、各大臣はそれぞれ、主に担当省の仕事をこなしているだけで、戦略的な問題をほとんど扱っていないような印象を受けるのですが、それは思い違いでしょうか。
ヴァルター・トゥルンヘア: 連邦内閣は、年間およそ40を数える会議で約2600の案件を処理している。一つの案件にかけられる平均時間がどのくらいになるかは、少し計算してもらえばわかるだろう。これは事前に行政や各省の幹部がしっかりと準備をし、予備討議をし、場合によっては予備交渉まで行っているおかげだ。これらの案件の中には、連邦内閣がもっと突っ込んで議論しなければならない、戦略的に重要な問題ももちろんある。今年、非公開会議が数多く行われているのはそのためだ。そこでは、農業、医療、欧州などに関する案件が扱われている。多くのテーマがより複雑に、より国際的になり、またほかとの結びつきも増えているため、このような時間を取ることは重要だ。
NZZ: 時間の投資もそうですが、閣僚が一体となって取り組もうとする意志も必要でしょう。欧州政策に関しては、そのような意志はあまり感じられませんが。
トゥルンヘア: 欧州連合(EU)とは現在、交渉の真っ最中だ。そういう意味では、欧州政策は特別と言える。ここでは連邦内閣に交渉戦略が必要となるからだ。しかし、それは万人が見ている中で案出するようなものではないし、マスコミに売るべきものでもない。
NZZ: 内政も忘れてはなりません。こちらではリーダーシップがあまり感じられませんね。
トゥルンヘア: 「リーダーシップ」という概念は、スイスの政治では矛盾した使われ方をしている。リーダーシップの欠如に関してよく言われる批判があるが、そこに一つ共通して見られるのが、「誰かが実際にリーダーシップを取ることは何としてでも防がねばならない」という見方だ。スイスでは、「指揮する」のではなく調整する。指揮が認められているのは、せいぜい「指揮監督」と呼ばれる行為においてだが、これについてはよくやっていると思う。
NZZ: しかし、二国間路線の発展という点では、連邦内閣の中ですら意見が一致していません。これでどうやって国会や一般市民の間で地歩を固められるのでしょうか。
トゥルンヘア: EUとの二国間関係を維持し、法的整備も図るという目標に関しては、大勢が妥協をしている。連邦内閣もまたしかり。問題はそこにどうやって進むか、そしてそのためにいかなる犠牲を払えるかだ。それをたった一つの戦略的構図で解決するというのは、直接民主制ではなかなか簡単にはできない。平均的な戦略よりもう少し巧妙な戦略を練れば、それだけの結果が出る。だが、自分はこと政治に関して人一倍賢いと思っている人間は、この国ではのうのうと過ごしていくことはできない。なぜなら3カ月ごとに国民投票があり、その人も平均的なレベルに均されてしまうからだ。それを批判する人もいるかもしれないが、私個人としては、スイスのシステムはこの方法で驚くほど多くの集団的知性を生み出していると思っている。
NZZ: 犠牲を払うということでは、政府には強い姿勢が求められますね。
トゥルンヘア: 制度的な問題に関する交渉はまだ続いている。それに、先ほども言ったように、これまでの経験からすると、交渉が続いている間は口を閉じていた方が賢明だ。もちろん居心地は悪いが、それは欧州政策に限ったことではない。内政と外政が深く絡み合っていること、またそれが交渉の余地を大きく狭めていることは、議会も市民もこれまで以上に強く感じ取っている。例えば、銀行守秘義務や自動的情報交換などは、立法機関にとってはときに不満のつのる、やっかいな案件だ。
NZZ: 国際的な絡み合いが深まるほか、技術も猛スピードで発展し、政治にかかる圧力は大きくなるばかりです。スイスの政治制度はそろそろ限界でしょうか。
トゥルンヘア: あつれきが増すのは必須だろう。スイスの政治プロセスには協議や諮問がつきものなので、時間がかかる。一方で、技術の発展はスピードアップするばかりで、かつ有無を言わせない。だから、圧力も増す。
NZZ: では、それに対して何をすべきですか?参加の権利を制限すべきですか?
