玄関先にまで監視の目が?保険金不正受給対策として行き過ぎか
スイス連邦政府は、社会保険制度の悪用に対処するため、保険会社の委託を受けた調査員が保険金不正受給の疑いがある人を監視できるようにする改正法案を連邦議会に提出。3月、連邦議会は法案を承認した。今月25日、改正法の是非が有権者の最終判断に委ねられる。
連邦議会と連邦政府は、不正行為を防止するために必要だとして社会保険法の総則に関する連邦法(ATSG/LPGA)の改正外部リンクを決めた。しかし、反対派は法規範を脅かすとして、法改正に異議を唱え、全国レベルの国民投票(レファレンダム)に持ち込んだ。
A氏は仕事中に事故に遭った。A氏は事故による背中の痛みを訴え、スイス傷害保険公社(SUVA)の障害者保険金の受給資格を認定された。しかし、SUVAは、A氏は実際よりも障害の程度を大きく見せ掛けているのではないかと疑っている。A氏の症状は必ずしも明らかではなく、職員との面談でもA氏の回答は曖昧だった。そこで、SUVAは外部の調査員B氏に、A氏を監視し、A氏の健康状態が本人の申請どおりであるか確認するよう依頼した。[i]
データで見る保険金の不正受給
2009年から16年までの間に、スイス障害者年金基金(IV/AI)外部リンクは、不正受給の疑いについて1万6千件の調査を実施した。
うち1700件は密かに監視する実態調査であり、800件の疑わしいケースで不正が立証された。同時期に、SUVAは3300件の疑いについて調査を実施し、11人の実態調査を行った。
17年、障害者年金基金は保険金受給者21万7千人に対して2130件の調査を実施した。うち210件では実態調査が行われ、170件の不正が立証された。
SUVAによると、障害者保険金の不正受給総額は約1億7800万フラン(約199億3600万円)に上り、そのうち6千万フランは実態調査の成果だと推定される。
出典: 連邦内務省社会保険局
25日の国民投票に掛けられる改正法によれば、A氏が通りやバー、公園などの一般の人が利用できる場所にいる場合は、調査員のB氏はA氏を監視することができる。
また、A氏が公共の場から自由に見ることのできる場所、例えば塀などで隠れていないバルコニーや庭、にいる場合も、B氏はA氏を監視することができる。
望遠レンズ、暗視装置、指向性マイクといった人間の視覚や聴覚を人工的に増強させる装置を使わない限り、調査員は写真撮影や録音をすることもできる。
調査員が不正の疑いがある人の位置を追跡するために、GPS(衛星測位システム)などの機器を使用する場合には裁判所の許可が必要だ。
近年、SUVAや障害者年金基金は不正受給に対抗するため、組織的に監視・調査を行ってきた。
欧州人権裁判所の判決
ところが、16年10月、欧州人権裁判所外部リンクは、SUVAは被保険者を密かに調査するための十分な法的根拠を持たないと判断した。
それを受けて、SUVAはすべての実態調査を直ちに打ち切った。17年7月に連邦最高裁判所から障害者年金基金について同様の意見が出されると、障害者年金基金もすべての実態調査を中止した。
実態調査という選択肢の凍結に対して連邦政府と連邦議会は国内法の整備に乗り出した。
連邦政府による社会保険法改正案はすでに連邦議会に提出された。実態調査に法的根拠を与えることは急務であるとして、監視に関する規定を優先的に扱うことを議会の過半数で決定した。
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18年3月、連邦議会両院は安定多数で改正法案を承認した。
改正法が認める密かな監視とは
改正法外部リンクは、実態調査を実施できる方法や状況を規定する。さらに、不正が行われているかもしれないと具体的に示すものがあり、かつ、他の調査方法では不十分である場合に、保険会社の当該部門の管理職が許可できると定める。
実態調査は6カ月間で30日を超えてはならない。また、調査期間は最大6カ月延長することができる。
調査終了時には、保険会社は監視対象者に調査した理由とその期間を伝えなくてはならない。実態調査によって不正の疑いを明らかにできなかった場合は、被保険者が保存を申請しない限り、保険会社は収集したすべての資料を破棄しなければならない。
これら新ルールは傷害保険や障害者年金だけではなく、老齢年金、失業保険、強制医療保険を含むすべての社会保険制度に適用される。
つまり、潜在的には、スイスに住むすべての人に影響する。ただし、州や基礎自治体(市町村)の管轄下にある社会福祉給付金と企業年金基金は除外される。
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議会での改正法案を巡る議論
社会保険制度の悪用を防止する必要性があることについて異論はない。他方、左派の政治家は、改正法案は釣り合いが取れておらず、被保険者の基本的権利やプライバシーを脅かすとして、議会の場で厳しく批判した。
左派によれば、あまりに性急に採択された改正法案は、社会保険会社の利益だけが考慮され、すべての受給者を疑うことになりかねない。
反対派は特に、裁判所の許可なく保険会社が実態調査を実施することを認める改正法案の条項に反対する。
また、法案は警察でさえ持たない権力を保険会社に与えることになると反対派は危惧する。
スイスの刑事訴訟法は、裁判所の許可なしに警察が公共の場所で監視することを認めているが、改正法案とは異なり、公共の場所から見える場所にいる人を監視することは認めていない。
プライバシー
だが、連邦内務省社会保険局外部リンクによれば、刑事訴訟法には定められていないにもかかわらず、連邦最高裁判所の判決は事実上、公共の場所から見える場所にいる人を監視することを警察に許可しているという。いずれにしても、改正法案が調査員に警察が使うのに近い手段を行使する権利を与えるという事実に変わりはない。
法案の「自由に見ることができる場所」という文言について、反対派は住居の内部も含まれてしまうと主張したが、社会保険局は再び判例に言及し、住居の内部は含まれないとする。
居間、寝室、階段はプライバシーの保護が適用され、保険会社の委託を受けた調査員が実態調査の対象とすることはできない。
また、改正法案によって、写真撮影、録音、録画のために、通常の人間の視力や聴力を増強する機器を調査員が使うことは許されないと社会保険局は強調する。
したがって、ドローンや暗視ゴーグル、赤外線カメラ、望遠鏡、盗聴器を使うことはできない。
たとえ、これらの機器が明文で法案から除外されていないとしても、刑事訴訟法と類似する法制度や議会での連邦政府の答弁から、これらの制限は一般に推測される。
レファレンダムの支持者の中でも特にリベラルな見解を持つ人々には、改正法の文言は不十分であると批判し、この問題に関する議論は法廷に持ち込まれるだろうと考える人もいる。
[i] このシナリオは架空のものです。
作家のシビル・ベルクさん、デジタル政治活動家のディミトリ・ロージさん、インターネット・セキュリティの専門家エルナニ・マルケスさんらの市民団体外部リンクは、改正法を全国レベルのレファレンダムに持ち込んだ。
レファレンダムの発起人らは、法律の公布後100日以内に集めることが必要な5万人分の署名を、もっぱらソーシャルメディアを使って集めた。スイス直接民主制の歴史で初めてのことだ。
当初から左派政党は議会で法改正に反対していたが、レファレンダムの発起人らを支援することは得策ではないとして拒否した。しかし、その後、左派政党は方針を転換し、レファレンダムを支持する。
また、中道・中道右派政党の青年部も、急いで作成された改正法には解釈の余地が多過ぎるとして反対する。
(仏語からの翻訳・江藤真理)
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