駆除か共存か 美しき侵略者「ティチーノ・ヤシ」
ティチーノ・ヤシ(シュロ)は市民や観光客に親しまれる南スイスのシンボルだが、生態系や環境への悪影響が懸念される侵略的外来種でもある。最近、気候変動がシュロや森林に及ぼす影響についての大規模な調査が行われた。
私たちは、1カ月半ほど前に火事が起きたスイス南部ティチーノ州ロカルノ近郊の現場にやってきた。案内してくれたのは、スイス連邦森林・雪氷・景観研究所(WSL)・カデナッツォ研究所のヴィンセント・フェール研究員。「ティチーノ・ヤシ」の愛称で親しまれるシュロ(Trachycarpus fortunei)の密集地の約半分が火事の被害を受けたと話す同氏の表情は、どこか満足げだ。火事は不幸な出来事だが、今回は少し事情が違うようだ。
火事は森と住宅地の間のサッカー場ほどの広さの場所で発生した。フェール氏は、シュロの木が定着しているこの森の一角で、黒く燃え落ちた枝の様子を写真に収めた。シュロは同地域に広く生息する。シュロの原産地(訳注:中国、日本の九州南部)ですら、ここまで独占的に密集している所はない。シュロの葉の下を進みながら、そう説明する。
この火事はWSLにとって研究の好機になったと言う。シュロ密集地の火事が周りに及ぼす影響を実際に調査する機会が与えられたからだ。つまりシュロが集まる場所を炎がどのように広がり、火事の後に何が起こるかについて、具体的な情報が得られる。これらは消防や森林の管理当局にとっても貴重な情報となる。
地滑りや落石からの保護、生物多様性、火に対する強靭性・回復力など、森林の生態系の機能の保護対策の研究は、WSLの主要業務の1つだ。
WSLは3月、ティチーノ地方のシュロの生息状況について大規模調査を行い、結果を公開した外部リンク。今回の森林火事を通じた研究結果もまもなく追加される予定だ。
地域の自然環境や生態系を脅かす恐れのある「侵略的外来種」の植物の研究は、まさにWSLが取り組む最重要項目の1つだ。WSLカデナッツォ研究所のマルコ・コネデラ所長は「こうした外来種が生態系の機能に及ぼす負の影響を調べながら、同時に良い面についても評価するのが正しい進め方」であり、「先験的に『害虫』などと決めつけたりせず、冷静な目で判断することが必要だ」と話す。
密集しやすいのは都市周辺部
シュロはヤシ科植物の中でも耐寒性が高く、ティチーノ州や隣接するイタリアの湖畔から標高900メートル以下の低地に広く分布している。地球温暖化で気温が上昇すると、更に標高の高い地域にも広がると予想される。住宅地のシュロが果実をつけると、鳥がそれを近くの森へ運び、種子を落とす。これがシュロの生息域の拡大に一役買っているとみられる。
2014年以来、シュロはスイス南部の侵略的な外来種とされている。落葉樹林の日陰の湿った場所でも、背の高い落葉樹の葉がなくなる冬の時期に、穏やかな気温の下で旺盛に育つ。シュロが最も繁殖しやすいのは都市周辺部であり、特に森林脇の放置された農地や森林地帯に広がりやすい。都市部では鳥が庭先のシュロから種子を運び込むことが多いためだ。
だがWSLの研究によれば、日の当たらない森林内では種子を出す大きさにまで成長するには何年もかかる上、わずかな種子しか付けない。「要するに、今後数十年間のシュロの繁殖状況については、住宅地から離れるほど遅く広がり、広がり方は不規則となり、シュロ密集地を作る可能性も低くなると予想される」という。
一方で、森林地域でもシュロがある程度広がる可能性は否定できない。特に栗林のように既に別の問題を抱えている森林に、シュロが入り込む可能性はある。栗の木はローマ時代から同地域に定着し、土壌に根を張るのと同じく、文化にも深く根を下ろしている。だが現在は、クリ胴枯病、タマバチ、インキ病、干ばつに加え、メンテナンス不足や森にすむハンター(インフォボックス参照)などの様々な要因が重なり、弱体化が進んでいる。
侵略的だが好感度大