トゥルンヘア: いや、それはすべきではない。熟考に必要な時間は今後も確保すべきだ。普通、そうすることで法律が良くなっても悪くなることはない。それより問題なのは、ほかのやり方で規制できるかどうかだ。新しい法律が必ずいるのか、それとも政令で事足りるのか。技術はさておき、目的にもっと標準を合わせ、目的達成のための具体的な規制方法を決めないでおくべきなのか。これにはもちろん、行政や内閣に対するある程度の信頼が前提となる。さらにこれとは別に、そもそも規制が必要なのかということについて、時間的に十分な余裕をもって認識し、決定することも大切だ。それには、政治・行政と学術・経済界との協力が必須だ。
NZZ: 規制の必要性を早期に認識する一種のシンクタンクですか?
トゥルンヘア: 以前は連邦工科大学が国のコンピテンス・センターの役目を果たしていた。今日ではすべてきれいに分割され、外注もされている。今後は、独立性を揺さぶるまでには至らないにしろ、協力体制は再び強化されるだろう。大学や専門大学なども含めたスイスの研究施設は、ある種の発展に行政よりもずっと早く気がつくはずだ。経済界もそうだ。以前はミリッツシステム(編集部注:別の職業を持ちながら政治家として活動するシステム)によって必要な情報を交換することが可能だと考えられていたが、今日では必ずしもそうとは言えない。新しい器がそろそろ必要なのかもしれない。
NZZ: 根本的に、スイスはデジタル化を逸してしまったのでしょうか。
トゥルンヘア: デジタル化はどの国家にとっても大きな難題だ。まず必要なインフラがなければならないし、そこに新しいビジネスモデルがいくつも浮上してくるので競争になる。大きな課題はセキュリティだが、これは国家に非常に根本的な要求を突きつけるものだ。
NZZ: 具体的に説明してください。
トゥルンヘア: 5月12日の世界的なランサムウェア攻撃を例に取ろう。あのようなサイバー攻撃があったとき、自国の所有物を守り、国民に被害を与えないことを国家はどうやって保証するのか。あるいは「モノのインターネット」。多くの人が取り上げているのは情報の保護についてだが、私はまったく別の難題が待ち構えていると思っている。
NZZ: どんな難題ですか?
トゥルンヘア: 一つ例を挙げてみよう。ある車両の導入を認可してもらいたとき、現在は導入前に一度だけ複数の試験を受ければそれで済む。例えば、安全要求事項を満たしているかどうかなどの試験だ。だが今日、そして何より今後、車両のソフトウェアはインターネットを通じて絶えず更新されていく。そうなると、それによって車を根本的に変えてしまうこともありうる。こうした場合に、国家は安全性や他の規定の検査をどのように行うのか。認可するにあたって一度しか行っていなかった規制から継続的なプロセスへとどのように変えていくのか。これは車に限ったことではなく、インターネットに接続されているすべてのものに当てはまる。
NZZ: 政治は明らかに、アナログだった規制を新しいデジタルの世界に移し替えようとしていますが、そうでなく、単に規制を少なくすればいいのでは?
トゥルンヘア: 規制という点では、政治の世界には偽善が散見される。連邦議会には毎年、1500の動議や質問が議員から提出されているが、そのうち連邦内閣への賛辞はごくわずかで、ほとんどは何かしらの規制を求めるものだ。だが、デジタル化の大きな問題は多くの場合、国家単位の規制がまったくできないことにある。ネットワーク中立性やデータ保護、あるいはサイバー犯罪撲滅などに対しては、国家レベルで決めごとを作っても意味がない。そういう意味で、国際的な規制を求める声が高まっている。
NZZ: 先日、下院が規制の歯止めを可決しました。新しい法律が一つ可決されるごとに、等価値の法律を一つ廃止するということですが、これは可能なのでしょうか。
トゥルンヘア: 何ごとも可能だ。ただし懸念もある。議会は行政の職務チェックを定期的に内閣に頼むが、内閣が一つ職務の廃止を提案するたびに、議会はそれに抵抗する。今後、内閣がこれこれの法律を廃止するという具体的な提案をしたときにどんな議論が起こるのか、興味津々といったところだ。
NZZ: 先ほど集団的知性の価値について触れましたが、この点でのスイス政府に対する評価は?
