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人権分野では未熟なスイスの「欧州化」 

欧州人権裁判所の法廷に立つ女性
スイス国立博物館ブログ執筆陣の1人、ヘレン・ケラー氏は2011~2020年に欧州人権裁判所(ECHR)の裁判官を務めた。2018年11月撮影 (c) Keystone / Sarah Ennemoser

欧州評議会への加盟と欧州人権条約への批准は、スイス連邦憲法に大きな影響を与えた。だが欧州の人権スタンダードがスイスに全て取り込まれているわけではない。

この記事はスイス国立博物館のブログからの転載です。2023年6月8日に公開されたオリジナル記事はこちら外部リンクでご覧いただけます。

「欧州化」という言葉を聞いて人々がまず思い浮かべるのは欧州連合(EU)だ。だが欧州はEUの枠を超えてさまざまな国際機関を構成している。例えば欧州評議会には46カ国が加盟し、非EU加盟国のスイスも名を連ねる。この事実は過去60年、とりわけ連邦憲法の歩んだ道のりに深く刻まれている。

憲法と国際法の矛盾

国際的にネットワーク化されたこの世界で、スイスは責任あるパートナー国家だと自認していることは、現行憲法の前文で表明されている。連邦政府は「世界に連帯・開放しながら自由と民主主義、独立と平和を強化するために」常に自己刷新を続ける責務がある。だがスイスによるこの連帯宣言は、連邦憲法が国際法に優先すると明確に定めるには至っていない。連邦憲法第5条は、連邦と州に国際法の順守を義務付けるに過ぎない。大原則として、国際法はイニシアチブ(国民発議)権を制限しない。連邦議会がイニシアチブの無効を宣言しなければならないのは、そのイニシアチブが国際法の強制規定に違反する場合だけだ。

大抵の場合、欧州人権条約に矛盾しているという理由だけでイニシアチブは却下されない。このため凶悪犯罪者の無期限収監を認める2004年の「終身収監イニシアチブ」、2009年の「ミナレット(イスラム教の尖塔)新設禁止イニシアチブ」、2010年の「外国人犯罪者の国外追放イニシアチブ」など、欧州人権条約の観点からは問題のある発議が、国民投票を経て連邦憲法に取り込まれている。

直接民主制における権利と、欧州・国際的な基本原則との衝突は、1999年の連邦憲法の大改正でも解消されなかった。今もなお、スイスの重大な憲法問題の1つだ。

欧州の基本的人権

スイスは1963年、西欧諸国の中で最後に欧州評議会に加盟し、1974年に欧州人権条約を批准した。それはスイスの基本的人権が欧州化していく最初の一歩だった。スイスは批准の前段階で女性参政権を導入しなければならなかったほか、欧州人権条約を承認したことで欧州人権裁判所(ECHR)の管轄下に置かれることになった。

欧州人権裁判所
仏ストラスブールにある欧州人権裁判所の大法廷(右)と小法廷(左) © Keystone / Christian Beutler

1960年代の終わりにはスイスの基本的人権は条約上の最低要件を満たしており、スイスに条約違反との判決が下されることはないという確信があった。だがそれは誤認だった。その後数年間、ECHRは度々スイスを非難する判決を出した。

多くは手続き上の権利に関する判決だった。当時、スイスの手続法はつぎはぎ状態だったからだ。各州に独自の民事・刑事訴訟法があり、一貫して欧州水準を守っているわけではなかった。例えば刑事訴訟において、検察と裁判所の権限が明確に線引きされておらず、検察官が自ら判決を下すことも多かった。

無罪判決を受けた被告にも訴訟費用を請求するスイスのルールに対しては、ECHRが介入した。背後にある「有罪判決を下すほどではないが、少しは懲罰を受けるべき」という考え方は、推定無罪の原則とは相入れなかった。

また当時、重要性の低い諸々の手続きに関する人権保護は限定的だった。一定の罰金刑に関しては裁判所に異議を申し立てることができず、それは欧州人権条約に違反していた。

ECHRが1980年代から1990年代に出したさまざまな判決によって、スイスの基本的人権はさらに発展・洗練されていった。1848年の元祖連邦憲法、1874年改正憲法は、ECHRの求めを全く満たしていなかった。1999年改正憲法で基本的人権の項目が大幅に拡充され、欧州人権条約の本文とECHRの判例を汲んだ内容になったのは当然の流れと言える。

人権保護は大幅に改善された。手続き上の人権には、一般的な手続き上の保障(第29条)、裁判手続き特有の保障(第30条)、自由が剥奪された場合の保障に関する規定(第31条)という3つの新しい規定が加わった。

第31条は特に重要で、ECHRの判例に対応した。例えば、どのような場合に公判前勾留が命じられるか?それはどのくらいの期間可能なのか?嫌疑がかけられた犯罪について、いつどのような形で知らされるのか?いつ弁護人に通知できるか?といったことを規定している。

だが2000年の司法改革により、権利行使がさらに難しくなったことが明らかになった。26州の刑事・民事訴訟法の細分化が進み、裁判手続きを求める市民は多大な時間と費用を投じなければならなくなった。

このためECHRの判例を根拠に、連邦政府に手続き法を統一する権限が与えられた。現在のスイスには民事・刑事訴訟に関する連邦法があり、違法に入手した証拠の使用禁止や、公的弁護を受ける権利などの基本的人権を定めている。

「連邦と州は国際法を尊重する」

1999 年連邦憲法第5条第4項

EUを黙殺

1992年に欧州経済領域(EEA)への加盟を国民投票で否決したスイスは、欧州政策を立て直す必要に迫られた。それなのに1999年改正憲法にEUに関する条項が加わらなかったのは驚くべきことだ。

だがそれは意図的な黙殺だった。スイス・EU関係を憲法条項としてどう盛り込むのかについて、政治的な合意に達しなかったからだ。こうして運命を左右する疑問に答えは出ず、今日まで空白は残り続けている。スイス・EU間の枠組み条約交渉が挫折し、スイスとEUの関係は今も強固な基盤を失ったままだ。

swissinfo.chでは、 スイス国立博物館の歴史的な話題に関するブログ記事外部リンクを定期的に転載しています。ブログはドイツ語で執筆され、多くはフランス語・英語にも翻訳されています。

独語からの翻訳:ムートゥ朋子

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