今やシュロは栗の木と並びティチーノを象徴する樹木だが、その繁殖が環境に馴染まず悪影響を及ぼす可能性が懸念されている。例えば、生物多様性を育む氾濫原(はんらんげん)に侵食し多様性を脅かす可能性がある。また斜面に繁殖しても、シュロの根は細くて比較的まばらにしか張らないため、地滑りを防ぐ役目をほとんど果たせない。
このため氾濫原などの生態学的に価値のある場所からはシュロを駆逐し、地滑りを防ぐ保護林ではシュロの個体数を減らすべきだと研究者らは提言する。
そこでWSLは短時間・低コストの駆除方法を開発した。既に成長した背の高いものは、地面ぎりぎりのところでチェーンソーで伐採すればよい。若いシュロは地面から生えている芽を刈り取った後、更にドリルで根元から粉砕する必要がある。この方法は実際に導入され、ティチーノ州も推奨する。
一方、シュロの負の影響を減らすだけでなく、ティチーノ・ヤシとしての社会文化的な側面とも向き合う必要がある。
侵略的外来種の駆除などの対策は、市民にいつもすんなりと受け入れられるわけではない。特にティチーノ州を象徴する「カリスマ的な」存在のシュロのようなケースでは、社会的な側面へのより慎重な配慮が必要だ。同州の観光業者は何十年もの間、シュロの持つエキゾチックな雰囲気を、特に北部からの観光客の誘引に利用してきた。シュロの絵やデザインは、売店に並ぶ絵葉書、キャンプ場、ホテルなど、ティチーノ州の至る場所に描かれている。
研究の一環で行った、スイス全国を対象にしたアンケートでは、ほとんどの参加者がシュロを「休暇」、「暖かい」、「エキゾチック」、「美しい」などの好意的な言葉で表現した。一方、「侵略的」というネガティブな表現はイタリア語圏のみに見られた。
次にシュロが自然環境に及ぼす悪影響について説明したところ、好印象を持つ人の割合は全ての言語圏で減少した。だが庭にシュロの木を植えている人に限っては、悪影響を知っても好意的に捉える人の方がわずかに優勢だった。
取るべき対策については、広報キャンペーン、モニタリング、野生区域での駆除など、緩やかな介入が適切だとする意見が多く、公共スペースや個人宅での植生禁止などの強い介入は行き過ぎだと考える傾向があった。
WSLはこの調査結果を受けて、シュロ以外のヤシ類でティチーノを象徴できる存在を(予算が許す範囲で)選定する方針だ。今後の気候変動も考慮し、侵略の恐れのないヤシ類のリストを作成している。
ティチーノの森を悩ます4本足
シュロの研究は、気候変動への適応に関するスイス連邦環境省環境局(BAFU/OFEV)の大規模な試験的プログラムの一環として行われている。だが、WSLでシュロの研究を行うボリス・ペツァッティ研究員によれば、気候変動が問題になる以前から、ティチーノの森はある脅威に悩まされている。元凶は森にすむ 4本足のあの動物だ。
ロカルノのシュロ密集地の火事現場を訪れたとき、WSLのフェール氏が、火事で被害を受けなかった若木の痛んだ葉を指してこう説明した。「これは明らかに食べられた跡だ。食べたのはおそらく鹿だ」
鹿などの「森のハンター」は、その土地の在来植物を好んで食す。つまり鹿が外来種のシュロを食べ始めたということは、この地域ではシュロが占める割合が非常に高いことを意味する。そして十中八九、本来のティチーノの森林の再生機能は停滞、または停止している。
この現象からできる考察は以下の2点。①鹿の餌になりにくいことが外来種の繁殖に有利に働いていること、②森林の天然更新がうまくいかず、再生されなくなっていることだ。
ペツァッティ氏は「森林の管理当局が天然更新をうまく進められていたなら、気候変動への適応に関する課題の半分は既に解決していたはずだ」と言う。
つまり干ばつの頻度が増せば、新たな環境に適応した植物が大きく根を張り、森全体がより強靭(きょうじん)に再生する。だがそれが鹿に食べられてしまっては、再生の芽も同時に摘まれてしまうということだ。
英語からの翻訳:佐藤寛子
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