トゥルンヘア: 私は7人の閣僚がいるこのシステムのファンだ。一つの問題を七つの異なった角度から見ることには付加価値がある。他の国々ではよく、もっと早く決定が下されるが、失敗も多い。
NZZ: 今日の内閣でも、集団的知性は効果を発揮しているのでしょうか。
トゥルンヘア: これはまた意地の悪い質問だ。発揮しているだろう。それに、すでにさまざまな研究でもわかっていることだが、男女の数が相応であれば効果はさらに高まる。
NZZ: 兵器製造会社ルアクがサイバー攻撃を受けましたが、その後、国は適切な処置を取ったのでしょうか。
トゥルンヘア: 今はまだ、この事件を根本から洗い直しているところだ。適切な処置を取れるよう願ってはいるが、自国のインフラをサイバー攻撃から完全に守ると約束することはできない。
NZZ: 連邦行政の情報科学能力でそのような危険に十分立ち向かえますか?
トゥルンヘア: それは答えにくい。どの企業もそうであるように、能力はいくらあっても害になることはない。だが、この分野は人員を何人か追加したから大丈夫というものでもない。国も何か手を打たなければならないことには気がついているはずだが。
NZZ: ITインフラ確保に関して、国と連邦工科大学など他の施設との協力体制はあるのですか?協力関係があれば、いざというとき外部のスキルに頼れます。
トゥルンヘア: ある。連邦情報科学局と連邦工科大学は、安全なインターネット接続に関して協力するなど、いくつかの共同プロジェクトを行っている。しかし、情報科学の安全においては仕事に終わりはない。
NZZ: 国の大規模な情報科学プロジェクトでは、世間を騒がす事件も定期的に起こりますね。
トゥルンヘア: 大企業と比較してみても、国の情報科学は言われているほど悪くない。しかし、国の情報科学プロジェクトには負の特異性が二つある。一つは不均質性が巨大なことだ。つまり、農家への直接支払いから兵役代替社会奉仕勤務、果ては関税まで、3千近い専門領域をカバーしなくてはならない。これらのシステムはそれぞれ分散されたまま発達し、かつ多種多様にリンクしている。また定期的なアップデートも必要だ。もう一つの要素は公共調達だ。
NZZ: 公共調達が障害になっているのですか?
トゥルンヘア: 公共調達の目的は、競争の促進、透明性、公正な委託プロセスなど、非常に優れたものだ。国は何と言っても、年間約56億フラン(約6400億円)に達する物資やサービスを調達しているのだから、これも重要なことに変わりはない。しかし、このシステムは細分化され過ぎている上、スイスにありがちな完璧主義にのっとっているため、これを実行すべき立場にある人はもうほとんど疲労困憊状態だ。本来、中核の仕事に取り組むべき局長らは、半情報科学者・半調達専門家と化している。また今日では、過去の経験上、不信と思われる価格で入札する業者がいても、最低額が提示されていれば、それも考慮しなくてはならない。ただし、これは今計画中の改正で対処することになっている。
NZZ: 問題はIT調達の一本化が進んでいないことではないのですか?
トゥルンヘア: 今のシステムでは、ITプロジェクトやITプログラムをスタートする人が常に委託者になる。これを変えることは十分可能だ。そうすれば発注者側の負担が減り、調達責任を一本化できる。現在それを検討しているところだ。
(独語からの翻訳・小山千早)
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